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   セカンド ・ マリアージュ  33


「マンションまでで良い?」
「あ、はい。お願いします」
動き出した車の中は何とも気詰りだ。前回、パーティに行った時は運転手がいて二人きりにはならなかったし、久しぶりに慣れない場所へと赴く緊張もあってそんなことを考える余裕はなかった。そして帰りの車ではといえば、彼女は眠りこけていたのだからそんなことに気が付くはずもない。
何か言わないと、と焦りつつ、奏子は先ず、ずっと気になっていたことを口にした。
「あの、誕生日には素敵なプレゼントをありがとうございました」
先日、母から渡されたイヤリングは、大切にケースに仕舞っている。さすがに着けることには躊躇いがあるが、時々取りだしては眺めて楽しんでいた。
「すみません、お気遣いを頂いて」
「いや、昨年は結局何もできなかったから」
昨年の彼女の誕生日。あの日を境に、別居、離婚という怒涛のようなの流れに飲み込まれた二人は、まともに話をする機会さえ持てなかったのだ。故に誕生日の祝いなどというものは、本人も、そして周りからもすっかり忘れ去られていた。
「……気に入ってもらえたなら良かったよ」
それきり、再び会話が途切れた車内には気まずい沈黙が流れる。何とか次の話題を探そうとして、咄嗟に奏子は先日両親から聞いた話を口にしていた。
「そういえば、史郎さん、結婚……されるんですか?」
「は?」
史郎の口元がひくりと動いたのを見た奏子は、慌てて彼から目を逸らした。
「何で急にそんなことを?」
「あ、あの父から、史郎さんがお見合いをなさったって聞いたから」
「ああ、あれね」
奏子がそう言うと、彼は不愉快そうに唇を歪めた。
「あれはすぐに断ったよ。兄の妻の実家が持ち込んだ話だったから、無下にもできなくてね。とにかく会うだけ会ってと言われたから、兄の顔を立てた」
だが、結局先方に断わりを入れることになり、それきりこちらからは何もしていないと言う。そして彼は、その気がないのにそんな話を持ち込まれても困る。特に親族が絡むと後々まで後味が悪いので、両親や兄にもうこれ以上こういったお節介はするなと釘を刺しておいたとも言った。
「あの……」
「何?」
「いえ、何でも」
どうして彼がその気にならないのか、と聞きかけて、奏子は思いとどまった。それは史郎の個人的な問題だ。いくら元夫婦とはいえ、いや、一時はそういう関係だったからこそ、彼の心の中に土足で踏み込むような真似をしてはいけないと思ったのだ。
「それより君の方こそ、彼はどうなんだ?」
逆に史郎にそう尋ねられ、奏子は答えに窮する。
確かに守谷も史郎とはまったく違うタイプの魅力的な男性だ。仕事ぶりも文句なしだし、年齢的にも彼女と釣り合わないわけではない。性格は、まぁ多少強引で独りよがりな印象を受けなくもないが、総じて穏やかだし、社交的だと思う。
しかし何か今一つ、彼に寄り添ってみようという気持ちになれなかった。
「今はまだ、そんな気になれない、かな」
それを聞いて、史郎がちらりとこちらを見た。
「まぁ、お互いにそんなところか」
そう言って二人は互いに顔を見合わせて苦笑いする。
それきり会話は続かず、やはり沈黙が流れたがもう二人ともそれ以上無理をして話をしようとはしなかった。
寡黙な史郎と受動的な奏子は、元々何でもフランクに話しあうような夫婦ではなかったから、一緒にいる間もこんなことには慣れっこだったし、これが普通だった。しかし一度離れてみれば、いかに互いの考えを理解する術を持たなかったのかということが見えてくる。
奏子自身もよく「言葉が足りない」と職場のおばちゃんたちに注意される。もっと思っていることを口にしないと、他人には理解してはもらえないのだ。
夫婦だって、元をただせば赤の他人だ。生まれも育ちも全く異なる男女が互いの価値観を摺合せ、主張したり我慢したりを繰り返しながら妥協点を見い出すことで、初めて本当の家族になれるのだ。奏子の両親のように、阿吽の呼吸となるまでには気が遠くなるくらい長い年月、お互いに忍耐強く相手の考えに耳を傾けることが必要なのだろうと思う。
夫婦でいる間、彼女はそんなことに気付くこともなかった。
史郎の心の中を読み切れず、ただいたずらにそのことを一人思い悩むだけで、彼にその焦りを伝えることさえしなかったのだ。


「なかなか止まないな」
そんな彼女の思いを知ることもなく、マンションの前に車を止めた史郎はフロントガラス越しに、まだ雨が降り続いている空を見上げた。
「送って下さってありがとうございました。あの部屋で……」
上がってお茶でも飲んで行かれませんか、と言いかけて、週末で彩乃が家に居ることを思い出した奏子は、口ごもった。その意図を知ってか知らずか、史郎も「いや、今日は遠慮させてもらうよ」と首を振る。
「それじゃ、失礼します」
しかし、そう言って車を降りようとする奏子を、なぜか史郎が引き留めた。
「あ、ちょっと待って」
彼はそういうと、ポケットの中からキーケースを取り出した。
「これを持って行ってくれないか」
その言葉と共に彼に手渡されたのは、金具から外された、一本のディンプルキーだった。
奏子は自分の手に平に乗せられた、銀色の鍵に目をやった。
「これは?」
「マンションの鍵だ、今住んでいるところの」
「……何で私に、こんなものを?」
首を傾げながら、彼女は上目づかいに彼を見つめる。
「前は社長に予備キーを預けていたけど、今は誰にも渡していないから。何かあった時の、念のために」
「念のため?」
史郎はキーケースを元に戻すと、まだ鍵の処遇に迷っている様子の奏子に向かって頷いた。
「あと一本は実家の親のところに預けてあるけど、すぐにはこれないから」
彼の実家まではここから車で5時間近くかかる。確かに急を要する時には間に合わないだろうが、だからといってなぜこれを奏自分預けようとするのか、奏子にはそれが理解できなかった。
「預かっておいて」
何となく突き返すこともできず、奏子は曖昧に頷く。そしてドアを開けて外に出ると、彼は助手席側の窓を開けて自分を見送ろうとそている奏子に向かってこう言った。
「それから、マンションに入るにはそのキーと共に暗証番号が必要なんだ」
「暗証番号?」
あらば鍵だけ預かってもあまり意味がないのでは、そう言いかけた彼女は、その後に続いた彼の言葉に耳を疑った。
「暗証番号は、君の生年月日だから。覚えておいて」
「えっ?」
驚く彼女に構わず、彼はそう言い残すとその場を後にする。
一人残された奏子は鍵を握りしめたまま、茫然と遠く彼方に走り去る彼の車を見送っていたのだった。




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