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True Colors  1


いつ来ても、この館の空気は苦手だな。

通された部屋で一人呼び出されるのを待っている間、クレイグはメイドが運んできたコーヒーに手をつけることもなく、窓辺に佇んで景色を眺めていた。
しばらくそうしていると、ノックの音が聞こえ、開いたドアの向こうからこの家の老執事が声を掛けてくる。
「クレイグ様、だんな様がお呼びです」
「……分かった。今行く」


いつも変わらず堅苦しい服装をしているその老執事は、一体今何歳なのだろう。
部屋を出て、彼の後ろについて奥へと向かいながら、クレイグはふとそんなことを考えた。
何年継父であるジョージに仕えているのかは知らないが、少なくともクレイグが少年だった頃には、もうこんな風に白髪で深い皺のある顔をしていた。
あの頃はこのいつも厳めしい表情が恐ろしく、また気味悪くもあったものだ。その自分が今では三十路になろうかとしているということは、この老人は少なくとも20年以上はこの風貌でいることになる。

そのまま廊下を進み一番突き当りの一層重厚な扉の前まで来ると、二人は立ち止まった。そしてノックして声を掛ける執事の斜め後ろに立った彼は、大きく息をつきながら無意識のうちにネクタイの歪みを直す。
「クレイグ様です」
「入ってくれ」
開けられたドアの中から聞こえてきた声の掠れに、クレイグは思わず奥歯を噛みしめた。
6歳の時、初めてジョージに引合されて以来、こんなに弱々しい継父の声を聞いたことはなかった。聞く者を否応なく従わせる低くて太い、押しの強い声。ジョージのカリスマ性はその容貌だけでなく、声にまで表れていた。その継父が今、死の病に蝕まれている。
彼は一瞬目を閉じ、嫌でも見ることになるであろう光景に立ち向かう心の準備をしてから室内へと入って行った。
「来てくれたか」
「はい。遅くなりまして申し訳ありません」
館の主のためのマスターベッドルーム。
その中央に置かれた大きなベッドに上半身だけ起き上がっている初老の男は、痩せて骨と皮だけになった腕を億劫そうに上げて手招きをする。
奥へ進むと部屋に据えられた歴史の重みあるアンティーク家具や調度品が目に入る。しかし、それらとその傍らに所狭しと置かれた高価な医療器具の取り合わせは何ともちぐはぐな光景だった。
これだけ最新の医療器具を惜しげもなく使い、大金を積んで名だたる名医を呼び寄せても、病状の悪化を食い止めることはできないのか。
そんな思いに囚われたクレイグは、ぐっと拳を握りしめ、平静を装った。
「お父さん、お加減は如何ですか?」
「見ての通りさ」
ジョージは機械に繋がれた腕や体に目を遣ると、自嘲気味に笑った。
「忙しい時に呼びつけて悪かった。しかし火急の用件だ」
「分かっていますよ」
継父、ジョージに呼び出された時、彼はちょうど地球の反対側にいた。シンガポールの支社で、アジアの新興国における原料の採掘と確保、及びそれらの国への進出と販路の拡大を狙った経営戦略会議の真っ最中だったのだ。

「では、クレイグをのぞいて皆下がってくれ」
それを聞いた医師と看護師、老執事、そして偶然居合わせたらしいクレイグの母親であるクラウディアはすぐさまその言葉に従った。だが、その場でただ一人、猛然と彼に異議を唱える者がいた。
サンドラ・ビンガム
ジョージの継母だ。
ジョージ自身がクレイグの継父、つまりは母親の再婚相手で、なおかつサンドラはジョージの継母となれば、義理の祖母とはいえ彼女はクレイグにとって赤の他人以外の何物でもない。
「こんな状態の時に、一人になどできるわけがないでしょう」
老執事は扉を開けて押さえたまま彼女が部屋から出てくるのを待っていたが、サンドラは一向に椅子から立ち上がる気配がなかった。
「お母さん、私は一人ではない。ここにクレイグがいるではありませんか」
だが、サンドラはその言葉尻に噛みついた。
「だからこそ気になるのです。もしもこんな時にあなたに万一のことがあったらこの男が何をするか分からないでしょう?」
「それは聞き捨てなりませんな」
クレイグはそう言うと、冷ややかな笑みを張り付けたまま、ちらりと彼女を一瞥した。
「医師は大丈夫だと言っているのでしょう?だからこそ、ジョージは皆を下がらせたんです。それに、あなたは私がさもジョージを見殺しにするような口ぶりですが、そんなことは決していたしませんよ。何せ彼は私の継父であると同時にこの財団のトップでもあるのです。大事なことを何も決めないうちに簡単にあの世になんて行かせません」
「……なかなか言うな、クレイグ。さすが私の息子だ」
ベッドの上の男はさも愉快そうに、掠れた声で笑った。
「あ、あなた、なんてことを……」
「もういい。さあ、お母さん、早く出て行って下さい。私はクレイグと大事な話があるが、あなたには聞く必要のないことだ」
病床にありながら、ジョージの人を従わせる威圧感は未だ健在だ。
それを聞いたサンドラは、忌々しそうにクレイグをひと睨みすると、渋々ドアから出て行った。

「さすが、お父さん。あの我侭なサンドラでさえ一声で従わせるなんて」
「わが母ながら、あの年寄りの気位の高さと傲慢さには毎度手を焼くよ」
思わず漏れたクレイグの本音に、ジョージが苦笑いしながらベッドの側にあるテーブルを指さす。
「そこに封筒があるから取ってくれ」
求められるままにベッドを回り込み、反対側にあるサイドテーブルの引き出しを開けると、彼は厚みのある書類封筒を取り出した。
「これですか?」
渡された封筒を開けたジョージは、その中から1センチほど厚みのある書類の束と数枚の写真を取り出した。
「見つかった」
「本当に?」
その会話に主語はなかったがそれでも通じる。それくらい、二人はこのことについて何度も話し合いを持っていた。
「彼女が?」
手渡された写真に写っていたのは、若い女性の横顔だった。フレームのないメガネをかけ、長く伸ばした黒髪をポニーテールにしている。
「ああ、間違いない」
ジョージは手元にある方の写真を眺めながら頷いた。
「良く似ているよ、母親に……リサコにそっくりだ」

続いて継父が差し出した書類には、彼女の成育歴から学歴、交友関係、そして現在の住所や就職先までもが詳細に記載されていた。

「それで、ここからが本題だが、クレイグ、彼女を迎えに行ってくれるか?」
「私がですか?」
彼は一瞬驚いたような顔で継父を見た。
「そうだ。彼女は私のことを知らないだろうし、良くない印象を持っているかもしれない。場合によってはいろいろと説得する必要も出てくるやもしれん。だからこれは、私が一番信頼している、息子であるお前に頼みたい」
そう言うと、ジョージは痩せて筋張った手を彼の方に伸ばしてきた。
「他の者では信用できないし、用をなさない。だからお前に行ってもらいたい」

今までリサコの娘を探し出せなかったのは、恐らくどこからか圧力がかけられていたせいだろう。それが誰の差し金か大方の予想はつくが、ならば一層、継父が彼女のこれからを危惧していることも彼には理解できた。

「分かりました。引き受けましょう。それがあなたの望みならば」
クレイグは内心の複雑な思いを押し隠して、差し出された継父の手を握った。
「ありがとう」
黙って頷いた息子の肩を、ジョージは感謝の意味をこめて抱き寄せた。一瞬びくりとしたクレイグだったが、継父の体を力強く抱き返すとゆっくりとベッドに横たわらせる。
「あまり無理をすると体に障りますよ。では、私はこれで。早速この事案に取り掛かります」
「頼んだぞ」
「お父さんも祈っていて下さい。私が無事このミッションを成功させることができるように」



書類の入った封筒を携え、部屋から立ち去るクレイグの背中を見送ったジョージは、ふっと大きく息をついた。
「少し無理をしたようだな。情けないことだが、もう体が動かん」
自分が手塩にかけて育て上げ、ビジネスのノウハウを教え込んだ息子、クレイグ。だが、自分と血のつながりのない彼をビンガムの後継者に据えるには決定的な決め手がなかった。
そう、今までは。
「クレイグ、私はお前にすべてを譲るつもりだ。財産も家名もそしてビジネスも」
ジョージは力なく枕に頭を落とすと目を閉じた。

リサコの娘は必ずや、お前の立場を揺るぎない物にするだろう。だからこそ、私は……あの子をお前に託すのだ。どうか守ってやってくれ、リサコの……そして私の娘を。




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