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   セカンド ・ マリアージュ  43


そして翌日の夕方、奏子は迎えに来た守谷の車で目的の場所に向かった。
和食と聞いていたので、てっきりどこかのビルのテナントにでも入っているお店に連れて行かれるとばかり思っていた奏子だが、彼が車を着けた先は古くて趣のある、政治家が会合に使うような料亭といった風情のお店だった。
入口にある引違いの格子戸さえ重厚さを感じさせる造りになっていて、そこをくぐるとすぐに玄関があった。二人はそこで和服姿で一列に並んだ一団に迎えられる。無地の着物の仲居さんと思しき人たちを引き連れてその半歩前にいる、派手さはないが品の良い着物を身に着けている女の人が恐らくはここの女将さんなのだろう。その女性に挨拶と共にふかぶかとお辞儀をされるとそれに気圧されてしまい、奏子は思わず側にいる守谷の方を見上げた。しかし彼は別段驚く風でもなく、案内されるままに玄関を上がろうとしたので、それを見た彼女も慌てて彼に続く。
三和土で脱いだ靴を屈んで揃えた奏子は、これをどこにしまっておくのかと周りをきょろきょろ見回すが、仲居の一人に「お履き物はこちらに」と言われ恥ずかしそうに赤くなった。というのも、まさか自分がこんなに高級なお店に連れて行かれるとは思っていなかった彼女は、履きやすくて足には優しいけれど、かなり年季の入った靴をはいてきてしまったからだ。
そんな彼女の気持ちを慮ってか、仲居はにっこり微笑みながら「お預かりいたします」と言う。そうなればもう「お願いします」としか応じようがない奏子はぺこりと小さく頭を下げた。
守谷に促され、奏子が立ち上がるのを見てから、女将が二人を案内する。奥へ奥へと歩くうち、どこに連れて行かれるのかと心細ささえ覚えながら中庭を横目に廊下を進んで行くと、女将はある部屋の前で足を止め、入口の引き戸を静かに開けた。
「こちらでございます」
先にどうぞと促されて中に入った奏子は、その和室が広い個室であることに驚く。
部屋の大きさは畳の枚数から見て12畳くらいだろうか。それに床の間と違い棚が備え付けられ、部屋の奥にある広縁の吐き出し窓からは先ほど通って来た庭の景色が望めるようになっている。
確かに、守谷には今まで何度も高級さを感じる店に連れて行ってもらったことはあるが、今回は何もかもがけた外れだ。奏子も父親に連れられて何度か料亭という類の店に行ったことはあるが、ここまで格のある、老舗と思しき場所に入ったのは初めてのことだった。

一通りの挨拶と注文を終えて女将が下がった後、守谷に上座を勧めてから向かいに座ったものの何だか落ち着けない。
そんな彼女を見ても敢えて何も言わない守谷の様子に、奏子は仕方なく自分から口火を切った。
「あの、何で『ここ』なんですか?」
天井も含めて周りをぐるりと見回してから、まず最初に疑問に思ったことを口にする。
「もしかして、気に入らなかったかな?」
「いえ、そう言う訳では……」
自分がこんな所に来るなんて、恐れ多いという思いはどうやら彼には通じなかったようだ。
「静かな場所で、ちょっと改まって話がしたかったんだ」
確かにここは静かだ。来る時に前を通った隣の部屋にも人がいる気配はあったが、物音も声も全く聞こえなかった。見た目は古い日本家屋の様をなしているが、そのあたりは政治家などの「秘密の会合」にも使えるようにという配慮が為されているのかもしれない。
「ここだと頼めば二人きりにしてもらえるからね」
守谷の「二人きり」という言葉に、思わず奏子が身構える。
以前彼の家に行った時のことが急に頭に中を過ったせいだ。それを見た守谷は苦笑いしながら首を振った。
「心配しなくても、さすがにこの状況で何かしようなんて思ってないから安心して」
そう言いつつも、何となく今日は彼も表情が硬いのが気にかかる。それに何か言いたげな目で見つめられるとこっちまで不安になってくるのだ。
「あの……」
会話が弾まず、ずっと黙ったままでいるのも辛くて、奏子が実家に来た身上書のことを口にしようとしたところに外から声が掛かり、料理が運ばれてきてしまった。
せっかく思い切って話をしかけたというのに、一度それを中断されてしまうと何となく気分が白けてしまい、なかなか再度切り出すことができない。
もう、タイミング悪すぎ。
奏子は心の中でこっそりと毒づいた。日ごろ食べる機会のない、高級な食材を使った料理の数々を頂きながら、今一つ味わうことに集中できないのは、自分が問いたださなければならないことと、こんな場まで用意した彼の話の内容が気になって頭から離れないせいだ。
大した会話もなく、黙々とただひたすら箸を動かして食べ続ける二人は、いつもよりかなり早いペースで皿を空けていく。
そしてデザートが運ばれてくる頃になって、ようやく守谷が重い口を開いた。
「まず最初に、ご実家と君に迷惑を掛けて申し訳ない」
そういって彼が頭を下げる。
「そんなことは……」
慌てて否定しようとする彼女を守谷が押し止める。
「いや、今回は申し開きのしようがない。実家の勇み足を止められなかったのは、すべて僕の責任だよ」
彼はそう言いながら、疲れた表情を見せた。
「今さらこんなことを言っても仕方がないけど、僕自身はこんな風に君を急かすつもりはなかったんだ」
その口ぶりから察するに、どうやら今回のことは彼がまったく関知しないところで起きたことらしい。奏子の父親からの返事で守谷はようやく事のあらましを知ったという。
「まったく余計なことをしてくれるよ、親父やおふくろも」
両親からそのことを伝えられ、彼は慌てて実家におもむいて話をした。しかし両親はもとより、すでに結婚して子供もいる二人の兄たちまでが彼らに加勢して、何とかしてこの話をまとめようと考えているようで、困った状況になっているらしい。

守谷に言わせれば、そもそも養子の話を承諾したのは、実家の家族の過干渉が一因だった。
上二人の兄たちとは少し年が離れている彼は、幼い頃から彼らの手厚すぎる保護の元、何をするのにも自由が利かなかった。
就学年齢に達すると、当たり前のように兄弟たちが通った私学に進み、そのまま中学高校と上がっていく。習い事や家庭教師なども上の兄たちと同じようにあてがわれ、自分で何かを選択したということはほとんどなかったそうだ。
そういった点では奏子の生い立ちに重なるものもかなりあるように思えるが、しかしながら幸か不幸かそんな状況下でも彼には割と早い時期に独立心が芽生えた。そしてそのことに疑問を持った彼は、どうにかして現状を打破しようと目論むが、如何せん相手は自分の両親だ。それも、金も力も有り余るくらい持ち合わせた親に、未成年の末っ子が敵うはずもなく、彼は黙ってその意に従うように見せかけながらずっと造反の機会を伺っていたという。
そんな彼にとって、養子縁組の話はまさに渡りに船だった。
「これでやっと自由になれる、って僕は思ったわけ。まぁ、確かにあのまま実家にいるよりははるかに身軽くなったんだけど」
真田を離れたことで就職も、守谷の家の息がかかった会社というある程度の制約はあれど望み通りにすることができた。結婚も、兄たちが会社がらみの見合いで相手を決めたのに対して、自分にそういったことは一切無縁だった……はずなのだが。
「ここ一年くらい、どうにもまわりが煩くてね」
守谷は母親の実家の養子になることを決断した時点で、両親には以後、自分に対する干渉を止めるように申し渡した。それが彼が名字を変えて他家に行くことの最たる条件だったのだ。
しかし、真田家と縁を繋ぎたい者たちにとってはそんなことはまったく関係がないらしい。確かにすでに伴侶がいる上二人はどうしようもないが、守谷はまだ独身で決まった相手もいない。
そうなれば自ずとその手の話は真田家の三男である彼に集中してくるようになる。加えて昨年、長兄がSANADAの役員に迎えられ創業家である実家が俄かに脚光を浴びると、周囲の目は兄たちだけでなく弟の守谷にも同じ期待をするものに変わってきた。
彼の意志をもってすれば、現段階ではその可能性は限りなくゼロに近い。しかし周りの人から見れば、守谷もまた真田家の人間であることには違いないのだ。
「うちの両親の言い分だと、意中の人がいるならさっさと話をまとめてしまえ、ということらしいが、僕にはそういった考えはない。それに、そんなに簡単に自由を手放すようなことをしたくないし君にもさせたくない」
彼はそう言うと、ようやく表情を緩める。
しかし奏子は彼の発した言葉に僅かな引っ掛かりを感じて首を傾げた。
「自由、ですか?」
ちょっと意外だと言わんばかりの彼女に、守谷はふっと唇を歪めた。
「そう。多分君も僕と同じように思っていた部分があるんじゃないかな」
それを聞いて、ますます訳が分からないという顔になった奏子に、守谷はにやりと笑って見せる。
「初めて会った時、あの面接の時だ。僕は君から自分と同じ、やっと解放されて自由を手にした人間の匂いを感じ取ったんだ」
「匂い?」
眉を顰め、鼻をスンと動かした奏子を見て、遂に守谷が笑い出した。
「もちろん、その匂いじゃないよ。何ていうか、そう、もっと直感的なものだね。それを経験しことのある人にしか分からないような」
だから今はまだ、奏子の気持ちが動きだすのを待つ、と彼は言う。その本質をちゃんと理解して、それを享受できなければせっかく自由を手にした意味がないからと。
「ただし、その間も存在を忘れられないようにアプローチは続けさせてもらうよ。何せ近くに強敵もいることだし」
守谷の言葉に、思わず奏子も吹き出した。
出会った頃に感じた温和さが、その本質を巧くカムフラージュするものだったことは守谷に強引に迫られた時から知っていた。しかしこうして話をしていると、やはり彼は懐の深い、優しい人なのだと思えてくる。
そんな守谷が好意を抱いてくれているのに、なかなか決断できない自分の煮え切らなさは情けない限りだが、それでも今日彼と話ができたことで奏子の気持ちは少し軽くなったように感じたのだった。


食事の後、守谷の車に乗り込んでから奏子はこれから帰る旨を彩乃にメールで知らせた。するとすぐに返信がきて、すでに彼女は帰宅しているということだった。
予め話していたように食事は外で済ませてきているようなので、料亭の女将に持たされた手土産のプリンがちょうど良いデザートになりそうだ。
そう思いながらマンションの前で車を降りた奏子の前に、なぜか彩乃が立っていたのだった。




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