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   セカンド ・ マリアージュ  31


「ああ、奏子と、里佳子も来てくれていたのか」
史郎に体を支えられながら中に入って来た父は、娘たちがベッドの側にいるのを見て頬を緩ませた。
「お父さん、大丈夫なんですか?歩いたりして」
母が心配そうな顔をするが、本人は至って強気だ。
「何、心配は要らんさ。あんまり車いすばかりに乗っていると足がなまってしまうからな」
そう言いつつも、父は病室の壁際に置かれた、誰も座っていないソファーの側まで進むと、腰を落ち着けた。そして改めて室内をぐるりと見回すと、そこに見知らぬ男性の姿を見つけて首を傾げる。
「ところで、そちらはどちちら様かな?」
「あ、この方は」
「初めまして。守谷と申します。奏子さんとはいつも仕事でご一緒させて頂いております」
奏子の紹介を遮るようにして、守谷が先んじて自己紹介を始めてしまう。
「それは、それは、娘がお世話になっております。して、今日は何でまた?」
父親は暗に自身の疑問を口にする。
例え仕事先の関係者であったとしても、本人ならともかく親の病気見舞いなどそうそうするものではない。しかもわざわざ休日にとなれば、その真意が測れない。
「あ、守谷さんは、お母さんが入院したっていうのを聞いてお見舞いに……」
「そうですか。それは誠に恐れ入ります」
父親に礼を言われた守谷は謙遜して首を振る。
「いえ、そんなたいしたことでは。それに前から久世さんには一度ご両親にご挨拶をと申し入れておりましたし」
「私どもに挨拶……ですか?」
その言葉に父と母は互いの顔を見合わせる。
「あ、あの、それにはちょっとした訳が……」
単なる紹介が思わぬ方向に進んで行くことに慌てた奏子は何とか話の流れを止めようとするが、そういったことに関しての守谷は彼女より一枚も二枚も上手だ。否定しようとする彼女の先手を打って、守谷ははっきりと肯定することで、まずは父親の注意を引いた。
「はい。実は以前から彼女にお付き合いを申し込んでおります。まぁ、今のところはまだはっきりとした返事は頂けていないのですが、一応順序として、まず最初にご両親にご挨拶だけはさせて頂きたいと思っていましたので」
突然の話に、側にいる母親は目を白黒させているし、里佳子は驚きの表情を隠さない。
その中で身の置き場がない奏子は、今にも泣き出しそうだ。
「奏子、それは本当なの?」
「あ、あの、それは……」
狼狽える娘の様子を見て心配そうな母親の問いかけにも、動転している奏子は上手く答えを返せない。
「儂はそんな話は全く聞いていないぞ」
父親にも問い詰められ、まずます縮こまってしまう彼女を庇うように、守谷が代わってその答えを口にする。
「いえ、それが、まだ彼女からはまったく良い返事はもらえてないんですよ。ですから今日こうして伺ったのは、こうなったら外堀から埋めていこうという、僕の一存です。ですので彼女を責めないで頂きたい」
婉曲にとはいえ、言っていることの強引さを持ち前の柔らかい雰囲気で上手く和らげながら、その実のらりくらり逃げる奏子に決断を促すことも忘れない、そんな彼の強かさに彼女が敵うわけがない。その場にいた誰もがそう思っただろう。
奏子自身、自分のことなのにどうしたら良いのか分からず、ただ呆然と成り行きを見ているしかなかった。
「何か奏子に主導権を渡すとか仄めかしながら、本人ほったらかして好き勝手言ってるようにしか聞こえないんだけど」
しかしその中でただ一人、疑念をはっきりと口にしたのは里佳子だった。見れば姉は今まで見たことがないくらい険しい顔をしていた。さすがにそれを見て守谷も拙いと思ったのか、里佳子に向かっていつもおばちゃん請けする人の良さそうな笑みを浮かべた。
「そうですね。僕もちょっと焦り過ぎましたか」
しかし姉はそれさえも胡散臭そうに見ているだけだ。
「まぁ、僕はできるだけのことをしたら後は気長に返事を待つつもりではいます。最後は彼女がうんと言ってくれなければどうにもならないことですからね」
そう言って小さく肩を竦める守谷の様子に、驚き戸惑いながらやりとりを聞いていた奏子や両親も呪縛が解けたように動きだす。目的は達したことだし、そろそろ守谷にもお引き取り頂こうと思った彼女だったが、次に発せられた守谷の言葉に、瞬時に再度、思考が固まった。
「それで、そちらの方はご親族ですか?」
言わずと知れた守谷の、その視線の先には、父親の座るソファーの側に立っている史郎の姿があった。
「あ、あの彼は……」
慌てて奏子が紹介しようとするのを、史郎が目で止めた。
「私は寺坂と申します。そこにいる彼女のお父上の会社にお世話になっている者です」
「そうですか。こうしてお見舞いに同行されているので、てっきりお身内の方かと思いました」
暗に守谷に部外者扱いされたのが気に食わなかったのか、史郎は微かに眉を上げ、相手の男を見据えた。
「そうですね。今はそう言われても仕方がないでしょうね」
少し含みを持たせた言い様に今度は守谷が、敵意がなさそうで、その実しっかり相手を威嚇するように、口元を片方だけ上げる。
その後は無言で互いを牽制するぴりぴりした雰囲気の中で奏子はただおろおろと見ているしかない。
「二人とも、いい加減にしたら?」
そんな彼女に助け舟を出したのは、他ならぬ里佳子だった。
「ここは病院なの。外に出てからなら腹の探り合いでも殴り合いでも、何でも好きにすればいいから、今は時と場所を弁えなさい。」
姉はそう言うと、最後に奏子に視線を向けた。
「ご挨拶は終わったことだし、奏子は守谷さんをお見送りしてくれば?」
さっくりと退場を促された守谷は、ふっと笑うと里佳子の方を見た。
「そうですね、今日はこのくらいで。いろいろと失礼いたしました。今後の進展次第で、また改めてお話をさせていただきます」
両親の方に向き直り礼儀正しく挨拶すると、守谷は奏子に促されて病室を出る。その後二人は会話もないままに並んで廊下を歩き、エレベーターホールにたどり着いた。
「ここでいいよ」
「は、はい」
「怒ってる?」
守谷に覗き込まれた奏子は思わず目を伏せた。
「いえ。でもちょっと……」
怒るというより驚いたと言った方が正解だ。史郎と守谷が鉢合わせするなんて、考えもしなかった。そして彼らがあんなに角突き合せるような態度をとることも。
特に史郎があんな風に不快感を露わにしたのを初めて見た。いつも自制が効いていて、他人に怒りの表情さえ見せることがない彼が、人目のあるところで感情的になるなんて信じられなかったのだ。
「まぁ、少し強引だったかなと思って反省はしている。でもこれでご両親にしっかり顔を覚えてもらえたし、彼にも宣戦布告できたし」
「えっ?」
その言葉に奏子が驚いた顔をする。
「彼だろう?君の元の旦那さん。寺坂さん、だったっけ?」
言い当てられた奏子ははっと息を呑んだ。
「知っていたんですか?」
「いや。本人に会ったのはもちろん初めてだよ。パーティーでは後ろ姿しか見なかったからね」
「でも……だったらどうして」
「そりゃぁ分かるさ」
彼女の恋人を志願した自分にあんなに嫉妬のこもった目を向けられれば、誰でも分かりそうなものだ。守谷はそう言いかけて止めた。元の夫にそんな目で見られているという自覚がない彼女に、わざわざそれを教えて気付かせるほど彼はお人よしではない。
「それじゃぁ、また来週、会社でね」
下りてきたエレベーターのドアが開き、守谷が乗り込む。
「はい、今日はお気遣いありがとうございました」
一応見舞いの礼を述べた奏子は、彼に向かって深々と礼をする。その向こうで彼が頷き手を挙げたのが目の端に映ったところでエレベーターの扉は閉まり、降下を始めたのだった。




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