「真音さん…真音さん、いけません。そんな重い物を持ったりしては」 いきなり後ろから声がした。 「大丈夫です、このくらいは。でないと家事なんてできないわ」 振り向きざまに、腕の中にあった洗濯機から出したての洗濯物を取り上げられた真音はため息を漏らした。 「いいえ、だめと言ったらだめなんです。それにこれを持って外に出るおつもりだったでしょう?階段には気をつけてとあれほど申しておりますのに…」 彼女を押し退け洗濯かごを抱えて、デッキから外階段を下りる姿は矍鑠としていて、とても七十をゆうに超えているとは思えない。 その背中を見ながらありがたいと思う反面、あまりの過保護ぶりに少々悩む今日この頃だ。 後ろ姿の主は志保さん、朝倉家に長年仕えてくれたお手伝いさんである。 兄、大地の理解もあり、年末年始は何かと彼女の世話を焼いていた嶺河だったが、さすがに新年は会社の行事が目白押しでそうそうここに居座ることもできないらしく、渋々東京に帰っていった。 まだ本調子ではないが自分の身の回りのことくらいはできるようになった真音が、やっと彼の過干渉から解放されほっとしていたのも束の間、嶺河は新たな監視役を送り込んできた。 それがこの志保さんである。 志保さんは、元は嶺河たち兄弟の養育係で、それこそ彼らがオムツをしている頃からお世話になっていたらしい。 今でもあの兄弟が母親以外で逆らえない唯一の女性であり、一番信頼を置いているお手伝いさんなのだ。 「もう年だからお役目を退きたい」と常々言っていた彼女を再び奮い立たせたのは他ならぬ真音とお腹の赤ん坊で、嶺河の願いを一も二もなく引き受け、この真冬に凍える寒い場所まですっ飛んできてくれた。 そして彼女は真音に会った途端、食べろ寝ろ、屈むな飛ぶなと山のような説教をした後でこう言った。 「よくぞ無事にご退院なさいました。朝倉のお家にはもう何年も子どもの無邪気な声はありません。お生まれになるのを皆さん本当に楽しみにお待ちになっていらっしゃいます。本当にようございました…」 志保さんは彼女を本当の娘のように思ってくれているようで、いろいろなことを一つずつ丁寧に教えてくれる。 子どもが生まれるまでにしなくてはならない手続きや節ごとにある通過儀礼、そしてこれから起こる身体の変化やそれにどう対処したらよいか等、事細かに教授してくれるのだ。 母親に縁の薄かった真音は、彼女を母親のように慕った。彼女は赤ん坊のことや出産のことだけではなく、聞かれたことは何でも真音に分かりやすく噛み砕いて答えてくれる。 今や志保さんは、知恵袋に等しい存在になっていた。 ある日、真音は常々疑問に思っていたあることを志保さんに尋ねてみた。 「あのね、前に嶺河さんから聞いたことがあるのだけれど、『朝倉の家訓』って何のことだかご存知?」 聞かれた志保さんは一瞬何のことだか分からないという顔をしたが、すぐににんまりと笑うと真音をソファーに掛けさせた。 「それはですね多分、坊ちゃんたちの曾祖父様がおっしゃったお言葉ですよ」 そう言うと、彼女はいつものようにゆっくりと話し始めた。 今の朝倉家は、大地たちの代で4代目になる。 分家した初代の当主は、まだ帝国大学の学生だった時に妻と出会い、大恋愛の末に周囲の反対を押し切って結婚したのだという。 「まぁ、曾祖父様は恋愛結婚だったの?」 まだ明治時代のことだ。 今は途絶えている朝倉の本家は、数百年も前からから続く旧家だったと聞いている。そんな家に生まれた男性が、自分の意志だけで好きな女性と一緒になることは、当時では大変なことだっただろう。 だが、周囲が反対した理由はそれだけではなかった。 何と相手の女性がひと回り近くも年上の、未亡人だったからだというのだ。 「その方の旦那様は外地で戦死なさって…お子様もおいででしたが、ご主人が亡くなられてしまったので、子供を置いて一人ご実家に戻られたようです」 「子供さんと離れて?さぞ寂しかったことでしょうね」 「まぁ、子供を相手側に取られたというのが実のところでしょうね。経済力のない当時の女性は、泣く泣くそれに従うしかなかったのでしょう」 その後、彼女は生活のために働き口を探し、朝倉の本家に雇われることになった。 当時、朝倉は京都に本店を構える呉服商で、手広く事業を営んでおり、各店に帳簿を付ける人材が必要だった。曾祖母は、商家の生まれで、女性ながら読み書きや計算が堪能だったことから雇い入れられたのだ。 そこで大店の息子だった、嶺河たちの曾祖父と出会うことになる。 「大変だったでしょうね。ましてや100年近くも前のことでしょう?」 今年で朝倉は、創業100周年を迎える。ということは、それよりも前の話ということになる。 「ほとんど勘当同然に家を出て、ご結婚なさったときいておりますよ。学校の仕送りも止められて。旦那様の卒業までの間はずっと、奥様が働いて生活を支えたとか」 その後、曾祖父は自分で事業を起こし、今の朝倉物産の創始者となる。 後に二人の間に生まれた男児は、一人っ子として両親から惜しみない愛情を受けて育った。 それが嶺河と大地の祖父だが、彼はやはり父親の血を濃く受け継ぐ朝倉の息子だった。 その話はまた後半で。 |