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   セカンド ・ マリアージュ  57


その日、帰宅した彩乃に奏子が事の成り行きを話すと、彼女はさして驚くことなく意外にすんなりと納得したようだった。それどころか、奏子に黙って史郎が守谷に会いに行ったらしいという事を聞いてもふうんと頷いただけで、その反応の薄さに奏子の方が首を傾げたくらいだ。
「彩乃、不思議に思わないの?」
「何が?」
「何が、って、その……何で史郎さんがそんなことをしたのかって」
すると今度は彩乃の方が驚いたような顔をする。
「何でって、ねぇ、そりゃ彼ならそのくらいはするでしょう、あなたのためだったら」
「で、でも、あんな風にこっちの勝手で別れたし、今はもう関係すらないし」
彼女がそう言うと、彩乃は「はぁ?」と脱力したような声を上げた。
「ねぇ、奏子ぉ」
彩乃は信じられないと言わんばかりの半目でこちらを見ている。
「本気でそう思ってる?」
何でこんな風に自分が親友に睨まれなければならないのかが分からない奏子は、一歩後退りながらもごもご口ごもる。
「だ、だって」
「だっても何も、わざわざ守谷さんに頭を下げにいくくらい、寺坂さんがまだあなたに未練タラタラだからでしょうが」
「ええっそ、それはないよ、絶対」
「じゃ何で彼は別れた元嫁をお願いしますなんてこと言いに行ったわけ?」
「それは多分、不甲斐ない私を見かねて……史郎さん、あれでなかなか面倒見が良いから」
ああ、不憫だわ、寺坂さん、と彩乃は脱力したように壁に寄りかかって出てもいない涙を拭う真似をする。
「あのさ、奏子。考えてもごらんよ。男って普通は好きでもない女にはそこまで尽くせないものじゃない?うんにゃ、たとえ好きでもそこまでできる人はなかなかいないよ」
「よ、よく分からないけど、そんなものなの?」
ぐいっと迫られ及び腰になった奏子に、彩乃が更に畳みかける。
「第一余程のことでもない限り、元とはいえ自分のパートナーだった女性の、現在の交際相手と思しき相手(オトコ)に頭を下げたりは絶対にしないわ。往々にして男にはこだわりというか、変なプライドみたいなものがあるからね。だからこそ、彼が敢えてそこを曲げてまで直談判に行ったっていうところがポイントよ」
「そ、そうなんだ?」
分かったような分からないような話について行けず、奏子は曖昧に語尾を上げる。その様子を見て、彩乃はわざとらしくため息をついた。
「奏子、いい加減気付いてあげなさいよ。寺坂さんの気持ちに」
「史郎さんの気持ち?」
「そう。彼、まだあなたのこと諦めきれてないんじゃない?きっと」
「諦めるって……史郎さんは最初っから私に対してそんな気持ちは持っていないのに?」
それを聞いて彩乃の眉間に皺が寄る。
「それなら、彼は何であなたとの結婚を承諾したと思っているの?」
「それは……多分会社のためとか、ウチの父親に懇願されて仕方なくとか」
「……ありえない」
彩乃は今度は本気で盛大なため息をついた。それを見て、奏子はなおも言い募る。
「だって、私と史郎さんじゃどう考えても釣り合わないでしょう?彼は父に後継者として会社を託され、そのついでに私の面倒も引き受けようとしてくれた。最初は私もそれで良かったの。彼の奥さんとして、側に居られればそれでいいって思ってた。でも、段々と一方通行な気持ちが我慢できなくなって、結局は彼の元を飛び出してしまった」
奏子はその時のことを思い出したのか辛そうな顔で俯く。そして消えそうな声で、ぽつりと呟いた。
「私たち、多分最初から無理があったんだよ」

そんな親友の姿を目にして、彩乃はそっと指先でこめかみを押さえた。
ありえない。この期に及んでまだそんな風に考えていたなんて。
大学をドロップアウトしてからの数年間、奏子とは事実上没交渉状態だった。それはひとえに彩乃の側の事情によるものだったのだが、その間に彼女は結婚、離婚を経験していた。最初にその経緯を聞いた時、彩乃は単純にこの結婚を茶番だと断じ、酷く憤りを感じた。もちろん、その相手であった史郎に対する評価もどん底で、奥手だった友人の恋心を踏みにじった極悪非道な男だと決めてかかっていた。
しかし実際にふたを開けてみれば、奏子だけでなく史郎の方も相手に未練たらたらで、しかもそれを隠そうともしない。いや本人は巧く隠しているつもりなのかもしれないが、傍から見れば彼女に対する感情はダダ漏れだ。
特にこの数ヶ月というもの、守谷という対抗馬が現れたことできっと彼も気が気ではなかったに違いない。奏子の口からしばしば聞こえてきた史郎の動向を知るにつけ、彼が意識して彼女の周りに出没していたように思えるのは強ち穿った見方ではないだろう。
それなのに、奏子は未だ史郎が彼女に向ける気持ちに気付く気配すらない。それどころか本気で彼が子供を見守る保護者ようなの目で自分を見ていると信じて疑わないのだ。
どこの世界に我が子を見る目に恋愛感情を乗せる親がいるというのか。いや、もし仮に居たならば、それはそれでちょっと怖いものだが。
どこまでも浮かばれない男、寺坂史郎。
彩乃の中での彼の評価は決して上がったわけではないが、そのいじらしささえ感じる努力は認めるに値するだろう。
とはいえ、こういったことはまず当事者が気付かなければどうにもならない。それにいくら自分が言ってみたところで、恐らく奏子は素直にその言葉を信じることはないだろう。
だから今の彼女にできるのは、なぜ彼がそんなことをしたのかを直接本人に聞いてみるよう勧めることだけだ。
だが、やはりというか案の定というか、彼女はとてもそんなことはできないと尻込みした。もちろん、それも想定の内だ。
「でも、守谷さんとの話はなかったことになったって、まだ寺坂さんには言ってないんでしょう?」
そんなことは承知の上でわざと話を振ると、奏子は気まずそうに頷いた。
「多分。お父さんたちは何となく気づいているみたいだけど、史郎さんには言ってないと思う」
「それなら尚更きちんと言っておかないと。もしこれ以上接触されると守谷さんの方にも迷惑がかかるでしょう」
「う……ん、そうだね。ちゃんと伝えた方が良いよね。あ、でも何だったらお父さん経由で……」
「自分できちんと言いなさい。それがケジメってもんでしょう」
「……はい」
しょんぼりした奏子を見て可哀想な気がしなくもないが、ここはひとつ心を鬼にして彼女を見守るのが正解だろう。
そして彩乃は心の中で、今この場にいない史郎に挑戦的な言葉を投げつける。
さあ、寺坂史郎、この状況が吉と出るか凶と出るかはあなた次第。多分これが最後にして最大のチャンスと思い、せいぜい大人の男の本気と余裕をみせるがいい、と。




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