「いや、その時にはジョージは相手をユーリとは限定しなかった。ただ、パートナーとの間に正式な後継者を作っておくこともトップの責務だと言っていた気がするな」 ジョージ自身は自らがそれを実践することができなかった。それが今になってこの混乱を招いたとも言える。 資産家の家系ではよくある話だが、ビンガム家も当主が変わるたびに財産争いが起きていた。 亡くなったジョージが先々代からこの家を継いだ時には、彼の異母弟がすでに死亡していたこともあって表面的には大きな諍いには至らなかった。しかしその際に、弟の母親であったサンドラとの間で相続をめぐって揉めたことはまだ少年だったクレイグの記憶にも残っている。 先々代の後妻であったサンドラの息子と先妻の長男のジョージの間にはかなり年の差があり、その力量の差も歴然としていた。ジョージが帝国を継ぐことについては誰も異を唱えなかったし、実際彼以上に能力のある人間はいなかった。 しかしそれでもサンドラは自分の亡き息子が受け取るはずだったものの権利を目いっぱい主張し、結果的にジョージがかなり譲歩した。 お蔭で今もあの老女がビンガム家に影響力を持ち続け、無用なトラブルを引き起こし続けているのは皮肉な話だ。 「それで、どうする気だ?」 「サンドラが動く前に先手を打つ。でないととんでもないことになるからな」 悠莉に宛がうのが誰でも良いなら、サンドラの身内にも候補はごまんといる。たとえ彼女自身が悠莉の存在を認めなくても、手っ取り早くビンガムを手中に収めることができるなら、それくらいはいとも簡単にやってのけるだろう。 「私は元々余所者だが、私とユーリの間に後継者を作ればビンガムの家と事業は形の上では一体となる。そしてそれを将来子供に継がせると明文化することで、ビンガム家の本流から実権が奪われるのではないかという一族の不安を押さえ込み、反感を和らげようと目論んだんじゃないか」 クレイグはそう言うと皮肉っぽく笑った。 ジョージ自らがビジネスのノウハウを仕込み、自分の跡継ぎと名指した義理の息子クレイグ。ただ、彼にはビンガムの血が一滴たりとも流れていないという弱点がある。それを補うべくジョ−ジが用意したのが実の娘である悠莉だというのだ。 「まるで中世ヨーロッパの王族の結婚のようだな。利害が合えば婚姻によって手を結び、敵対関係にあるものにプレッシャーをかける。そうして作り上げられた権力を次の世代に渡し、そしてまたそれらが更なる利権を求めてパートナーを探し、関係を強化していく」 「それくらい覚悟しないと、この機に乗じて何とか資産をむしり取ろうとするハイエナたちに身ぐるみ剥ぎ取られるだろう」 「やれやれ、お前も大変だな」 「冗談じゃないわよ」 彼らの側に置いてあった椅子に座り、それまでのやり取りを聞いていた悠莉が徐に口を開いた。 「黙ってきいていれば一体人のことを何だと思ってるのよ?いきなりこんなところに拉致してきて、父親だという死にかけた人間に無理やり会わされて、その上あなたと結婚しろですって?」 「いや、別に私は君に結婚してくれとは言っていない。ただ、君との間に後継者をもうける必要があると言っているんだ。それさえ叶えばその後の君の行動に制約はつけない。どこでどんな生活をするのも自由だ。莫大な遺産を相続すると共にビンガムの次期後継者の母親として、一生何不自由なく暮らしていける。もちろんその地位も保証されるだろう」 「最低。俗悪ね」 それを聞いた悠莉は彼を睨み付けると吐き捨てるように言い放った。 「断るわ」 「何?」 「聞こえなかったの?そんなこと断固としてお断りって言ったのよ」 「ほう、その理由を聞いてもいいかな?」 悠莉の冷たい怒気と射殺されそうな視線を軽く受け流すと、クレイグは彼女の肩に手を置いた。 「悪いけど、私にはあなたたちみたいにお金も地位も名誉も必要ないの。遺産なんて、最初から全部放棄するつもりだったし」 「だが、ビジネスとしてとらえれば決して悪い取引ではないはずだ」 「へぇ、あなたたちの商売はものだけでなく人身売買まで手広くやってるってこと?」 「人身売買?」 「だってそうじゃない?私に子供を産ませて、その子をこの家のために差し出せって言ってるようなものだわ。その代わりにお代はたんまりとはずんでやるって」 「嫌な言い方だな」 「でもそれが本音でしょう?」 悠莉は自分に触れているクレイグの手をぴしゃりと撥ね退けると、側に立つ彼を見上げた。 「もう充分に義理は果たしたでしょうから、私は日本に帰るわ」 「だが、今の状況で我々の保護下から離れるのは無謀だ。危険でさえある」 「危険?あなたたちがそれともあのハイエナたち?どっちもどっちじゃない」 「君は何も分かっていない。この家のもたらす権力の巨大さとそれを争う者たちのすさまじさを。自らの利益のためなら多少の犠牲は厭わない。だから奴らは中途半端なことはしない。第一に君は自分がどれだけ難しい立場にあるかを理解していない」 クレイグの言葉に、悠莉は呆れたような目で彼を見た。 「いい?言っておくけど、私にとってビンガムなんて家も財産もどうでもいいことなの。傾こうが潰れようが、関係ない。だから勝手にすればいいでしょう?」 「だから、それが君が置かれた状況を分かっていないと言うんだ」 「もういい」 悠莉はクレイグの話を遮ると、すっと立ち上がる。 「とにかく、私は日本に帰ります。引き留めても無駄ですから」 翌日、クレイグのマンションにいた悠莉に思わぬ来客があった。 「クラウディア?」 ミセス・ビンガム、クレイグの母だ。 彼女をリビングに招き入れた悠莉は、家政婦が用意したポットでクラウディアの好みだと言う紅茶を慣れない手つきで淹れる。 「ユーリ、どうしても帰ってしまうの?」 お茶を飲みながらのんびりと世間話をしていた二人だが、クラウディアが話の口火を切った。 「ええ。私にはあちらに生活の基盤がありますから」 「そう、残念だわ。あなたがここに残って新しい風を吹き込んでくれたら、あの家の雰囲気もぐっと変わると思ったんだけど」 「そんなこと……買いかぶり過ぎです」 そう言って謙遜する悠莉の手を、クラウディアが強く握る。 「日本に帰っても。何かあったらいつでも遠慮なく私に言ってちょうだい。あなたはジョージの娘、ということは私の娘でもあるのだから」 「ありがとうございます」 握られた手を見つめながら、頷く悠莉を見て、クラウディアが微笑んだ。 「本当はね、ジョージの遺言云々は別にしてあなたが本当に私の娘に……クレイグの妻になってくれればよいと思っていたの。でも無理は言わないわ。あの家にいることがどれだけプレッシャーになるかを私も良く知っているから」 「あの……」 「なぁに?」 「一つうかがってもいいですか?」 「私で答えられることなら」 「お嫌でなければ、教えて下さい。あなたはミスター・ビンガム、ジョージとの間に正式なビンガム家の跡継ぎを……子供を持とうと思われたことはなかったのですか?」 クラウディアがジョージと再婚したのは彼女が三十代前半のこと。その時恐らくジョージはまだ四十前。その気があれば子供を生せない年齢ではなかったはずだ。ましてや悠莉のことを知らなかったはずのジョージが後継者に関して何もせずに手を拱いていたとは到底思えなかった。 「私たちは結婚する時にある取り引きをしたの」 「取り引き?」 「そう。彼はあなたの存在に薄々気が付いていた。だから私は子供を持たない代わりに、クレイグを後継候補として彼に預けたのよ」 HOME |