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   セカンド ・ マリアージュ  5


一年という割合長い婚約期間を持った二人だが、結局式を挙げるまで体の関係は一切持たなかった。
デートといえば、美術館や映画やコンサートに行き、それにドライブや食事を加えて夜の10時ごろまでには家に送り届けられる。今思えば成人男女の付き合いとしては若干健全すぎる感はあるが、それくらいが実家住まいの奏子相手にはちょうどよかったといえるのかもしれない。
もちろん、彼女だって男と女のことなど何も知らないなどという、清純ぶったことを言うつもりは毛頭ない。それでも彼の方からアクションを起こさないのならば、敢えてこちらから動く必要もないだろうと思っていた。
特にその実経験がない奏子は、好きな人と体を重ねるということに仄かな憧れのようなものを抱いていた。それが愛し合う二人のきずなを確かめ合う行為だと思うと妙に神聖なことのように感じられ、結婚式の夜まで自分が綺麗な体であり、それを史郎に奉げることができるのを誇らしくさえ感じていたのだ。
その間に、彼がどのようにしていたかなど知る由もないが、少なくとも一年間禁欲生活をしていたとは思えない。ならば彼はその相手をどこでどうやって見つけていたのか。
そういったことも含めて、奏子は自分が史郎の中でどういうポジションにあるのかを正確に把握することができなかった。
今思えば、多分自分が思うほど彼に思われていたわけではなかったのだろう。少し冷静に考えれば、自分が婚約者という態の良い添え物になっていることなど、すぐに分りそうなものなのに。

結局、結婚してからも史郎との距離は縮まらなかった。
忙し過ぎる夫は妻に構うことができず、また彼女の方もそんな史郎にどう接すればよいのかが分からず戸惑った。
婚約期間中は時々顔を合わせて楽しい時間だけを過ごし、後は別々の場所に帰ることができるが、結婚するとそういう訳にはいかない。
機嫌の良い日もあればほとんど言葉を交わすこともないくらい調子の悪い時もある。常に側にいるということは、互いの良い面と悪い面の両方を等しく引き受けることに他ならないと頭では分かっていても、今まで一緒に暮らしてきた家族ではなく、夫という他人と一対一で向き合うことは奏子に必要以上のプレッシャーを与えることになった。
また、対外的には彼女との結婚を機に将来を見据えた形で昇進を果たした史郎は、以前にも増して多忙な日々を過ごすようになった。立場上催しごとに招かれる回数が増え、必然的に奏子も同伴者として同席する機会が多くなっていく。
元々人前に出るのが苦手な性質の彼女は、そういった席で自分が何かしくじることで夫の仕事に差し障りが出ることを恐れるあまり、彼と一緒に出掛けることを躊躇うようになる。無理をして出てもいざその場に着くと足が竦んで動けなくなってしまったこともあった。初対面の人に混じり、挨拶をしようとすると緊張で体ががたがた震えだし立っているのがやっとという状態になる彼女は、そういう場では彼のお荷物以外の何物でもない。
史郎にそのことで責められたことはなかったが、内心ではさぞかし呆れていたことだろう。自分自身もそんな不甲斐なさが情けなく、彼女はますます委縮していった。

自分に自信をなくした奏子は外に出ることを諦め、せめて家の中だけでも史郎に尽くしたいと思うようになった。
何をするのも夫第一、自分の生活のすべてが彼を中心に回っているかのごとく、彼女はひたすら家事に勤しんだ。
今思えばその姿は、夫婦というよりも、主人と家政婦のようだったかもしれない。
一緒に生活しているというのに、巷でよく見る新婚カップルのような甘い雰囲気などどこにもなく、新居に遊びに来た彩乃から、彼との接し方や会話があまりにも他人行儀で傍から見ても夫婦らしくない、と言われたこともある。

一部の隙もなく夫の支度をし、完璧に家事をこなす。良き妻になり、いずれは良き母としてしっかりと子供を育てていく。
それらがいささか時代遅れな考えだと知りながらも、あの頃の奏子はそれが自分に課せられた妻としての務めだと信じて疑わなかった。
だが、これでもかというほどに尽くしたところでそれは自己満足にしかならない。その後も夫との関係が改善されることはなく、他人行儀な日々は続いていく。
こうでなければならないという固定観念に凝り固まってしまった妻は雰囲気まで重苦しくしてしまったのか、奏子には史郎が家にいる時間がむしろ減ってしまったように感じた。
自分のどこがいけなかったのか、何が足りないのか。
彼のいない家で一人孤独に、奏子は自分で自分を追い詰めていった。

「今思えば私って、さぞかし独りよがりで重たい女だったんだろうな」
奏子は自嘲気味にそう呟いた。
決して史郎のことが嫌いになったとか、そういうことではない。多分今だって、彼のことが好きなことに変わりないと思う。
それでも一緒にいて彼に認められないという事実が辛くてたまらなかった。
先を進む史郎に置いてきぼりにされることが腹立たしい反面、隣に並ぶだけの力も気概もない自分。更にその鬱積した気持ちを彼にぶつけるだけの勇気さえ持てないことが、彼女には心底情けなかったのだ。

奏子は自分が離婚という選択をしたことを後悔はしていない。恐らくあのままの生活を続けていたならば、疲れ果てた彼女の心はいずれ壊れてしまったと思う。
ただ自分の至らなさと身勝手で史郎の気持ちとキャリアを傷つけてしまったことだけは一生悔い続けるだろう。


奏子は寝返りを打ち、側にあった目覚まし時計を手に取った。
針が示す時刻はそろそろ12時を回る。思っていた以上に長々と、とりとめのない感傷に浸っていたようだ。いつの間にかリビングから微かに漏れていたテレビの音も聞こえなくなり、彩乃も自室に引き上げたのだと知る。
明日の朝は少し早目に起き出して、家事を片づけておこう。
そう思った彼女は興奮と不安を心の中に押し隠し、布団の中で目を閉じる。

外の世界を見ることで自分を変えることができるかもしれない。否、新しい自分に変わってみせる。
そんな決意を秘めた彼女が最初の一歩を踏み出す日が、今始まろうとしていた。




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