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   セカンド ・ マリアージュ  42


ここのところ守谷は何かと多忙な様子で、本社と工場の間を行ったり来たりする日が続いている。それもあってか、厨房に姿を見せることもなく、幸か不幸かその週の間に会社で彼と行き合うチャンスは訪れなかった。
実家での一件で、ちゃんと彼と話をしなければと思ってはいたものの、内容が内容だけにどう切り出したらを良いのかを考えるとなかなか電話もメールもし辛くて、そうして一日また一日と問題を先送りにした結果、何もできないまま時間だけが経ってしまった。
どちらにせよ守谷と一緒に外出する約束をしている。その時にきちんと説明をしてもらおう。
いつもの癖で、こういう時につい逃げを打ってしまう進歩のない自分にがっかりしつつ、結局奏子は行動を起こせないうちに週末を迎えてしまった。

もやもやした気持ちのまま過ごしていた彼女の元に、守谷から連絡が入ったのは金曜日の夜、仕事を終えてマンションに帰宅した直後のことだった。
彼からのメールには、明日の土曜日、夕方5時に迎えに来ると記されている。行先は書かれていないが、料理は和食で個室を頼んでいるということなので、どこかその手のお店なのだろう。
メールの返信でもっと詳しく店のことを訊ねてもよかったのだが、その時にはそれを差し控えた。彼が個室を押さえたということは、自分の実家に向けてというだけでなく、あちらの方でも何だかの動きがあったのではないかと感じられたからだ。
電話で直接やり取りするのは気が重い。しかしメールで簡単に伝え切れるような内容でもないことはよく分かっている。ならば、直接彼の口から話を聞ける明日まで機会を先延ばししても、あまり結果に影響しないだろう。
そう言い聞かせて無理やり自分を納得させた奏子は、後から帰宅した彩乃が食事を終えるのを待ってから、明日守谷と出掛けることを彼女に伝えた。
「ふうん、分かったわ。ちょうど明日は出勤だし、食事は外で済ませてくるから私のことは心配しなくていいわよ」
「ごめんね。勝手ばかりしちゃって」
申し訳なさそうにしている奏子に、彼女は首を振った。
「こっちはいいから、それよりちゃんと問題を解決してくるのよ。でないとこういったことはこじれると後々面倒なことになるから」
彩乃はそう言うと、食後に淹れたお茶を飲みつつ奏子に意味深な目を向ける。


守谷の家族が間に人を立てて縁談を申し入れてきたことなども含めて、彼女には実家から帰ったその日に事のあらましは伝えてあった。特に彼が「あの」真田の創業家の息子であったことは、話している奏子自身も戸惑いを隠せなかったが、予想に反して彩乃は思いのほか冷静に彼女の話を聞いているように思えた。
「驚かないの?」
「うん、何かやっぱりそうかって感じ」
「やっぱりって、もしかして……彩乃は知ってたの?」
その反応を訝しむ奏子に、彩乃は曖昧な笑いを浮かべつつ頷いた。
「まぁ、最初は分からなかったわよ、もちろん。でもえっと、そうねぇ、あなたがパーティー会場で彼に会ったってあたりから、何となく胡散臭いなぁと」

彩乃が守谷に疑いの目を向け始めたのは、奏子が偶然ホテルで会った彼がフォーマルな装いをしていた、というあたりからだ。その後、芳名録を見て史郎のことを知られたようだ、と聞かされた時に彼女のアンテナに引っかかるものがあった。
普通ならば一流どころのホテルのパーティ会場で、その出席者の芳名録を部外者に見せるなどということは考えにくい。それができるのはそのパーティの主催側にいて、なおかつある程度自身の地位と権力を使える地位にいるものだけだろう。
そう考えた彩乃は、奏子が出席した会合の関係者で、なおかつ守谷という名前をキーワードにして篩にかけたのだ。しかし最初はまったく引っかかってくるものがなく、目ぼしい情報も浮かんではこなかった。
彩乃自身、何度かそれを繰り返したが大した収穫もなく、単なる自分の思いこみか、と考え始めた矢先に思わぬところから情報が舞い込んできたのだ。
それは彼女の勤務先である宝飾店の顧客データ。
ちょうどその頃「SANADA」の会長の夫人が宝飾品を求めて来店した。VIP待遇の上客に対応する際はサンプル持参でこちらから先方に出向くことが多いが、店舗を構えている銀座という場所柄、顧客の方が買い物のついでに店に立ち寄ることもままあることで、それ自体は特別なことではない。
接客担当の店員と一緒にデザイナーとしてその場に立ち会った彩乃は、客が引き上げた後に彼女の嗜好や購入歴を確認しておくために偶然そのデータを引き出した。
「守谷?」
夫人をこの店に紹介したのは、先々代の頃から贔屓にしていた守谷家。彼女は結婚する際にここで指輪を始めとする宝飾品を誂え、それを持って真田家に嫁いだことになっていた。
普通ならば、そんな情報は見た端から流してしまう彩乃だが、彼女の目がここ数日ずっと追っていた「守谷」というキーワードに止まった。
「ふうん、夫人の旧姓が守谷っていうんだ」
次に彩乃は夫人の実家である守谷家のデータを表示する。宝飾店の顧客データには、取引歴や購入履歴の他に、家族構成やそれぞれの好み、誕生日など、今後の販売を目的とした個人情報なども収められている。
その中に彩乃は何度も耳にしたことのある名前を見つけたのだ。
「守谷健介」
奏子のパート先の会社の上司であり、彼女に交際を迫っている男は、あのSANADAの縁者だったなんて。
名前と生年月日以外に目ぼしい情報ははいっていないことを確認すると、彩乃はすぐにそのページを閉じた。今は勤務時間中で人の目もある。それにこのデータにアクセスしたのは個人的な興味が目的で、仕事には直接関係ないことだからだ。
これだけ分かればあとは家で探した方が早い。
そう考えた彩乃は実際にそれを行動に移し、当の本人である奏子よりも先に守谷の正体を知った。ただ、彼女がそれを友人に告げなかったのは、その時点ではまだ守谷の本気度が分からなかったし、奏子の方も彼にどう向き合うのかを真剣に考えているようには思えなかったからだ。
彩乃も最初は親友が新たな恋に向けての一歩を踏み出すことを、全力で応援するつもりだった。しかし、ひとたび相手のことを知ってしまえば、果たしてこれが奏子の将来のために良いことなのかと迷わずにはいられなくなってしまった。
はっきり言って、彩乃は史郎が好きではなかった。奏子のことを本気で大切に思うのならなぜもっと細やかに彼女のことに気を配ってやれないのかと、何度も歯がゆい思いをしたせいもあって、今でも彼を見るとつい毒を吐きそうになる。だが、守谷のことはそれよりもっと気に入らなかった。理由なんてない。ただ直感的に、彼のことを信用できないのだ。


「何か、もう嫌になっちゃった」
恋も結婚も色々と面倒くさい、とため息交じりに呟く奏子に、彩乃は苦笑いする。
「そんな、オバサンくさいこと言わないの」
彩乃だって奏子の困惑が分からぬではないが、ここでそんな風に悟られたらこの後の長い人生をどうやって過ごすつもりなのかと思ってしまう。確かに恋愛は時として苦しいこともあるが、それ以上に喜びや楽しみももたらしてくれることを、奏子に思い出して欲しい。
この先史郎とよりを戻すにしろ守谷を選ぶにしろ、はたまたまったく別の人の手を取ることになったとしても、彼女には幸せになってもらいたい。それは彩乃だけでなく、奏子の両親や兄弟たちも同じことを考えているはずだ。
ただ、何が本当の幸せにつながるのかを見つけ出すのは奏子自身だから、彩乃は彼女が下した決断に異を唱えることは絶対にしないつもりだ。たとえそれが、自分の感情を逆なでするような相手であったとしても。
「明日に備えてもう寝ちゃいなよ。考え過ぎても疲れるだけだし」
「うん、そうする。お先に失礼するね」
部屋に引き上げて行く奏子にはそう言いつつ、彩乃自身も複雑な思いで彼女を見送ったのだった。




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