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   セカンド ・ マリアージュ  49


車に乗ってからもしばらくの間、守谷は無言のままハンドルを握っていた。
その重苦しい雰囲気を感じつつ、助手席に座る奏子も何も言えないままじっと前を見つめる。

恐らく彼は、今まで奏子をここに連れてくることを躊躇っていたに違いない。こうなることを予測して。
後継という立場を背負ってしまうと、どうしても結婚を急かされる。それは奏子自身にもあったことだし、久世の家よりはるかに負うものが大きい守谷の家、そしてひいてはそれが彼の実家である真田家の事情にも影響を及ぼす。
逃れたくても逃れられない環境で、物心ついてからずっと事あるごとに自分が置かれている立場の重要性を刷り込まれてきたであろう守谷がそれに抵抗しきれないのは当然のことだろう。
現に、好きだけではどうにもならないことだって、世の中にはたくさんある。
奏子の場合はたまたま自分が史郎に恋心を抱いたせいでそういった歪みを感じることもなかたが、家格を重んじる結婚をした人の中には後々までそういった負のストレスに悩まされることもあると聞く。
生まれながらに豊かな生活を享受することを当然のものとして受け入れる彼らだが、それと引き換えにいろいろな責任がついて回る。その最たるものが伴侶を得て後継をもうけることだろう。
だから守谷の母親たちが言うことが分からないわけではない。
現に奏子も史郎と結婚するまでは同じような考えだった。
戦前から続く女子校育ちで、そういう校風だったせいか、女性だから表だって立つことはしなくとも後継者として家を守れる配偶者を得るのは当然だし、結婚すれば子供を産み、その子を跡継ぎとして育てていくのはごく当たり前のことだと思っていた。
もちろん、彩乃のように同級生たちの中にも仕事を持ち、第一線でバリバリ働く友人がいないわけではない。
しかし彼女の学友は大学を出ても家事手伝いという名目で就職自体をしなかったり、社会に出て一、二年の間に結婚してそのまま家庭に入った者もかなりいる。
奏子自身も元来オフィスワークに向いていないという自覚があって、結婚が決まったのをこれ幸いに外に目を向けることをしなかったし、それで不都合はないと思っていた。結婚して子供を持ち、夫を立てながら家庭を守ることが自分に課せられた使命だと信じて疑わなかったのだ。
しかしそのあまりに強い思い込みは後に閉塞感を生み、奏子を精神的に追い込むことになってしまった。
もちろん、通常であれば結婚したからといって全神経を夫に向け、すべての人付き合いをシャットアウトしてしまう必要はなく、むしろ適度に外に出てストレスを発散させることも可能だが、内向的な奏子は自分からそれを求めることをしなかった。否、できなかったと言った方が正解かもしれない。史郎の存在を自分の中で勝手に絶対的なものと位置づけ、いつの間にか彼を中心にして世界を回すことしか考えられなくなっていたのだ。

一旦そこから外れてよくよく自分を見れば、そんな生き方自体がおかしいことに気付くはずだ。しかし奏子は史郎の下を飛び出すまで冷静に己を振り返ることができなかったのだから仕方がない。
自分を取り戻せたことは良かったが、それと引き換えに彼を傷つけ、家族や彩乃にまで心配を掛けてしまったことを思えば、その代償は決して小さくはなかった。だからこそ、彼女はもう二度と自分を見失ったりはしない。それが迷惑を掛けた皆に対して奏子ができるたった一つの贖罪なのだから。


「驚いただろう?」
帰りの道を半分くらい過ぎたあたりで、守谷がようやく口を開いた。
「はい。ちょっと……話が勝手に進んで置いてきぼりを食らった気持ちです。自分のことなのに他人事みたいというか」
顔を顰めつつも正直に答えた奏子に、守谷がふっと頬を緩める。
「まぁ、僕もあそこまで強引にくるとは思わなかったけど」
それでも何となく展開は予想していた、と守谷は話す。
「そもそも、この話は僕が守谷の家に入るってことになる前からいろいろあってね」
元々彼の母親の実家である守谷家にも、後を継ぐ者がいなかったわけではない。しかし母親の兄弟が早くに亡くなり親族の中から有能な後継者を得ることができなかった祖父母は先細る家を心配して嫁がせた娘の子供たちのうちの誰かを家に迎えようと考えた。
「ま、順当にいって、一番下で三男の僕が選ばれてもおかしくはない。でもね、そこでちょっともめたんだ」
彼が正式に真田から守谷になったのは大学を卒業した時だ。
そのことには異論はなかったが、気楽な三男坊から一気に跡取りとなってしまった彼を取り巻く環境は激変、それに伴って少々軋轢も生まれた。
その最たるものが彼の伴侶選びだったのだ。
「それまでは多少の融通はきいたんだ。もちろん、まだ結婚とかそんな先の話は考えもしなかったからね」
当時彼は同い年の女性と付き合っていたが、大学を出て就職したばかりだったが守谷に早くもあちこちから結婚の話が舞い込み始めた。
「まぁ、気持ちは分からないでもないんだ。とにかく守谷の祖父母は家の先行きを心配していたからね。でも社会人一年目の自分にそんな気持ちの余裕はなかったし、何よりまだ自由を捨てる気にはなれなかった。家族をもつということはそれだけ責任も増えるってことだから、わざわざそんなお荷物背負うのも嫌だったし。大学出たての若造にそれはちょっと酷だと思わないか?」
その後、自分だけでなく彼女の方にもいろいろと圧力が掛けられてたと知ったのは、あちらから一方的に別れを切り出された時だった。ただでさえ周りに気を使いながら仕事を覚えていかなければならない時期に、必要以上に無用のプレッシャーをかけられた彼女は、守谷との未来をキャンセルして、自由を選んだのだ。
それ以来、何となく女性と真剣に付き合う気になれなくなった、と守谷は苦笑いする。
「多かれ少なかれ、どこかから横やりが入るのは間違いないからね。だから意図して結婚を前提としない、気楽に付き合える相手を選んできたんだ」
その旨は家族にもはっきりと言ってあった。むろん、フェイントをかけて力技で結婚に持ち込むことも不可能ではなかったけれど、幸か不幸かそこまでして一緒になりたいと思う女性に巡り会えなかったということもある。なかなか腰を落ち着けない彼に、真田の両親を含めて周りはやきもきしていたようだが、守谷は意に介さずずっと好きにしてきた。
そういったいきさつで、彼が久々に本気になって後を追いまわしているという奏子に対する家族の関心は大きく、期待は膨らむ一方で、今日のようなことになってしまったらしい。
「親父たちにしてみれば、今が押し時って思ってるんだろうな」
まったく困ったものだと皮肉っぽい笑みを浮かべる守谷に、奏子はどう応じてよいのか分からない。
「これからはできるだけ迷惑をかけないよう、妙な動きはしないように釘を刺しておくつもりだから、今日のことは許して欲しい」
そう言った彼の言葉に一応は納得した奏子だが、果たして真田ほどの家がそう簡単に彼の思いを汲んでくれるものだろうか。
そんな彼女の不安が不幸にも的中したのは、それから間もなくのことだった。




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