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True Colors  10


支度を済ませた悠莉は、越智に急かされるままにマンションを出た。すでに車寄せにはリムジンが待機していて、彼女たちが表に姿を現すやすぐさまドアマンが動き、悠莉はあっという間に車中の人となった。
「随分と仰々しいわね」
入口エントランスから車まで、僅か数メートル。その間にも件のボディーガードをはじめとする黒ずくめの服装をした一団が悠莉を囲んで歩く。
「念のためです」
越智は言葉少なにそう答えると、すぐに携帯でどこかに連絡を取り始める。
いつもは穏やかで物腰の柔らかい彼がここまで緊張を隠さないのは珍しいことだ。
これ以上話す話題が見つけられず、彼女は座席に深く沈み込むと目を閉じた。

「父親」との対面がこんなにばたばたと、かつ強引に仕組まれるとは思ってもみなかった。ただ、一昨日あたりからのクレイグの動きが慌ただしくなり、昨日は結局マンションには戻らなかったようだ、という通いの家政婦の話を聞いた時から何となくそんな予感はしていた。
こんな状況で会ってもどんな話をすればよいのだろう。
そう考えて、ふとあることに気付いた悠莉は、隣の越智に聞こえないように小さく笑った。

きっともう、話なんてできる状態じゃないはず。でなければこんな風に引合されたりしないわ。

精々顔を見せるのが関の山というところだろう。もしかしたら、すでに意識などないのかもしれない。
今の彼女はそれについて別段の思いといったものは持っていない。人の命が尽きる場に居合わせたいという思いは毛頭ないが、仮にそうなったとしても厭う気持ちもない。それを感情的に受け止めるのは、亡くなる者を悼む心があるからで、彼女にはその持ち合わせがないからだ。
ただ、もしもまだ彼と話をすることが可能であれば、ひとつだけ伝えたいことがあった。母親に成り代わり、それを直接彼に伝えることが娘としての義務であるように彼女には思えた。


車が停まったのは、想像もしていないような場所だった。
窓から外を眺めていても、雑然とした市街地の街並みから緑の多い静かな佇まいに景色が変わっていくのが分かったが、着いたところは見渡す限りその大きな屋敷以外には周囲に何もないといってもよいほどの敷地がある。

「お城?」
その中にそびえ立つ、夜のしじまに影を落とす石造りの建物は、まるで巨大な城郭か何かのようだ。
「ええ。数十年前に先代がヨーロッパの古城を買い取り、ここに移築したと聞いています」
「成金趣味?」
呆れたような彼女の口調に、越智が苦笑いを浮かべる。
「そのようですね。解体移送費だけでもかなりのものだったと思います」
アメリカ人が歴史ある古いものを好むということはどこかで聞いたことがある。ただ、金に飽かしてここにこんなものを持って来てもあまり意味のあることには思えない。
「もっと実のあるお金の使い方がなかったのかしらね」
金持ちのすることは分からないと言わんばかりに首を振る悠莉の後ろにつくと、越智が出迎えた老執事に案内を乞う。彼を見た悠莉はぎょっとして、思わず後ずさった。
「うわ、苔むした城にふさわしく、魔法使いおじいさんまでついてるってこと?」
ぼそりと日本語で呟いた彼女の方をぎろりと見た老人は、そのまま扉を開けて中へと彼らを先導した。
「マズっ、もしかしてあの魔法使いのおじいさん、日本語がわかるとか」
「いえ。それはないかと思いますが」
肩を竦める越智に促された悠莉は、こうして屋敷の重々しい扉の中へと足を踏み入れた。

建物の中も外観同様アンティークな装飾が目を引くが、よく見ればそれらはまだ新しいものであることがわかる。家具調度品に疎い彼女でも、それらが数十年前に移築された際、新たに作られたものなのだということは推測できた。
「どうぞ」
屋敷の一番奥、観音開きの大きなドアが半分開けられたままになっている部屋の前で、悠莉は老執事に中に入るよう促された。
「私はここまでですので」
何か言いたげな様子で自分を振り返る彼女に、越智はゆっくりと会釈してから一歩後ろに下がった。
「中にミスターバートンもいらっしゃいます。大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのか。
それを問いただす前に、彼女が入った後のドアが重々しく閉じられた。
何となく退路を断たれたような心細さを感じたものの、彼女は意を決して部屋の中へと歩を進める。
「ユーリ」
大きな部屋の中央あたりに数人が寄り集まっていたが、最初に彼女に気付いたのはクレイグで、彼の声に反応して皆がこちらを振り返った。
「ユーリ、こちらへ」
クレイグに手招きされた方へ向かう彼女に、いくつかの鋭い視線が投げかけられる。
それらに込められた好奇心や侮蔑、そして憎悪までを敏感に感じ取った悠莉だが、怯むことなく彼らを睨み返した。
「どうやら私はお呼びでなかったみたいね」
こんな状況でもいつもの冷静さと強気を崩さない彼女に、クレイグが思わず微笑む。
「いや。この場に一番ふさわしいのは君だよ、ユーリ」
「その小娘、いったいなんでここに……」
非難の口火を切ったのは、やはりサンドラだ。
多分彼女にとって悠莉はこのシーンに一番いて欲しくない人物であったのだろうと後になって思いあたったが、この時はまだ、単に常識のないヒステリックなお婆さんとしかうつらなかった。
「誰だ?この女」
「この非常時に病室に訳の分からない人間を入れるな」
それを皮切りに次々に浴びせられる罵声。こんな時、悠莉は自分が英語を理解できなければよいのにとさえ思う。自分だって好きでここに飛び込んだわけではない。この、どうにもならない状況に無理やり追い込まれた彼女は、地団太を踏み、歯ぎしりしたい気分だった。
「彼女はユーリ・カタオカ。はるばる日本からジョージに会いに来た……彼のお嬢さんです」
クレイグの紹介を聞いた者たちが、一瞬水を打ったように静かになる。だがすぐにその場は次の混乱に陥った。
「総帥の娘?婚外子か?」
「そんなの、聞いたことがないぞ」
「嘘だろう?本当なのか」
「お静かに。せっかく落ち着いたジョージが目を覚ましてしまう」
クレイグが落ち着きはらって彼らを牽制する。その言葉は表面的にはあくまでも穏やかだが、彼の纏う雰囲気は周囲を凍らせるほど冷ややかだ。
「誰か、早くこの女を外へ出しなさい」
クレイグの制止を聞かず、なおもわめき続ける老女を正面から見据えた悠莉は、低い声でしかしはっきりとこう言い放った。
「ぎゃぁぎゃぁ煩いわよ。そんなに一緒にいるのが嫌ならアンタがここから出て行けばいいじゃない。病人の側で騒ぐってどういう神経をしているんだか。恥ずかしいとは思わないの?年ばっかり食ってるくせに、常識がないのは見苦しいわ」

「ふっ、さ、すが……だ、な」
その声に、悠莉の方に注意を向けていた皆が一斉に振り返った。
「ジョージ?」
そこには眠っているとばかり思っていたジョージが、顔を歪めて笑っていた。
「どうしたの?苦しいの?」
側にいたクラウディアが覗き込むと、彼はゆっくりと首を振った。
「大、丈夫、だ」
本人が無理やりもぎ取った呼吸器を戻そうとした医師を手で制すると、ジョージは悠莉を見据えながらゆっくりとした口調で話し始める。
「も、う、これ、以上、の、延命は……無用、だ。た、だ……私、は彼女と、二人、で、静かに、話がし、たい」

その場で拒否することもできた。
だが、悠莉にはどうしても「ノー」の一言が言えなかった。
目の前の、この瞬間にも死を迎えようとしている男性の最後の願い。
彼女にはそれを振り切ってまでここから立ち去ることができなかった。

「何をそんな……」
この期に及んでまだ諦めずに不平を溢すサンドラを、クレイグは無理やり抱きかかえるようにして部屋から引きずり出す。
「ク、クレイグ、無礼ですよ」
「これがジョージの最後の望みなのです、サンドラ。いい加減、身を慎んでください」
抵抗するサンドラと、彼女を抱えたクレイグが退出すると、部屋にいた者たちがぞろぞろとその後ろに続く。
そして最後に部屋を出ようとした女性が、悠莉の方を振り返ると、優しく微笑んだ。
「では、ジョージをお願いね」
「あなたは?」
「私はクラウディア、クレイグの母親です」
「クレイグの?だったらこの人の……」
クラウディアは小さく頷くと同時にドアの向こうに消え、二人と医師を部屋に残して扉が閉ざされる。

「あ、よかったの?奥さんまで追い出しちゃって」
ベッドの上でぐったり横たわるジョージに、悠莉が気まずそうに話しかけた。
「大、丈夫、だ。あ、れは、道理を、わきまえた、女だ、から」
「もうあんまりしゃべらない方がいいんじゃない?そんなに苦しそうに」
「い、ま、話さなくて、いつ、話、す。も、う、時間、が、ない」
咳き込むジョージに、医師が慌てて呼吸器をつけようとするが、彼は病人とは思えない力でそれを撥ね付けた。
「リ、サコは……」
「亡くなったわ。私がここにいるくらいだから、あなたももちろん知っているんでしょう?」
ジョージは小さく頷くと再び咳き込み始めた。
「ほら、もういいから、動かないで」
ベッドの側から追い払われた医師から取り上げた呼吸器のマスクをつけようとした悠莉に、彼は嫌だと首を横に振る。
「リ、サコは……」
再び同じ問いかけを繰り返すジョージを覗き込んだ悠莉は、目の前の自分と良く似た色をした瞳の中に、彼が聞きたがっている言葉を見たような気がした。
「母さんはね、ずっとあなたを待っていた。どこにいても必ず探し出してくれるって信じて」
そこまで言うと、悠莉はぐっと歯を食いしばり漏れそうになる嗚咽を無理やりに抑えつけた。理性では排除しきれない、爆発しそうな感情。彼女が一番知りたくなかったものが今、自分を支配しようとしていた。目の前にいるのは父親なのだ。触れ合うことはおろか、顔を見たことも、名前さえ知らなかった自分の……父親。
「母さんは、母さんは……」
できるものならこのまま何も言わずにやり過ごしたい。しかし今ここで言わなければ自分はきっと後悔する。
混乱した心の中で揺れていた彼女の理性は遂に感情に屈した。
「ずっと、ずっと、あなたを……愛してた。あなただけを」
その瞬間、ふっとジョージの体から力が抜けた。そして片側の瞳から一粒だけ、つうっと涙が零れ落ちたのが見えた。
「ドクター!」
彼女の悲鳴に、慌てて側に来た医師が慌ただしく処置を始める。それを見た悠莉はドアの方に駆け寄ると、力いっぱい乱暴な音を立てて重いドアを開け放った。
「誰か、誰か来てえっ」
廊下にいたクレイグたちが開いた扉から一斉に室内になだれ込む。
それと入れ違うように廊下に出た悠莉は、ドアに寄り掛かったままずるずると床に座り込んだ。

これで良かったんだろうか、本当に、これで。

その夜、M&B総帥、ジョージ・ビンガムは息を引き取った。時代の寵児と持て囃された実業家の死は、彼が興した帝国の一時代の終焉を告げるかに見えた。
だがしかし、彼が最後に打った布石はこの後、残された者たちを確実に醜い策謀へと巻き込んでいくことになる。




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