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   セカンド ・ マリアージュ  51


「奏子、ここに座りなさい」
促され、応接セットとは少し離れたところに置いてある四角いスツールに腰を下ろした彼女は来客用の3人掛けのソファーの真ん中に座っている男性にちらりと目をやった。
母の言っていた通り、父親の前にいるこの男性はこのあたりに選挙区持つ代議士だ。
しかし地元選出の議員とはいっても奏子とは全く面識がなく、国政選挙の時に掲示板に貼られたポスターの写真で顔を見知っているくらいなものだ。確か噂では土木関係に明るく、公共事業を引っ張ってくるのが得意な中堅の建設族として名を知られているようだが、もともと奏子の実家の家業とはまったく関係がない分野なのでそちらの方の付き合いもないはずだ。
それに、不思議なことに彼女が部屋に入った時、その場には微妙な空気が流れていたのも気になった。

「ああ、あなたが奏子さんですか。真田さんの御子息と婚約されたという」
そう言いながら彼女に向かって差し出された名刺を受取ろうと伸ばしかけた手が途中で止まる。
「婚約?」
奏子が聞き返すと、男性が鷹揚に頷いた。
「真田さんからはそう伺っていますが、違うんですか?」
逆に聞き返された彼女は、どう答えたらよいのか一瞬言葉に詰まった。
「……ま、まだそこまでの話には、なっていませんので」
すると男性が、おやっという顔をする。
「健介君の、真田家のご両親からはそのように取り計らって欲しいと言われましたが」

彼の実家に行き、ご家族に挨拶をしたのはつい先日のことだ。その際にも、奏子たちがすぐに結婚を考えていないと言うことは伝えてあったのだが。
奏子がそう言うと、男性はああそういうことかと、自分がここに赴いた理由を述べ始める。
「もちろん、今すぐに結婚ということは真田家の方も考えてはいないでしょう。しかし、今から準備を始めても早すぎるということはない」
つまりはこういうことだ。
余所に養子に出たとはいえ、守谷も真田の一族であることに変わりはない。彼の両親は、末息子にも兄たちと同じようにそれなりに格のある結婚式をと考えているらしい。
花嫁の顔見世となる披露宴も、国の内外から各界の重鎮を招くとなれば、かなり余裕を持ってスケジュールの調整をしなければならないし、その連絡も煩雑になる。
方や一族に嫁ぐことになる奏子も事前に学ぶべきことがたくさんあり、それらを無理なく進めようとするとできるだけ早い時期に動き始めたいという意図が真田側にはあるのだという。
それを聞いた奏子は思わず天を仰いだ。
現状、奏子にとって彼との関係はそれ以前の問題で、まだ守谷と結婚する、とはっきり決めたわけではない。先日の守谷の実家訪問だって、自分の両親を紹介しておきたいから、と言われて交際相手の家族に挨拶くらいはしておいた方がよいだろうという軽い気持ちで彼について行ったのであって、これから一生お世話になりますという重大な決意があったわけではなかった。
そのことは守谷も承知してくれているはずだし、何より今はまだ彼女自身が結婚ということに対して及び腰になってしまうのだから仕方がない。
史郎と別れた後、奏子は自身のやりたいこと、やれることをきちんと見出したことで、ようやく自分に自信を取り戻しかけている。その遅まきながらの自己肯定が結果として良い方に向かっていると思うからこそ、周りに押し切られて志半ばで中途半端に流されてしまうことが嫌だったし、このままだと再び前の結婚の時と同じ状況を作り出しかねないという自分に対する不安を払しょくし切れないのだ。
それに、守谷との関係はまだ恋愛という段階にはないと思っている。確かに彼は良い人だが、だからといってすぐにでも夫婦になれるかといえば甚だ疑問だ。
同僚や友達としては理想的な人であっても、夫として自分を預け、家族を作っていけるかと聞かれれば答えに躊躇する。互いをそこまで認められるようになるまでには、まだまだ時間が必要に思えた。

彼のことを好ましく思ってはいるけれど、愛していると言うところまでは踏み込めない。ただでさえ、結婚というのは現実的で生々しい問題がたくさんあるものなのだ。
好きという単純な感情だけでは一緒に暮らしていくことは難しいことも、苦い失敗を経験している今の奏子には理解できた。
さすがにそれをストレートに言葉にするのを躊躇った彼女は、守谷との話し合いでは結婚の時期などもまったく未定であることや、仮に彼と結婚しても仕事は続けたいこと、それに自分にはとても似つかわしくない、真田の華やかな一族とは少し距離を置きたいと考えていることを話したのだが、奏子の態度を煮え切らないと判断したのか、代議士は今度は父親の方に話の矛先を向けてきた。

「お父上としても、こういった良縁は早くまとまった方は安心されるとは思いますが」
そういって暗に娘の決断を促せといわんばかりの発言に、父親は明らかに不快な思いをしているようだ。しかしそれ以上に険しい表情で成り行きを見守っているのが史郎だった。
表向き冷静に話を聞いているように見えるが、実はかなり不機嫌だと分かるのは、短い間とはいえ共に暮らした奏子だから分かることだ。
父親に書類を届けに来ただけなのに、今はもう他人となった元妻のゴタゴタに偶然巻き込まれてしまったらしい史郎も辟易しているのだろう。

もちろん、初見の代議士にそんな空気が読めるはずもなく、彼は滔々とごり押しの持論を展開していく。
真田と縁戚を結ぶことで仕事の幅は確実に広がるしいろいろな箔がつく。バックに真田の名があるだけで立場はがらりと変わるのだ。言うならば寄らば大樹の陰、こんなご縁は万人が望んだところで簡単に得られるものではない、といかに彼女の結婚が家と会社に利を生むのかを説いている。
さすがに代議士、口の滑りは滑らかでなかなか他人に意見を挟ませないところは見事としか言えないが、奏子には尤も苦手とするタイプだ。
しかしいくら調子よく美辞麗句を並べたところで奏子の父親は以前から娘の意思を尊重し、彼女の自主性に任せると言ってくれているせいか、一向に芳しい反応を見せない。
段々と打つ弾が無くなってきた代議士も少しずつ苛立ちを見せ始め、遂にはこの話を拒んだ場合の負の影響にまで踏み込んできた。
そしてとうとう、というか、ようやく彼はその本音の部分を匂わせ始める。
つまり彼が言いたいのは、一度結婚に失敗した女をこんな厚待遇で妻に迎えてもらえる機会は二度とない。それも相手は天下の真田家だ。それなのに何をそんなに選り好みしているのか、といったところだろう。
まぁ、それとて奏子も自覚していることなので、今さら指摘されたところで怒る様な筋合いのものではない。というよりも仔細を知らない他人に何を言われてものらりくらり交わしていけばどうってこともないものだと思っていた。しかし彼女の父親や元夫の神経を逆なでするには充分過ぎるファクターだったようで、一気にその場の空気が険悪になったように感じた。

「とにかく、今はまだ、そんな段階ではないので、具体的に話を進めるつもりはありません」
はっきりとそう答えた奏子に、彼女の父も同意する。
「先方のお気持ちはよく分かりましたが娘の一生のことなので、親とはいえ、私はごり押しはしないつもりです。家や事業のことについても、そのために子供を使ってどうこうしようという考えは私にはない」
その言葉に、奏子はお礼の意味を込めて小さく頷いた。

恐らく仲介を依頼された時には、こんな風に頑なに拒まれるとは思ってもいなかったのだろう。完全に拒絶された格好の代議士は、面目を潰されたとでも思ったのか、苦々しい顔している。
それでもまったく揺らぐ気配のない父娘に、遂に代議士は帰ると言い出して腰を上げた。
そのまま部屋を辞すればよかったのに、よほど悔しかったのか代議士はそこで不用意な一言を吐き出してしまう。
「まったく、お高くとまってるな、出戻りのくせに」

その言葉を聞きつけた奏子が反応する前に、すぐ側で何かが素早く動くのを感じた。
「史郎さん?」
そして気付いた時には、彼女の目の前で史郎が代議士に掴みかかっていたのだった。




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