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   セカンド ・ マリアージュ  30


強引に迫られた一件から守谷と距離を置くようになった奏子だったが、その後も宣言通り彼からモーションを掛けられ続けている。
もちろん、おばちゃんたちはしっかりガードしてくれるし、いかに守谷といえどもさすがに会社では大っぴらにことを仕掛けてくることはない。奏子も豹変ともとれる性急さに驚いたことは確かだが、それさえなければ一緒にいること自体にさほど苦痛を感じることはないし、何だかんだと言っても職場でしょっちゅう顔を合わせる相手をそうそう避けてばかりはいられない。
一時は逃げ腰になっていた彼女だったが、今はできるだけ守谷に対して普通に接するように心掛けたお陰か、彼の方もあからさまな行動に出ることはなくなった。結局のところ、逃げるから追いかけられるのであって、何かあってもどんと構えて軽く受け流すことを覚えればそれなりの結果は出てくるものなのだ。
そんな奏子の変化に気付き安心したのか、彼女に会いに来るたびにけんもほろろだったおばちゃんたちの彼に対する風当たりは徐々に弱まってきている。
こうして守谷との関係は少しずつではあるが改善されていき、梅雨に入る頃にはほぼ以前と変わりなく会話ができる程度には戻っていた。

「今日もまた雨かぁ……」
奏子はマンションの入り口で傘をさしながら、小雨が降り始めてどんよりした空を見上げた。
週末の土曜日、今日はこれから病院に向かわなければならない。
今回手術を受けて入院しているのは彼女の母親だった。といっても母の場合は緊急性があるものではなく、以前から調子が悪かった足の関節を治すためのものだ。
もともと気候の良い春先に予定していた手術だが、結局父親の体調が落ち着くのを待っていたらのびのびになってしまい、こんな鬱陶しい時期になってしまった。手術自体は先日予定通りに終わったが、その後の細々した用事をこなすにはまだ若干体が不自由な父親だけでは難しいと、できるだけ彼女も付き添うことにしていた。
「何だか憂鬱だなぁ」
奏子はため息をつきながら、誰に言うでもなくひとりぶつぶつ呟いている。
とはいってもそのため息や呟きは母親の手術のせいではない。それは……
「お待たせ。さぁ、行こうか」
側まで車をつけて彼女を待っていた守谷に向けての言葉だった。

事の発端は、先週彼女が中本にシフトの変更を願い出たことから始まった。
奏子が理由を話して手術当日の午後から数日間のシフトを誰かに代わってもらえないかと相談したところ、同僚たちはすぐに了解してくれた。
「そう、今度はお母さんがねぇ。大変だけど頑張って付き添いしてあげなさい」
前と違って今は少し人員に余裕があるせいか、ありがたいことに割とスムーズに希望を通してもらえる。
早速休憩室に置いてある勤務予定を記入するホワイトボードにそれを書き込んでいたところに、タイミング悪く守谷が現れたのだ。
「あれ、久世さん、来週後半はずっとお休み?」
それを見た守谷がおやっという顔をする。
「ええ、ちょっと実家の方で用事があって」
その理由を知りたそうな守谷に、奏子は曖昧に答える。
「そうなんだ」
彼はそれ以上深く追求してくることはなかったので、奏子も話はそれで終わりだと思っていたのだが。
守谷はどこからか彼女の欠勤の理由を聞きだしたらしく、後日奏子に確認してきたのだ。
「お母さんが入院されるって本当?」
「はい。前から予定していたことですから」
誤魔化したり嘘をつく必要はないので彼女は正直に答えた。
「そう」
それを聞いた彼は少し考えた後で、彼女にこう切り出した。
「だったら一度僕もお見舞いに伺いたいんだけど。この前のお父さんの時は予定が流れてしまったからね」
父が入院した時も彼は一度挨拶を兼ねて見舞いをと言っていたが、その際にはいろいろと理由をつけて断った。特にあの時点ではまだ、自分がパートに出ていることを両親に告げていなかったし、あまりいろいろと話してショックを与えるのはよくないだろうということで遠慮してもらったのだ。しかし今はもう両親も兄もそのことを知っていて、今更隠し立てしなければならない理由は見当たらない。
母は父のように重篤な状態ではない。それに前から言われていたことでもあるので今回もダメですとは言い辛く、結果こんな展開になってしまった。
ただ、彼女自身はまだ守谷を家族に紹介するような段階ではないと思っているので、両親にどう説明すればよいのを少々悩んでいたのだ。
車で15分ほどで母親がいる病院に着き、奏子は守谷と一緒に入院患者のいる病棟へと向かう。
個室を取っているため母親以外の患者はおらず、込み入った話をするにはちょうどよいが、反面彼が両親に何をしゃべるかと思うと気が気ではない。
軽くノックをして引き戸を開けると、最初に目に入ったのはベッドの側に立っている女性の後姿だった。
「リコ姉?」
奏子の声に振り向いたのは、姉の里佳子だった。しかしすぐに彼女の視線は逸れ、奏子の後ろに立つ人物の方に向かう。
「あら、奏子も来てくれたのね。それで、その御方はどちら様?」
里佳子の疑問を引き受けるような格好で、それを口にしたのは母だった。
「あ、こちらは、仕事でお世話になっている守谷さん。守谷さん、こっちが母と、それから姉の里佳子です」
「初めまして、守谷です」
奏子の紹介に、お辞儀をした彼に応える形で母と姉が軽く頭を下げたが、彼女たちが彼のことを詳しく知りたがっているのはよく分かった。
「守谷さんは、今お世話になっている仕事先の会社の上司に当たるの。いろいろと良くして頂いているのよ」
「そう。娘が何時もお世話になっております。なにも知らない子ですので、ご迷惑をお掛けしていませんか?」
「いえ、とんでもない。久世さんはよく頑張ってくれていますよ」
奏子の形式ばったような紹介と母の言葉に、守谷は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「ところで、今日はお父さんは?」
「それがまだなのよ。もうすぐ来るとは思うけど」
姿が見えない父親の所在を訊ねると、先に会社に顔を出してからこちらに寄ることになっているらしい。
それから交わされた、初対面らしい少し遠慮のある会話に、奏子はちょっとほっとしていた。もしかしたら、部屋に入った途端に守谷が爆弾発言をするのではないかと思い警戒していたが、さすがに彼もそこまで無茶なことはしないつもりらしい。ここまでは、何とか事を荒立てずに終わってくれたら、という彼女の希望通りの展開だった。里佳子もいることだし、できれば守谷には早めにお引き取り頂こう。
しかしそんなことを考えていた奏子の思惑は、突然聞こえてきたノックの音と共に脆くも崩れ去ることになる。
「入るぞ」
「こんにちは」
ドアの向こうから掛けられた声に、奏子は一瞬目眩を覚えた。
何で彼もここに来るの?
彼女の動揺を余所に、皆の目が一斉に入口の方に向く。スライドドアが開き、その向こうに現れたのは杖をついて立っている父親と……
「史郎さん?」
彼の姿だったのだ。




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