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   セカンド ・ マリアージュ  54


彼が奏子に向けてくる好意は疑う余地がない。
最初はあまり積極的ではなかった奏子の目を外に向け、早く職場に馴染めるように気を配ったり、離婚で失いかけた自尊心を取り戻すのに一役買ったりと、何くれとなく彼女に良くしてくれたことにはいくら感謝してもし足りないくらいだと思う。
もしも結婚と離婚を経験する前の、まだ真っ新な状態の自分だったとしたら、守谷は無条件で好感を持つに値する男性と言っても過言ではないだろう。
巧く隠した本性はさておき、見た目は爽やかな好青年でしかも女性の扱いに慣れている分、口にしなくても彼が先回りしてこちらの希望をくみ取ってくれるのだから、まさに至れり尽くせりだ。その上後付で知ったことではあるけれど、実はハイソな彼のバックグラウンドは現代の王子様のレベルだったりする。
このまま深く考えずに彼の手を取ってしまえば、きっと自分は世間が羨むような生活を手に入れることになるに違いない。ただし、それはともすれば再び目には見えない柵という囲いの中に自らを閉じ込めることになる危険性を秘めていることは、前の経験から分かっていた。
今のところは守谷が彼女の意思を尊重すると言ってくれているけれど、周囲の人たちが皆、すべてそれに同調してくれる保証はない。今回のことに関しても、守谷の家族は奏子に彼の伴侶としての役目だけでなく、家の嫁としての振る舞いをも強く期待していることが伝わってくるではないか。
彼が盾となって防いでもいつかきっと限界が訪れるだろう。それが分かっていながら守谷はそのことを一時棚上げしているに過ぎない。

それでも以前の彼女ならば、それらを含めて自分の選ぶ道だと納得できたのかもしれない。しかしかつて奏子はそれに失敗し、自分を見失ったという苦い経験がある。結婚というものは、否応なしに周りを巻き込み、周りに巻き込まれるもので、自分がしっかりしていればどうにかなるようなものではないということも、充分知っているのだ。だからこそ、守谷の言葉を鵜呑みにすることはできなかった。

「守谷さん、もう止めて下さい」
少し強い調子で再度促すと、ようやく彼が顔を上げた。それを見た奏子はふふっと笑って見せた。
「分かっているんです。みんな……多分周りにいる人たちは多かれ少なかれそう思っているんですね。ただ、あまり正面切って言わないだけで」
その言葉に守谷が険しい表情を浮かべたのを見ながら奏子は話を続ける。
「でもそれは仕方がないことだと思っています。だってみんながみんな、その……私たちが別れた理由を知っているわけじゃないですし。傍目にはそう思う人の方が普通の感覚なのではないかしら」

これだけ世の中に個人の自由という言葉が満ち溢れていても、昔からある価値観はそう簡単に消え去るものではない。今でこそ、バツイチなんて珍しくないと言える時代になったけれど、それでも離婚には少なからず誤解や偏見を持たれやすい。
現に奏子に甘い彼女の両親でさえ、何とかそれだけは思いとどまらせようとしたくらいだ。
ましてや守谷は初婚で、それも兄たちとは年が離れた末っ子ということもあって、彼の家族にしてみればいろいろと思うところもあるに違いない。

そして何より奏子自身が未だに史郎を心の中から追い出せないでいることが、守谷とのことに踏み出せない最たる理由だった。
自分を想ってくれる男性に、それを言うのはかなり失礼なことだということは重々理解している。しかしだからといって今すぐにどうこうしたいとは思えないし、もっと自分の気持ちにけじめをつける時間が必要なのだ。
けれど、今まではそれを正直に守谷に告げてよいものかどうか、彼女には判断できなかった。もっと言えば、まだ別れた夫に未練があり、それを振り切れない自分を知られるのが嫌だったのだ。
だがこれ以上この状態を長引かせることは、彼をもっと追い詰めることになる。
自分のちっぽけなプライドを守るために、彼を、そして周囲の人まで巻き込んで迷惑を掛けてしまうことに、奏子の良心は耐えられそうになかった。

「守谷さん。あの……」
玄関で、帰りかけた彼を呼び止めた奏子は一瞬言いよどみ、俯いた。
言い難いことを急いで言わなくても、また日を改めてでもいいのではないか。そう言って唆す声が自分の内側から聞こえてきたからだ。
今言わなければきっと明日も言えない。そしてきっとそれはずっと口に出せないまま、やがて彼女の中でもうやむやになってしまうだろう。それではいけない。そんなことをすれば、せっかく勇気をもって自分の殻を破って外に飛び出した意味がなくなってしまう。
奏子は守谷の胸のあたりを見つめた。どうしても、彼と目をあわせる勇気が持てなかったのだ。
守谷が彼女の言葉を待っているのを感じながら、奏子はそれを口にすることへのプレッシャーと戦っていた。
嫌だけど、怖いけれど……それでも自分はそれを彼に伝えなければならないのだ。

奏子はふっと小さく息を吐き出すと今度はしっかり彼の顔を見上げる。そして彼がこちらを見ているのを確認してから、震える声を絞り出した。
「守谷さん、ごめんなさい、私まだ、あなたとはお付き合いできそうにありません」
それを聞いても、彼が表情を変えることはなかった。その代りに彼はずばりと核心を突いてきた。
「それは、やはり彼がかかわっているのかな?」
確信を持った彼の問いかけに、彼女は頷いた。
「多分私、新しい恋に向き合えるほど、彼のことを吹っ切れていないんです」
初恋の相手であり、初めての恋人であり、短い間ではあれど夫でもあった人。奏子のあらゆることに対して「初めて」だった彼のことをそんなに簡単に忘れられるものではない。
もちろん今はまだ無理でも、時間が経てば巧く隠すことはできるようになるかもしれない。しかし完全に心の中から彼を追い出すことはきっと一生できそうにない。
そう言うと、守谷は詰めていた息をふっと吹き出した。
「そうか、分かった」
彼はそれだけ言うと、静かにドアの向こうに消えていく。
その後ろ姿を、奏子はただ言葉もなく見送ったのだった。




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