BACK/ NEXT / INDEX




   セカンド ・ マリアージュ  55


それからしばらく経った頃。
奏子の勤める工場で新たな人事が発表された。
とはいっても動くのは管理部門のいる事務系の人だけで、自分たちに関係するのはここの管理責任者を兼任している守谷だけだ。
彼は来月1日付で本社に復帰する。そして当面はその後任として総務の係長が職務に当たることが決まったらしい。
というのも奏子たちが働くこの食堂も来年度には閉鎖されて、その後は工場内にある従業員食堂に一本化されることが決まっていた。いわゆる合理化計画の一環というやつだそうだ。
どうやら守谷が本社から出向してきた主な目的はここの工場のコスト削減の洗い出しだったようで、それに一定の目途がついたことで再び呼び戻されることになった、というのが専らの噂だった。


「やっぱりねぇ、守谷君ってばイイトコのお坊ちゃんだったのね」
守谷が本社の偉い人との間に太いパイプを持っていることは、中本をはじめとする厨房の従業員たちも薄々は感じていたようだが、親会社のしかも創業家の縁者だということをはっきり知ったのはこの人事発表があってからのことのようだ。
「そう言われてみれば、のんびりしているようで、結構細かいところまでしっかり見てたわよね」
「本社にもよく呼び出されてたし」
「上の人たちに無理がきいたのも、やっぱりそういうことがあったからかもしれないねぇ」
休憩時間に噂話に花を咲かせるおばちゃんたちは、互いに頷き合っている。
それをぼんやりと聞きながら、奏子はカップに淹れたコーヒーを啜っていた。
守谷が彼女の元を訪れたあの夜以降、彼とはまったく話をしていない。時折仕事中にその姿を遠目にみることはあったが、互いに言葉を交わすような機会はなかった。

「で、カナちゃんはどうするの?」
突然話を振られ、ぼうっとしていた奏子は思わず素っ頓狂は声を上げた。
「へっ?わ、私ですか?」
何で自分が、と驚く彼女を見ながら、中本が頷いた。
「そう。だってあなた、守谷君といろいろ話があったじゃない」
彼女が守谷と何となく良い感じになっていたことはここの人たちは皆知っている。ただ、奏子が彼の押しの強さを歓迎しなかったので、おばちゃんたちも遠慮してあまり話題にはしなかったのだ。
「もしかして、一緒に行くの?」
「い、一緒に、って……」
奏子が答えに困っているを勘違いしたのか、彼女たちは思いを口々にする。
「守谷君、あっちに戻ってしまうんだったら、カナちゃん一人こっちに残るなんて我慢できないだろう?」
「せっかく仕事に慣れてきて勿体ない気はするし、シフトの方もやっと楽になったところだけどさ。もしそうなら……」
「そうだよね。皆で気持ちよく送り出してあげるよ」
奏子はそう言って畳み掛けてくる中本達を何とか手で制した。
「あ、あの、ちょっと待って下さい。守谷さんとはそんな話はまったくしていないですよ。それに私、これからもずっとここで働かせていただくつもりですけど」
「でもあんた……」
「元々守谷さんとはそんな関係ではなかったですから」
奏子はきっぱりそう言い切ると、座っていた椅子から立ち上がった。
「彼にはいろいろお世話になりましたし今でも良い方だと思っています。でも本当にそんなんじゃないんですよ」
彼女は自分を見つめる同僚たちに向かって引き攣り気味に微笑むと、皆より一足先に休憩室を出ていった。
それを見送ったおばちゃんたちは互いに顔を見合わせる。
「これは……」
「……多分」
「カナちゃんに振られたんだな、守谷君」

守谷の執心ぶりを考えると、自分がここを離れるからといってハイ、サヨナラと簡単に彼女を手放すとは到底思えなかった。一緒に連れて行くか、それとも自分の目が届く範囲に囲い込んでしまうか、とにかく普通ならこのまま放置はあり得ないだろう。
しかし奏子の発言を聞くにつけ、どうやら彼はその囲い込みに失敗しただけでなく、彼女に「関係ない」ときっぱり言い切られる事態に陥ってしまったらしい。
「やっと彼にも春が来た、と思ってたのに」
「不憫だねぇ、守谷君」
奏子に続いて外に出たおばちゃんたちは、前を行く彼女に聞こえないように声を潜めつつ、ちょっぴり残念そうにそう言い合ったのだった。


そして守谷が離任する日。
朝からあちこちに挨拶に回っていたという彼が厨房に顔を見せたのは、そろそろ夕食の準備を始めようかという時刻だった。
その日のシフトは中本と吉田、そして奏子の3人で、休みや午前のみのシフトで直接会えない他の人たちからは彼に渡して欲しいと餞別や花束を預かっていた。

「お世話になりました」
あいさつ回りのためか、今日の守谷はいつものジャンバーではなくきちんとしたスーツ姿で厨房に姿を現した。
彼はそこにいた人たちと一通り別れの挨拶をしてから、しばらく雑談をしていたが、そろそろ夕食の準備に取り掛かるという従業員たちの言葉に、厨房を後にする。
最後ということもあって、奏子は気を利かせた中本達に見送りを託された。
「本当に、いろいろとありがとうございました」
奏子はそう言うと、戸口のところで深々と頭を下げる。そんな彼女を見ながら、守谷は何か言いたげだ。
「久世さん」
「はい?」
躊躇いがちに呼びかけられ顔を上げると、向き合った二人の視線が合う。そしてその後、彼の口から思わぬ言葉が飛び出してきたのだ。
「実はね、あれから僕は君のご主人……いや、元のご主人だけど、寺坂さんにお会いしたんだ」




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME






Photo by 7style