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   セカンド ・ マリアージュ  47


そんなに気負わなくても大丈夫。突き詰めた話はしないから。

守谷のその言葉を信じ、二人の休みが合ったその週末に奏子は真田家を訪れた。
奏子の実家も高級住宅地として世間に名の知れた場所にあるが、彼の実家はそれとはまたまったく趣の違う、静けさと歴史を感じさせるお屋敷街の中に構えられている。
「ここ、ですか?」
正面に止められた車から降りた奏子は、目の前にそびえる瓦葺の立派な門構えを見上げてごくりとつばを飲み込んだ。
開いた門から垣間見える中に建物らしきものの影は見えないが、左手にはうっそうとした竹林が広がっている。足元には来客を右側に誘導するように飛び石が配置されていて、まるでそこに入る者は例外なくその石の向きに沿って歩かなくてはならないとでもいうような雰囲気を醸し出していた。
家の脇に車を置いて戻って来た守谷は、降りた場所からまったく動いていない奏子の強張った表情を見て、わざと何でもない風に軽口をたたく。
「ここは元々江戸時代には武家屋敷が多くあった地域でね。その関係で景観条例なんかもあって、外からの見栄えを損なわないように、そのまま中だけ改築を重ねているんだ。だから門の造りも今にもそこから時代劇の侍が出てきそうなくらい仰々しいだろう?」
そう言って彼が苦笑いする。
「本当なら家の横にある家族用の玄関を使えばいいんだけどね、駐車場もそこからの方が近いし。でも一応今日はお客さんということだから、正門から入れって言われている。家族が普段使っている通用口はこんなに仰々しくはないんだけどね。さぁ、どうぞ」
そう促された奏子は、家の敷地に一歩足を踏み入れた途端に言い様のない不安に囚われた。
きれいに掃き清められた地面にはちり一つ落ちておらず、門から延々と続く飛び石の周りに配された木々は剪定が行き届いているが、逆にそれが妙な威圧感となって奏子の上に圧し掛かってくるような錯覚を覚える。
少し歩いてようやく見えてきた玄関も、まったく使われていないという訳ではなさそうだが、どちらかといえば実用性よりも見栄えの重厚さに重きを置いたような造りになっていて、引き戸を開けた場所に広がる三和土はどこで靴を脱げばよいのか迷うほどの横幅がある。
まだここに一部屋くらい作れそう。
そんなことを考えながらぼうっとしていた奏子は、いきなり聞こえてきた声に驚きびくりと肩を震わせる。見れば目の前の上り框の端に和装の女性が座っていて、それが誰だか分からない彼女は戸惑いを隠せない。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。父さんたちはもう?」
「お揃いで、奥の応接間でお待ちでございます」
「そう」
先に玄関を上がった彼は、奏子を促すとそのまま女性の前を素通りして奥へと歩を進める。
守谷が奏子のことを紹介しようとしないことや、そのやり取りから想像するに、その女性はどうやらこの家の身内ではないらしい。
その初老の女性も心得ているのか、奏子を見ても何も言おうとはしないし聞くこともない。
いくら家族ではないといっても挨拶くらいちゃんとした方がよいと思いつつも、奏子は咄嗟に何を言えばよいのか思いつかず、前を通る時に軽く会釈するに留めて、慌てて先を行く守谷の後を追った。
守谷は奏子が遅れているのに気付き、途中で立ち止まって彼女を待っていた。庭を三方から囲むように巡らされた邸宅は廊下も必然的に長くて、子供が見たら追いかけっこをしたがりそうだ。しかしここの廊下は子供だからと言って騒がしく走り回ることが許されないような、そんな雰囲気がある。この家は確かに広くて立派だ。庭だって、そのあたりの公園よりもはるかにお金がかかっていそうだし、手入れも行き届いている。しかし奏子の実家のように一見片付いてはいてもどこか生活感の漂っている空間とはまったく異質な静寂さがそこにはあった。
「あ、あの……」
その空気に呑まれたかのように、奏子は無意識に声を潜めて彼の方をうかがった。
「ん?」
「今の方は?」
「ああ、ずっと昔からいる、ここの家政婦さん。ウチの母親が嫁に来る時に実家から連れてきたっていうから、もう40年くらいになるんじゃないかな」
「40年も?」
「そう。僕なんかよりもはるかにこの家に詳しい人だよ」
彼はそう言うと、先ほどまで自分たちがいた玄関の方にちらりと目をやった。
「ここは結構古株の人が多いんだよ。いろいろとしきたりとか、面倒なことが多いウチだから、長くいてくれる人の方が歓迎されるし」
「それじゃ皆さん、もう気心が知れてるって感じですね」
感心したように頷く奏子に、守谷は「まぁ、それが何かと煩わしい時もあるけどね」と言いながら、彼にしては珍しく皮肉っぽい笑みを見せた。

廊下を回り込み、奥へと進んで行くと、途中から急に周りの雰囲気が変わって来た。
和風だった家具や調度品がなくなり、代わりに廊下からちらりと見える室内も畳敷きからフローリング張りになっていく。
聞けば奥にある家族のプライベート部分はそのほとんどが洋室で、それは守谷の母親の意向が強く働いたものであるらしかった。
そして突然、半歩ほど前を歩いていた守谷があるドアの前で急に足を止めたせいで、彼女は危うく彼の背中にぶつかりそうになった。
「さぁ着いたよ。ここが目的地だ」
彼はそう言うと、迷うことなくその扉をノックする。奏子にしてみれば、彼の家族に会う前に思い切り深呼吸でもして気持ちを落ち着かせたかったというのに、彼女はその余裕さえ与えられずに開いたドアから守谷によって室内に引っ張り込まれてしまった。
「ただいま、父さん母さん」
「おお健介、来たのか」
「健介さん、お帰りなさい」
自分の前に壁のように立ち塞がる守谷の向こうから、男女それぞれの声が聞こえてくる。多分それは彼の両親のものだろう。しかしその後にも他に、男性のものらしき声を耳にした奏子は首を傾げた。
「……ってなんで兄貴たちも揃ってここにいるわけ?」
彼の背中越しにちらりと伺った先には、彼の両親と思しき年配の男女の他にも人影が見える。しかし室内にいたのは彼らだけではなかったのだ。
「僕は、たまたまだ。仕事に行く途中にここに立ち寄ったら、お前が来るっていうから久々に顔くらい見ておこうと思ってな」
という、こちらからは後ろ頭しか見えない男性と、
「そりゃ、こんな面白……っと失礼、大事な場面にはぜひ立ち会いたいからさ」
という、彼女からはちょうど守谷の体の陰になっている男性の二人は、どうやら彼とは少し年が離れているという、二人の兄たちのようだった。
「……今日はもう帰る」
兄たちの冷やかしに対して、守谷はぶっきらぼうにそう言うと、回れ右をして奏子をドアから押し出そうとする。
「もう、あなたたち、大人げなく健介をからかうのもいい加減にしなさい。ほら見なさい、彼女だって呆れてるじゃないの。健介も、その駄々っ子みたいな態度はみっともないでしょう」
目の前で何が起きているのか分からず、ただおろおろしている奏子を見て母親と思しき女性が息子たちを窘める。
「健介、せっかく彼女に時間を作ってもらって来たんだ。きちんと挨拶させてくれないか」
父親と思しき男性にそう諭されて、守谷は渋々彼女を皆に紹介する。
「こちらが今お付き合いをしている久世奏子さん。久世さん、僕の両親とそれに長兄と次兄だ」
「あ、は、初めまして。久世です。よろしくお願いします」
彼にしては大雑把な紹介に思えたが、それでも奏子は慌ててぺこりと頭を下げた。
「よく来てくれたね」
「お会いできてうれしいわ」
彼の両親に歓迎されている様子に、始めは緊張していた奏子も幾分落ち着いた気持ちになった。そして勧められるままに彼らの真正面に、守谷と並んで座ったのだった。




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