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   セカンド ・ マリアージュ  50


『奏子、すぐにこっちに来てちょうだい』
母からの電話があったのは、その週の半ばのことだった。
半日出勤の予定で、午前の仕事を終えて帰宅した奏子は午後の半休を使って久々に服でも買いに行こうかと考えていたのだが、そんなのんびりした気分は一気に吹き飛んだ。
「何?お父さん?またどこか悪いの?」
しかし電話口の母は「そうじゃないの」と言ったきり、あとはひたすら彼女を急かすのみだ。
要領を得ないまま、奏子はすぐに通勤に使っているカバンを掴んでそのままマンションを出た。
この時間だと、少し走って駅まで行けば客待ちのタクシーを捕まえられる。迎車を待つよりもその方が早い。

駅前のロータリーにいたタクシーに乗り込み、一路実家に向かう。
時間にして20分から30分くらいで実家に着くと、彼女はわざと玄関を使わずに勝手口の方から家の中へと入った。
「お母さん?あの車は何?」
こっそりと入ったキッチンで母親の姿を見つけた奏子はなぜか声を潜めた。別に理由があるわけではなかったが、何となくそうした方が良いような嫌な雰囲気が家じゅうに漂っていたからだ。
堂々と門の前に止まっている、黒塗りの高級車。父親が使っているものではないことは明らかだ。
「ああ、お帰り奏子。それがねぇ……」
ダイニングテーブルの椅子に母娘で向かい合わせに座ると、母親が困惑した様子でこれまでのあらましを語りだす。
「お昼すぎに、突然お客様が来られて」
「まさか、アポなし?」
「一応電話はあったみたい。でも、何の用だか分からないってお父さんもちょっと首を捻っていたなの」
聞けば実家を訪れたのは、このあたりに支持基盤を持つある代議士だった。その家は何代か続けて国会議員を排出していて、確か今の議員は三代目か四代目だったはず。その人のお父さんは以前何かの大臣職を務めたことがあるはずだけれど、本人は名前を知っているくらい、という程度の繋がりだ。
奏子の父親も会社関係の絡みで、後援会などに名を連ねているのだろう。その方面の伝手で選挙の時の応援などでの接点はあるはずだが、取り立てて親しい間柄だと聞いたことはない。
しかし、それと自分がどう絡んでくるのか、奏子の頭の中は疑問符で一杯だ。
「でも何で私が呼ばれるの?」
「それがねぇ、何でも守谷さんのご実家から依頼があったとかで」
「守谷さんの?」
奏子は週末に彼の実家を訪問した帰り道で彼が話していたことを思い出した。守谷は実家の両親たちには先走らないよう釘を刺しておくようなことを言っていた気がするが、彼が思ったようには収まらなかったということだろうか。
「お母さんあの人苦手だわ」
「今応接にいるお客さん?」
「そう。何か立ち居振る舞いがすごく横柄なの」
母親が見るからに嫌そうな顔をする。いつもは挨拶がてらお茶を出すのは母と決まっているのに今日は家政婦さんに頼んでやってもらった、と聞いて奏子は眉を顰めた。おっとりした彼女がそんなあからさまな態度をとるのは珍しい。余程なにか腹に据えかねることがあったのか。
とりあえず、自分のことで来訪したと聞き、奏子も応接室に行かざるを得ないだろう。
守谷の家族がらみのことでもあり、できれば彼にも事情を聞きたかったのだが、平日の昼間ということもあって、携帯は留守電状態のままでまったく連絡がつかない。
気が進まないながらも奏子が腹を決めて立ち上がったその時、テーブルの上にバイブにして置いてあった彼女の携帯が突然震えだした。
「守谷さんかな」
慌てて取り上げてみると、着信がある。しかしそれはなぜか兄の大貴からだった。
時々メールで近況を教え合う姉とは違い、兄とは滅多なことでは連絡を取らない。時々実家で顔を合わせればそれで充分事足りるし、多忙な兄はほとんど携帯に出ることがないせいもある。いざメールといっても特段の用事でもなければこれまた何を伝えることもないから、ついついご無沙汰になてしまうのだ。
しかし、なぜ今このタイミングで?
奏子は疑問に思いつつも、スマホの通話ボタンを押す。
「お兄ちゃん?」
『奏子か?』
「うん、お兄ちゃんどうしたの?」
『いや、さっき母さんから事務所に急ぎの電話が入って、奏子に連絡をしてくれって伝言があったみたいだから。お前になにかあったのかなと気になって』
「お母さんが?」
目を上げれば、前にいる母親が頷いた。
『それで、何があったんだ?』
向こうの電話口から背後のざわめきが聞こえる。外にいるらしい兄に、今しがた母から聞いたことを伝えると、大貴はちょっと考えるような風で間を置いた。
『そうか。分かった。だが僕は今はちょっとそっちには行けないから、いいか、時間がないからよく聞けよ。奏子、お前のスマホ、ボイスメモの機能があるだろう?』
「ボイスメモ?何それ?そんなのあったかなぁ。使ったことがないから」
そう言うと、電話の向こうの兄が大きなため息をついたのが聞こえる。しかし、最新機器を自由自在に使いこなす兄とは違い、奏子にとってのスマホは電話以外のなにものでもないのだから仕方がない。
『多分あるはずだが。もしかして、アプリを入れていないのか?』
そう言われてもイマイチよく分からず、耳から離したスマホをじっと見てみる。そんな彼女の様子を見ているかのように、大貴は再び「はぁー」とため息を漏らした。
『もしなかったら、間に合わせに動画機能でもいい。それなら分かるだろう。写真と切り替えをするやつだ。とにかく何か音声を残すものを探して今日の会話をすべて残すんだ。いいな」
「……分かった」
『もう戻らないといけないから、また後で電話する。親父たちにもそう言っといて』
「うん、分かった。伝えておくよ。ありがとう」
そういって通話を切った奏子は、兄にいわれたようにスイッチを入れたままのスマホをスカートのポケットに忍ばせる。
そして自分と一緒に行こうとする母をキッチンに留めると、奏子は応接室の前に立った。
「奏子ですけど」
「入りなさい」
ノックしてからそう名乗った彼女は、応じた父親の声に促されてドアを開ける。
まず最初に目の入ったのは正面に座っている父親の姿だ。その正面にはこちらからは後ろ姿しか確認できないが、スーツを着ている男性が座っているのが見える。おそらくこの人が父を訪ねて来た客人だろう。そしてもう一人、父親の横に男性が立っている。それは……

なぜここに史郎さんが?

どういうわけか、そこには彼女の元の夫である史郎の姿もあったのだった。




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