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   セカンド ・ マリアージュ  45


「あれ、守谷さんは?」
彩乃が玄関を開けた音で奏子が奥から出てきた。
「ああ、やっぱり今日は帰るって」
「そう……」
少し気が抜けたような表情になった奏子を見て、彩乃がにやりと笑う。
「もしかして、がっかりした?」
すると奏子は慌てたように両手を振った。
「そ、そんなことないよ」
「そう?」
「そうそう。だって最初からそんなつもりはなかったんだし」
そう言って、奏子はパタパタとスリッパの音をさせながらキッチンへと戻って行く。そして入口のところで半身になって顔だけをこちらに覗かせながら、彩乃の方を振り返った。
「でも、せっかく用意したからお茶にしようか?彩乃も、もうご飯は済ませたんだよね」
「うん、済ませた。そうね、そうしようか」
彩乃はキッチンには立ち寄らず、そのままリビングの方に入る。そしてカウンター越しに奏子が差し出した、紅茶の入ったティーポットとカップの乗ったトレイを片手で受け取った。テレビの前にあるローテーブルの上にそれを置き、カップに紅茶を注ぎ終わった頃合いを見計らって、奏子が買い置きのクッキーを持ってリビングに入って来た。
それから二人はなぜか無言のまま向かい合って座り、紅茶を啜っている。微妙な沈黙の中、点けっぱなしのテレビから流れてくる音だけが意味もなくあたりに響いていた。

「何も言わないんだ」
奏子がぽつりとそう呟くと、彩乃はおやっと言う顔でちらりと視線をやった。
「言ってほしいこと、ある?」
そう言われて奏子はぐっと言葉に詰まった。
彩乃が守谷の前に顔を見せた時点で、自分にも何か言いたいことがあるものだと思い込んでいた。しかし、この様子ではそうではなかったようだ。
「だって、外に出てきていたから。てっきりそうだと思ってた」
それを聞いた彩乃は手にしていたカップを大きく傾け、残っていた中身を一気に口に流し込んだ。
「まぁ、一応あっちの方には軽〜く何発かジャブ叩き込んでおいたけど、それだけだよ」
「えっ?ジ、ジャブって。彩乃、まさか……」
真顔で驚く友人に、彩乃は笑いを堪えきれない。
「もちろん、言葉の綾だよ。私があの人を殴るような理由は何もないから」
それを聞いてほっとした様子の奏子を、彩乃は空になったカップを弄びながら見ている。
「やっぱり、どうしたらいいのか、迷ってる?」
彩乃の問いかけに、奏子は少し間を置いてから答えた。
「うん、迷ってる。っていうか、何が何だかってうちに、話が妙なことになっちゃって。どうすればいいのか分からない」
そう言ってため息をつく奏子に、彩乃はうんうんと小さく頷く。
「でもね、それって『どうすればいいのか』じやなくて奏子自身が『どうしたいのか』が問題なんじゃない?」
その言葉に、はっとしたように顔を上げた奏子に、彼女は今度は大きく一つ頷いた。
「ちょっとした言葉の差、なんだけど、この二つの中身は大違いだよ。奏子の場合、まずは自分の気持ちがどこにむかっているかをじっくり見極めたらいいんじゃない?ただし、臆病になる必要はまったくないわよ。二度目の恋は慎重、かつ大胆にいかなきゃ」
「慎重かつ大胆って……彩乃、それって何かちょっと矛盾してない?」
最後に加えられた一言に首を傾げる奏子にも、彩乃が悪びれる気配はない。
「そぉ?そんなことないと思うけど」
釈然としないといった表情の奏子に、彩乃は「だから、こっちは慎重に」と人差し指で奏子の心臓があるあたりを指す。そしてその次に同じ指の腹を友人の唇に軽く押し当てた。
「でもね、こっちは大胆に、だよ。分かるかな?」
彩乃はそう言うと、にっと唇を歪めて笑った。
「気持ちで迷っているなら、とりあえず行動を起こしてみるのも手かもしれないわね。そうすれば自ずと結果が見えてくるから。多少のリスクは覚悟して、もっと思ったように行動してみたら?そうすれば道は開かれる……かも」
それだけ言ってウインクすると、彩乃は自分のカップを置いたトレイごと持ち上げて立ち上がる。そして彼女は奏子をリビングに残してキッチンへと入って行った。その後ろ姿をぼんやり見送りながら、奏子は今彼女に言われたことを反芻してみる。

未だ彼女の中に史郎への未練があるのは紛れもない事実だ。別れたのに、他人になってしまったというのに、気が付けば無意識に目で姿を追っている自分がいる。本当に彼のことが嫌で別れたわけではないから仕方がないのかもしれないが、人を恋する気持ちはそんなに容易く割り切れるものではなかったようだ。
しかしその分、自分の勝手な行いが彼の気持ちを傷つけたという事実もまた重いものがある。彼の本当の思いがどこにあったのかは分からないが、こちらから離婚を切り出した時も、少なくとも史郎は彼女の非を一切責めることをしなかった。
もしも史郎がもっときっぱりと自分を突き放してくれていたら、奏子もきっぱりと諦めがついたのかもしれない。しかし、彼はそうはしなかった。それがあの時の、そして今の彼女の気持ちを一層辛くさせているなどとは、彼は露ほども思ってはいないだろうけれど。

結局のところ、自分は史郎に対してあれだけ酷いことをしたのだ。どれだけ気持ちが揺らごうとも、今さら復縁なんてことを一瞬でも考えるだけでも烏滸がましく感じる。
だったらもっと他に目を向けて、守谷との新たな未来を模索してみるべきなのか。
だがしかし、別れた夫に未練を残したままで、果たして自分は守谷の思いに応えることができるのか。
「はぁ、分かんないなぁ……」
奏子はテーブルに肘をつき、両手で頭を抱えた。
現状では、史郎とどうこういうよりも。守谷との将来を考えた方が現実的ではある。そして恐らくはその方が、元夫との復縁より周りからも受け入れられやすいだろうことは想像に難くなかった。しかしそれではどこか自分の気持ちを蔑ろにしてしまっているような気がして、奏子はそちらに一歩踏み出すことができないのだ。
「時間が解決してくれるってこと、あるのかなぁ」
今はまだ、はっきりとした答えが見つけ出せなくても、一緒にいれば気持ちは変わっていくものなのだろうか。
史郎の時には、恋愛に対する抵抗力のなさと周りからの期待で自分を見失ってしまっていた。その結果、気が付けば身も心もどっぷりと彼に依存し、いつの間にかいかに彼に認められるかの一点しか考えられなくなっていた自分。今思えば、二人の結婚生活はスタート時から少々歪な形になっていたのかもしれない。
文字通り、恋は盲目。
けれど、さすがに二度も同じ過ちは許されないだろう。
だからこそ、守谷がゆっくり時間を掛けて彼女の気持ちにつきあってくれるというのであれば、もしかしたら今度こそ、彼と一緒に未来を探っていくことができるかもしれない。


それからしばらく悩んだ末に、奏子は彼との交際に同意する返事をした。
もちろん、守谷は奏子の気持ちを尊重することを約束してくれたし、彼女ものんびり時間を掛けて彼との関係を育てていこうと心に決めていた。
しかし当人同士の考えが一番大事だなどと思っていたのは自分たちだけだった。奏子を取り巻く状況は、その後かなりシビアに彼女の身にのしかかってくることになる。




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