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   セカンド ・ マリアージュ  41


確かにそれは守谷の学歴や経歴等を記したものだった。
しかし、そこにあった名前は……
「真田?」
「ああ、真田だな。あの、真田興産の創業家の」
「でも守谷さんなのに?」
事情が呑み込めなくてきょとんとした顔をしている娘に、父は幾分困った様子で頷いた。
「どうやら彼は真田家から今の家に養子に行った格好になっているらしい。だから実家は真田だが、名前は守谷を名乗っているようだ。まぁ、あれだけ権勢のある家だからそれなりの事情があったんだろう」
就職活動にはまったく関心がなかった奏子でも、真田興産のことくらいは知っている。
元は不動産建設業で財を成した個人企業だったのだが、その後のバブル期にリゾート開発やショピングモールの経営などにも手を広げて一躍大企業にまでのし上がった会社だ。今では日本のみならず海外にも販売、物流拠点を置いてそのネットワークを手掛けているグローバル企業となり、文系の学生の就職希望ランキングでは常に上位に入るくらい人気が高い会社だ。
実質的な経営はすでに創業者一族の手から離れて久しいようだが、それでも社名とトップの顔には今も真田家が堂々と君臨していて、確か近年、若くして重役として迎えられた内の一人が創業家の出だとニュースで言っていたのを記憶している。
「ほれ、彼は三男だそうだから、親族の家に跡取りに望まれたってことみたいだな」
そのあたりのことも身上書には記載されていて、どうやら守谷というのは彼の母親の実家ということらしい。
上に男兄弟の兄がいて、次女で末っ子の奏子にはあまり縁のない話だが、家格や資産のある家では、家屋敷はもとより家名やお墓といったものまでを、誰かに継いでもらわなければならないという考えが未だに根強く残っているのだと父親は言う。
「まぁ、真田に嫁に行くくらいだから、母親の方もそれなりの家だったんだろうよ。姓が変わったのは本人が成人してからみたいだから、ちゃんとそういったあたりも理解して、納得してのことだろうしな」

彼女が通っていた女子校でも、そういった話は時々耳にしていた。
今のご時世だから昔のようなあからさまな政略結婚といったものはないにしても、お見合いをしたという同級生の中にもそういった事情を抱える者がいたのは確かだ。
奏子自身も、家や財産のことはさて置き相手が兄の友人で既知の間柄だったという事情を除けば、将来会社を任せるべく両親が見立てた後継者候補と見合いをして結婚したのだ。自分の実家など足元にも及ばない資産家の家に生まれた守谷も、それなりに事情があってこのような形に落ち着いたのだろう。
「しかし参ったな、どうする?奏子」
「どうするって、何が?」
「これだよ、これ」
父親の手に握られているのは一通の封書だった。その中身は仲人を立てて見合いという形で場をセッティングさせてほしいという、こちらの都合をうかがう内容で、もし可能であればその場で両親揃っての顔合わせも兼ねたい、という先方からの意向が添えられていた。
「そんな……だって困るよ」
まだ守谷とはそんな間柄にはなっていない、と少なくとも奏子の側は思っている。それなのにこういった形で外堀から埋められるのは正直に言って困るし嫌だった。
「まぁ、いずれにせよ一度守谷君本人としっかり話をしなさい。こっちからは、ちゃんと事情を話して一旦断っておくから」
「うん、お願いします」
父親は娘から身上書を預かると、封書と一緒にまとめて大型の封筒に戻す。奏子はどんよりした顔でそれを見ていたが気を取り直して母親の元にお茶を取りに行こうとしたのだが……
「それとな、奏子」
部屋を出ようと立ち上がった娘を、封筒を脇に置いた父親が呼び止める。
「ひとつ聞いておきたいんだが」
何事かと足を止めた奏子を、父は探る様な目つきで見つめた。
「つい先日、史郎君の親父さんと話をしてな」
「寺坂のお義父さんと?」
それがどうかしたのか、と訝しむ奏子に、父親が頷く。
「お前、もしかしてまだ、史郎君と行き来しているのか?」
「えっ?」
不意を突かれて驚き固まった娘の様子に、父親は何かを感じ取ったのか渋い顔をする。
「この前史郎君が体調を崩した時に、ご両親に頼まれて様子を見に行った人がいるらしいいんだが」
それは多分、宮間さんのことだろう。そういえば、彼女は寺坂の家と付き合いがあるお宅のお嬢さんだと聞いている。遠方ですぐに息子の元に行けなかった彼の両親が、都内に住む彼女に様子を見に行くように頼んだとしても不思議はない。
「その人は鍵を持っていなかったから、管理会社に連絡して中に入れてもらったようなんだが、案の定、史郎君は寝込んでいたらしい。けど、それより少し前に誰かが飲み物や何かを差し入れて、部屋も片付けたような形跡があったみたいで、あちらの両親も心当たりがなくて誰がと不思議がっておられた」
何となく嫌な予感がして、奏子は唇を引き結んだ。
「その時にはそれで話が終わったんだが、昨日だったか、史郎君からお前に薬を返すよう頼まれてな。最初は何で彼がそんなものを、と思っただけだったんだが、そのうちピンときたんだ。部屋を片付けたのはお前じゃないかって」
別に疚し事をしたわけではないのに、なぜか身が竦む。それを見た父親は呆れつつも何となく納得したような顔をした。
「どういうつもりかは知らんが、きちんとけじめはつけなさい。お前もそうだが、史郎君のこれからのことも考えてなくてはいけない。お前たちはすでに縁が切れて他人になっているんだから、互いに将来足を引っ張る様な事をしてはいけないんだ。それにほれ、この守谷君とのこともある」
父親はそう言って側に置いた封筒に目をやった。
「これからどうするかを決めるのはお前だよ。でもどっちつかずなことをして、最後に困るのもお前自身なのだから、それだけは肝に銘じておきなさい」

両親に史郎とのことを知られたことを悟った奏子は、夕方からも仕事があることを理由にそそくさと実家を後にした。
実家からの帰り道、奏子は今まで故意に思考の中から閉め出していた問題に頭を悩ませていた。
確かに、今も時々史郎のことを未練がましく思ってしまうのは事実だし、守谷に対してもお付き合いを申し込まれたのをきっぱりと断っていない。父親のいう通り、傍から見れば今の自分が置かれた状況は褒められたものではないのだろう。
振り返っても仕方がなことではあるが、史郎と結婚を決めた時は何も悩まなくてよかった。
彼以外には誰も自分に興味を示すような好事家はいなかったし、奏子自身も史郎しか目に入っていなかったから、それ以外を選択する必要がなかった。しかし今回はその時と比べて次々に厄介なことが絡んでくる。
史郎と別れ、家族の元を離れたことで彼女は自分の殻から飛び出すことができた。しかしこういう時には自分が答えを導き出さなければ待っていても何も解決しないことを痛感させられる。
信号待ちで立ち止まり、奏子は大きく首を逸らせながら天を仰ぐ。
「自分で考えて選ぶことって、こんなに疲れることなんだ」
彼女が空を見上げて思わず呟いた言葉は、誰にも受け止められることなく道行く人の喧騒の中に消えていったのだった。




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