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   セカンド ・ マリアージュ 48


先ほど玄関で自分たちを迎えた人とは別の家政婦さんが運んできたお茶とお菓子がテーブルの上に並ぶのを待って、守谷の家族と奏子はそれぞれ簡単な自己紹介を始める。
そこで分かったことは、彼と上の兄弟二人は一回り近く年が離れているせいで、幼い頃からあまり密な接点がなかったということだ。同じように両親も、兄たちの時に比べて守谷にはあまり手を掛けることができなかったという。決して家族仲が悪いというわけではなさそうだが、彼らと守谷の間には互いに何となく遠慮のようなものが存在していて、奏子と兄姉たちのように母親が違っていても行き来がある家庭に育った者にはその複雑な内情は想像できなかった。
「今、奏子さんは健介のいるところで働いていらっしゃるのよね?」
「はい。いつも守谷さんにはお世話になっております」
彼氏の家を最初に訪問した時にはどうすればよいのか。昨夜、仕事から返ってきた彩乃に付け焼刃的にレクチャーされたことを思い出しながら、奏子は彼の母親の問いに差し障りのない返事で応えた。
このくらいの質問は想定のうちだ。以前実家に送りつけられた守谷の釣り書きはそのまま返し、その後自分の方からは何も送っていないはずだが、どうやら彼女の経歴はすでに知られているらしい。まぁ、父親に言わせれば恐らくそれ以前の話を持ってくる前に、秘密裏に奏子の身辺については何だかの調査がなされているだろうということだったので、今更そのことに驚くこともない。
「健介とはそこで知り合ったんだったっけ」
長兄と紹介された男性に訊かれた奏子は、やや曖昧に頷いた。
「守谷さんは私がいる職場の管理者をされているので」
「食堂ってことは、調理か栄養士かな」
「調理の方をしています。とは言ってもただのパートで、調理師でも何でもないです」
奏子のいる寮の食堂には常駐の栄養士はいない。一応、本社の社員食堂の管理栄養士の人が数日分のメニューをまとめてチェックしてくれることになってはいるけれど、基本的におばちゃんたちが作る料理のコンセプトは飽きの来ないおふくろの味だ。
しかし、今の職場が思っていた以上に働きやすく、彼女自身もこれから勉強して資格を取り、契約社員を目指す予定だということを話すと、それまで奏子の話を聞いていた彼の家族たちが急に不思議そうな顔をしたのだ。守谷が、会社の規定で食堂の常勤職の採用時にはその資格が必要であることを付け加えてくれたが、返ってきた反応はあまり芳しいものとはいえなかった。
「契約社員を目指す?」
「はい。その方が収入も身分的にも安定するので」
「でも、健介と一緒になったらそんな必要はなくなると思うが」
確かに、守谷と結婚すれば自分一人くらい養ってもらうことに何の問題もないだろうとは思う。ただ、今の時点でそんなことを考えるのは時期尚早だし、第一まだ彼と結婚すると決まったわけでもないのに、そんな風にお気楽に考えることはできないし、したくもない。
「兄さん、まだ彼女との間にそんな話は出てないんだ」
「だがお前の年だと、真剣に付き合うなら結婚が前提というのは常識じゃないのか」
「見合い話を全部断るくらいだから、そのくらいじゃないと周りも納得しないぞ」
兄たちの畳み掛けるような攻撃に、一度は収まりかけた守谷の不機嫌さがまた頭を擡げてきたようだ。
「だから、まだそんな段階じゃないって言ってるだろう。自分の面倒は自分でみるから僕のことは放っておいてくれ」
何なんだ?この兄弟はあまり仲が良くないのだろうか?
奏子がその様子を目を丸くして見ているのに気付いた母親が、とりなすように彼女に話しかけてくる。
「確かにお料理はできた方がよいものね。でも、それなら折角だからクッキングスクールでシェフに本格的なフレンチでも習った方が、先々お客様に腕を振るう機会があるかもしれないわね」
「フレンチ、ですか?」
それもシェフに、だなんて話が大きすぎる。第一自宅でフレンチなんて奏子の常識では考えられないことだ。彼女の母親はどんなに忙しくても料理だけは他人任せにしなかったが、作るのは普通の家庭料理だった。フレンチやイタリアン、それにお寿司などは特別な時に外に食べに行くもので、決して家庭の食卓に並ぶものではなかったのだ。
「お料理は好きですけど、そこまではちょっと。それに私がやりたいのは、日常的な食事を作る、仕事としての調理ですから」
何とかそう答えた奏子は内心ため息をつきそうになった。
大体話が飛躍しすぎている。
正直に言えば、自分にはまだ再婚を考える気にはなれない。それに仮に将来、守谷と一緒になることになったとしても、家にじっとしているつもりはなかった。史郎との生活で嫌と言うくらい自分の存在価値の希薄さを思い知らされた。もちろん、守谷との関係が同じような道筋を辿るとは限らないけれど、その一方の当事者が自分であるだけに、そうなる可能性は否定できないからだ。
「母さんも、余計な口出しはしないでくれ。僕たちはまだそんな状況になってないんだから」
「でも来春、健介がある一定の役職に就いたら、もっと周りが煩くなって、そんなことも言ってられなくなると思うわ」
「母さん」
「来春?」
守谷の焦ったような声と奏子の訝しむ問いが意図せずに重なる。
「ああ、もう、まったく」
余計なことをとぶつぶつ呟きながら、守谷は嫌そうな顔をした。
「今はまだ言わないでおこうと思っていたんだけど」そう前置きした彼は半ば諦めたように横にいる彼女の方を振り向く。
「来年、僕は工場から本社の方に戻されることが決まったんだ。だからその前に、君とのこともはっきりさせておきたかった」
守谷の言葉に奏子は思い知らずに息を詰めた。
「けれどこんな形で急かされて、押し切られるのは不本意だし君も嫌だろう?だから言いたくなかったんだよ」
ただ、早かれ遅かれそういった話は耳に入って来るだろう。現に彼がどこか他の部署に移るかもしれないという噂は少し前から厨房にも届いている。
「とにかく、もうこれ以上僕たちのことに首を突っ込まないでくれ」
家族に向かい、そう告げた守谷だったが、母親はそれには納得していないようだ。
「そうも言ってはおれないわ。あなたへの縁談はひっきりなしで、お断りするするだけでも一苦労……」
「でも、僕はもう真田の人間じゃない」
母親の言葉を遮り、吐き捨てるように守谷が漏らした一言に、両親も兄たちも黙り込む。その様子があまりにも異様な気がして、奏子は無意識に体を固くする。
「父さんや母さんもそれを理解した上で僕を外に出したんだろう?そして何より僕自身が望んでそれに従った。今さら余計なおせっかいをされても困るんだ」
彼はそれだけ言うと再度奏子の方に顔を向け、目配せする。
「彼女の紹介は済んだことだし、そろそろ帰るよ。久世さんいい?」
「あ、はい」
守谷はそう促すとソファーから立ち上がってドアの方へと向かった。それを見た奏子も両親と兄たちに向かってぺこりと頭を下げてから、慌てて彼の後を追う。
それから来た時と同じ道筋で車に戻るまで、守谷にしては珍しいほど寡黙で、奏子は彼に掛ける言葉を見つけられないままに後ろを歩いていたのだった。




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