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True Colors  16


クレイグが病院に駆け付けた時、悠莉は手と膝に包帯を巻いて部屋の周囲をボディガードに囲まれた状態で病室の椅子に腰掛けていた。
本来なら手足に擦り傷を作った程度の怪我の彼女がこんなところに缶詰になることはない。越智たちが運びこまれた手術室の側から動こうとしない悠莉の身辺の安全を守るために、病院側が特別に近くの病室を彼女に宛がったのだ。
「ユーリ?」
扉から入って来た彼の姿を見て取ると、彼女は立ち上がってこちらに近づいて来た。
「怪我は?大丈夫なのか?」
聞きながら手を差し出すと、悠莉はふらふらと彼の腕の中に倒れ込む。
「ユーリ?」
「ちょっと緊張しているだけだから、心配しないで」
まだショック状態から抜け出せない彼女の声が震えている。
「それより、越智さんと黒服の人が……」

これより少し前、彼が聞いた警官の話では、彼女に向けられた銃弾は最低でも3発。
そのうち1発は逸れ、もう1発がボディガードを直撃、最後の1発が彼女の盾になった越智に当たった。
越智を襲った弾は一旦車のドアに当たり、それが跳ね返ったものらしく、直に体に銃撃を受けたボディガードよりは軽症だが、それでも貫通しなかった弾丸の破片を取り除くために現在手術が行われていた。
「大丈夫だ。越智もボディガードも、命に別状はない」
今のところ、狙撃場所はクレイグのマンションの向かいにある、ビルの外階段であることが判明している。ただ、ビル自体が古く、防犯カメラの設置数が少ないことから犯人の映像を特定するには至っていない。
だが、彼には「誰が」は分からなくても「何のために」ということの当たりはついていた。
「ユーリ、一旦帰ろう。どのみちオチたちは出て来ても今夜一晩麻酔で眠ったままだ」
「でも……」
「それに、ここにいると君だけでなくまわりにいる者たちにも危険が及ぶ可能性がある。それこそ、周囲を巻き込んで病院ごと吹き飛ばされるかもしれないぞ」
「そんな、またいい加減な脅しを……」
冗談かと思い、そう言って笑い飛ばそうとした悠莉だが、彼の表情を見て途中で口を噤んだ。
クレイグは笑っていなかった。それどころか、真面目な顔で、眉間に皺を寄せて、唇を引き絞っていたのだ。
「この銃撃は警告だ」
「警告?」
彼はゆっくりと頷くと、悠莉を抱く腕に力を込めた。
「そうだ。警告、脅しだ。だが、今君がここに無傷でいるのは奇跡としか言いようがない」
「それはどういう意味?」
悠莉は手を突っ張り、目の前から無理矢理彼の胸を引き剥がした。
「恐らく今回は君を殺すのが目的ではなかった。ただ、君の動きを封じればそれで十分だったんだ。君にこれ以上の介入をさせないためにね」

ここ数日、悠莉は精力的に自分に残された遺産に関する決裁を行っていた。
そのほとんどが権利の破棄、または譲渡といった類のもので、彼女自身にはほとんどメリットがないことばかりだ。それなのに、なぜ?
その思いが顔に現れたのか、クレイグが話を続ける。
「君は大口の遺産を、特に不動産や美術品といったものをほとんど無償貸与するか、もしくは売却して出た利益を寄付したいと言っているそうだが」
「ええ。私には必要がないものばかりだから」
悠莉はそれのどこがいけないのかという表情で彼を見上げた。
「今回の黒幕を仮に『彼ら』としよう。いいかい?当然その中には『彼ら』が狙っていた物件や金品がある。君はそれを分かってやっているのか?」
代々の当主たちが金に飽かせて買い漁った土地や建物の他、世界中から集めた美術品がジョージの遺産として残った。その中には現在では金に換えられないような価値のあるものもたくさんある。現時点でそれらを相続する後継者がなく、ジョージの死のどさくさに紛れて遺産を掠め取ろうと狙っていた親族たちは当然、間接的ながら家の財産をすべて相続する権利を有する悠莉を敵視している。
「例えば、君が昨日『貧困層の子供たちを一時収容できる場所があれば』と市に無償で貸し出した土地建物、あれは市場相場だと年間数百万ドル以上の収益が上がる物件だ。あの場所を再開発の拠点と狙っていた人物は一人や二人ではない」
そんな一等地をタダで他人に貸すこと自体、経営の維持という面から考えても悠莉は『彼ら』にとって危険な存在となる。
「でも、それだけでこんなことを?」
クレイグは悠莉の釈然としない顔を見てため息をついた。
「君は遺言の効力と影響の大きさを理解していないみたいだな」
「そ、そんなこと」
「今仮に君が命を落とせば、遺言は大きくその趣旨を変える。もちろん他に対する配分や考慮も変わってくる。彼らは今すぐにはそれ自体を望んではいない。君の子供がまとめて相続できないとなると、遺産そのものが宙に浮いた形になり、下手をすると国や公的機関に収用される可能性が出て来るからね。そうなれば、彼らにはびた一文分け前は回ってこなくなる。だがこの状態が長く続けば焦れた奴らが何か仕掛けてくる可能性はゼロではない」
「私の子供って……皆本気なの?そんな影も形もない、将来出現するかどうかも分からないのに」
それを聞いた悠莉が憮然とするが、クレイグはお構いなしで話を進める。
「ユーリ、君が何を考えているのかはお見通しだ。自分に降りかかってきたものを今のうちに極力剥ぎ取って身軽になってしまいたいと思っている、違うかい?」
「それは当たり前でしょう?だってほんの数週間前まで、私は日本の片田舎に住む平凡な人間だったのよ。それがあれよあれよいう間にこんなことになってしまって、もう訳が分からないことだらけで……」
そんな悠莉を見下ろすクレイグはあくまでも冷静で、同情の欠片も見えなかった。
「好むと好まざるとにかかわらず、君はもうこの家の事情に巻き込まれてしまっている。今回はこの程度で済んだが、これで終わりだとは限らない。もし今後もこういった動きをすれば、命の保証はないんだ。よく覚えておいてくれ。これが今、君が置かれた状況だ」


その後クレイグに連れて来られたのは狙撃されたマンションとは別の、市の郊外にある邸宅だった。
「ここは?」
「私の母方の祖父母が暮らしていた家だ。今は空き家になっている」
彼はそう言うと、一旦セキュリティを解除してボディガードたちを配置につかせる。その後で彼女を邸内へと招き入れた。
「ここならば敷地内に外部から侵入者が入り込むのは難しいし、狙撃される心配もほとんどない」
「でも、私はあと2、3日で帰国するのよ」
「無理だな」
「えっ?」
訳が分からず混乱する悠莉に、クレイグは平然と言い放つ。
「こんな状況で、一人で君を国外に出すわけにはいかない。日本は治安が良いとはいえ、ビンガムの力が及ぶ範囲は限られている。そんな場所にみすみす君を帰せると思うか?」
「そんな、横暴よ。まるでサギだわ」
「何とでも言えばいい。それに私にはまだ、君にぜひ呑んでもらわなければならない案件がある」
クレイグはそう言うと、怒りに体を震わせる彼女の側に立った。今まで感じたことのない威圧感に、悠莉は思わず身構える。
「案件って、何よ」
「忘れたのか?遺言の内容を」
「遺言の内容?」
「そう、ビンガムの、家と事業のすべてを一つにまとめるために、君の力を借りる必要がある」
彼は後退る悠莉の頬に触れると、ふっと唇を歪めた。
「君の子供はビンガム家の正当な当主となるための絶対条件だ。私がこの体制を維持していくには、どうしてもそれが必要なのだ」




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