薄暗くなった会場より一段高く設えられた舞台に、まず上ったのは会長夫妻だ。 会長は病気療養中で、数年前から杖を使っているとはいえ、ぴんと延ばした背筋や鋭い眼光は未だ経営者としての尊大な雰囲気を醸し出している。 夫人は六十前後の年相応の容貌をしているが、長身に着物を纏った姿は優雅な気品が感じられる。 英語に堪能な会長夫人が1970年の大阪万博開催時に外国館のコンパニオンを勤めていたことは広く知られているが、当時から定評のあったスタイルの良さは健在だ。 次に舞台に上ったのは大地氏夫妻。 昨年秋に結婚したばかりの新婚夫婦は、どこに行っても周りが当てられるほどの熱々ぶりを披露している。 今日の二人の装いも、さりげなくコーディネートされているのだが、周囲の目は夫人のロングドレスに入った大胆なスリットと、そこからのぞく綺麗に日焼けした美脚に釘付けだ。 胸元には、婚約時に贈られて話題になった高価なハリーウインストンのネックレスが燦然と輝いているが、喧嘩をした時に怒った夫人がこれをオークションに掛けて売り飛ばそうとしたことを知る者は多い。 常に話題に事欠かない華やかなカップルだ。 そして最後に登場したのが嶺河氏夫妻だった。 嶺河氏はフォーマルなブラックタイ、そして真音さんの装いは薄いグリーンのドレスで、ハイウエストに切り替えがあり、ふんわりとしたAラインとなっている。 小柄な上に踵の無い靴を履いた夫人は、ちょうど夫の肩のあたりまでしか背丈がない。 入場時も、嶺河氏の後ろにすっぽりと隠れてしまい、報道関係者はほとんど彼女の正面からのショットを撮れていない様子だ。 会長の挨拶が始まると、一瞬会場のざわめきが収まる。 だが舞台袖で見ていると、人々の関心は、中央でスポットライトを浴びている会長ではなく、その後ろで話に聞き入っている真音さんに向けられているのが分かる。 ライトが当たると僅かにドレスが透けて、身体のラインが見えるのだ。 元々華奢な体つきをしている上に、7ヶ月目に入っているお腹はさすがに隠しきれない。 傍らで妻の腰に腕を回し、身重の身体を支えている嶺河氏の姿も人目を引く。 舞台に向かって多くのフラッシュがたかれ、目が眩むようだが、その実カメラの大半は挨拶をしている会長ではなく、嶺河夫妻に向けられていた。 年齢は三十の半ばを超えているはずだが、未だ清楚な雰囲気を持ち、はにかみがちな笑みを浮かべる彼女の姿は招待客ばかりでなく、報道関係者たちの注目をも浚ったようだった。 「すごい数のカメラね」 光のシャワーを浴びて戸惑う真音さんが、隣に立つ夫に囁いているのが聞こえる。 「気分が悪くならないか?」 専務が心配そうに訊いている。 空調は効いているはずだが、私が立っている端っこ辺りでさえ煌々とライトが当たり、人が押し寄せている舞台周辺は汗ばむほどの熱気がこもっていた。 「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」 朝倉の主催するパーティーが盛会なのは彼女も経験済みだと聞く。 何せ、昨年の春、嶺河氏と偶然再会したのもパーティー会場だったということだ。昨年の業務提携記念の時には自分もその場にいたのだが、あの時より今回の方が、集まっている人間の数が格段に多いはずだ。 「創業100周年記念ともなると規模が違うのね、人の数も場所も」 聞こえてきた会話に思わず私も苦笑した。 彼女は、自分の存在がこれほどの人を集めたとは露ほども思っていない。 だからこの会場を見て純粋に驚いているのが分かる。 今回、かなりの数の招待客が、真音夫人見たさに来場していることは明らかだ。 朝倉家サイドでは、彼女に負担をかけないようにとかなり神経を尖らせていた。 嶺河氏に至っては、混乱を避けるために、そして何より愛妻の受けるストレスを思い、出席を見送らせようかとも相談を持ちかけられたほどだ。 だが、当の本人である夫人が、朝倉の一族が総出となるなら自分も出た方が良いのではないかという意向を変えなかったのだ。 普段、人混みは極力避けるようにしているという彼女にすれば、これはかなり忍耐の要る状況だと思うのだが。 「でも、やっぱりこういう場所ってちょっと苦手だわ」 正直な感想に、やはりそうかと失礼ながらも思わず頬が緩む。 「作り笑いをし過ぎて、頬にあたりのお化粧にヒビが入りそう」 「ちゃんと笑っているように見えているから安心して」 二人が睦まじくそんなヒソヒソ話をしている間もフラッシュは光り続けている。 舞台ではいつの間にか会長の挨拶が終わり、続いて新社長の就任報告と挨拶が始まっていた。 それを見届けてから、私は舞台袖を下がり、会場内に待機している他の秘書室の社員たちの元へと戻った。 「ね、見える?」 「うーん、何とか」 受付の仕事をひと段落つけた当課の社員たちも、招待客たちに混じって会場の隅に集まり、舞台の方を見ていた。 「何だか今までの人たちに比べて小さい方ね」 「その上、おとなしくて地味な感じ。ああ、もうちょっと近くでじっくり見たいのに」 さすがに招待客たちを押し退けてまで中央に寄ることはできない彼女たちも、専務夫人を直に見るのは初めてなのだ。 秘書室では、極秘事項として夫人のおめでたが伝えられていたため、他の部署の人間より衝撃度は低い。 だが、今まで散々浮名を流した専務の相手を目にしてきた彼女たちにしてみれば、妻の座に納まった女性はあまりにも平凡な容姿に写ったようだった。 「後から慰労会でじっくりお顔を拝見したらいいよ」 声を掛けると、皆驚いたようにこちらを振り返った。 「次長!驚かさないでください」 口々に文句を言う部下たちを小声で集め、扉の外に押し出す。 「さっきのお話、それ、本当ですか?」 「ああ。体調が良いから夫人もこの後の慰労会に出席することにされたらしい。専務がお連れになって社員の間を回られるはずだから、その時にね」 「うわー間近でツーショット?楽しみ」 「こら、まだ社長のスピーチ中だぞ」 知らせに盛り上がる社員たちを嗜めるが、もちろんそれは形だけだ。 前にお会いした時に見た専務の夫人への溺愛ぶりはこちらが恥ずかしくなるほどで、それを今日この場で見ることができるのではないか、と私自身も少しばかり期待しているのだ。 ちょっと悪戯心を出して彼女たちをけしかけてみる。 「多分、専務はずっと奥様にぴったり引っ付いたままで、何があっても側から離れないよ。見ててごらん」 「嘘〜」「あの専務が?」たちまち悲鳴が上る。 しかしこの時は、まさか本当にそうなるとは思っていなかったのだが…。 記念パーティーが盛会のうちに終わり、社員たちの慰労会が始まると、その席に朝倉家全員が顔をそろえた。 皆一応、礼儀正しくしてはいたが、嶺河夫妻が場所を移動すると、中にいる人間も少しずつそちらに向かって動いているのが見える。 専務はと言えば、ずっと真音さんの側に張り付いたままで、自ら夫人の飲み物を調達し、時々椅子に座らせて休ませ、馴れ馴れしく寄ってくる男性社員たちを撃退していた。 その様子を自分の目で見た秘書室の女性陣は、もう歓喜の嵐だ。留守番組の社員たちに披露するネタに大喜びの態である。 これで来週の社内の噂話のテーマは「専務の愛妻ぶり」に決定か。 かく言う私も、帰宅後に妻に話して聞かせる話題にしようと目論んでいる。 こうして慌しい一日が滞りなく終わった。 後は真音さんが無事にお子さんをお産みになってくだされば、朝倉の未来は明るいものになるに違いない。 陰ながら、私はそう願っている。 HOME |