「……ここは?」 守谷が車を止めたのは、郊外にあるタウンハウスに隣接した駐車場だった。 「僕の家」 そう言って車から降りた彼に促され、外に出た奏子は珍しそうに周囲を見回す。 戸建ての家に玄関ドアが2つ並んでついているそれは、左右で別々の住人が暮らす形状になっているようだ。 彼はそのうち左側の入口の方に進むと、ポケットから取り出した鍵でそのドアを開けた。 「どうぞ」 彼が玄関の電気を点けると、奥へと延びる廊下と右手に緩いらせん状になった階段が目に入る。 「奥から2番目のドアがリビングだから先に入っていて。ちょっと着替えてくるから」 守谷はそう言い置くと一人階段を上り、2階へと消えて行く。 彼に言われたように廊下を進み、真ん中のドアを開けると、急に室内が明るくなったのに驚いた奏子ははっと息を呑んだ。 「び、びっくりしたぁ……」 点灯したのはリビングの天井に着いている照明とキッチンの入口の天井に埋め込まれたダウンライトで、どうやらこれらには人感センサーが着いているようだった。 そのままリビングの入口に立ち、奏子はぐるりと室内を見回した。 1階は大きめなLDKで、廊下との間も敷居のないフルフラットな造りになっている。キッチンは彩乃のマンションより若干狭い感じだが、吊戸棚のないオープンタイプで、そこに沿って広めのカウンターテーブルが置かれていた。 感じとしては、新婚さんからまだ子供が小さい家族向けの、いわゆるニューファミリーが好むような間取りの住宅で、こんなところに独身の守谷がひとりで住んでいることが不思議に思える。家具や敷物などの装飾品はシャープな形が多く、白黒やグレーを多く使ったモダンな感じで統一されているあたりはさすがに若い独身男性の部屋といった趣があるが、それでもこれだけの広さの住まいに一人でいるのは若干贅沢なようにも思えた。 「どう?じっくり観察できた?」 「ひっ」 いつも間にか彼女の背後に来ていた守谷に急に声を掛けられた奏子は、思わず掠れた悲鳴を上げる。 「あ、ごめんごめん、驚かすつもりはなかったんだけど」 振り返った奏子が口をぱくぱくさせながら目を白黒させているのを見た彼が少し困ったように笑う。 「ここは一応社宅扱いになってるんだ。だからこんな長閑な住宅地に場違いな独り者が住むことになったってわけさ」 「社宅、ですか?」 「そう。ここ一戸分は一応会社斡旋の借り上げ。ちなみに隣は先月転勤で出て行っちゃって、今は空き家になっているんだけどね」 そういえば、もう一つあるはずの隣の住居からはまったく物音が聞こえてこない。となればここは実質彼が一人でまるまる一軒分使っているようなものなのかもしれない。 「ほら、今お茶を淹れるからソファーにかけてて」 彼の言葉に頷いた彼女の背を押すと、守谷はキッチンの方に入って行った。 言われたように3人掛けの大きなソファーの端に座り、奏子はふうっと息を吐き出す。 背後から聞こえてくるお湯を沸かす音や食器をカチャカチャいわせる音に耳を傾けながら、彼女は今夜自分が何をするために彼を誘ったのかを今一度思い返す。 今まで隠していたことを知った後に、彼がどんな反応を見せるかは分からない。それでも今夜それを告白してしまわないと、後々もっと彼を苦しめるようなことにもなりかねない。 一緒に仕事をするだけの関係ならばここまでプライベートなことを曝け出す必要はなかっただろう。しかし彼から好意を寄せられていることを知ってしまった以上は、きちんとこれまでの経緯を話し、その上で彼女の心情や状況を知ってもらう必要があるように思えたのだ。 何よりもう嘘はつきたくない。 そもそも最初から史郎との関係を隠す必要はなかったのだ。彼と過ごした短い結婚生活は苦しいことも多かったけれど楽しいこともたくさんあった。それらすべてが自分の中で人生の一部になっていることは間違いない。 史郎がいたからこそ、今の自分がある。 彼に出会わなければ、彼女の人生は今とはまた違ったものになっていたのかもしれないが、もしもそうだとしたら、奏子があの厨房で働くこともなかっただろうし、必然的に守谷に出会う機会はなかっただろう。 どの歯車が一つ欠けていても今という時間は巡ってこない。人生なんてきっとそんなものなのだ。結婚も離婚も、自分にとっては人生の重大なターニングポイントの一つであり、それらを何一つ悔やんだり恥じたりする必要はない。 だからこそ、守谷には隠し事なくありのままの自分を見て欲しかった。今はまだ、自分の中でも彼に対する確たる恋愛感情が育っていないことは重々承知の上で、まずはこちらの内情を明かし、誠意ある対応をしたいと思えた。 「どうぞ」 彼がトレーを片手にキッチンから戻ってきた。差し出されたのは濃い緑色をした緑茶だ。 「もう時間が時間だから、コーヒーは止めておいたよ」 守谷はそう言うと、自分の前にも同じものを置き、彼女とはテーブルを挟んだ向かい側の床に直接座る。そしてお茶を一口二口とゆっくり啜った後で、徐に湯呑みをテーブルの上に置いた。 「それで、話って?」 どう話を切り出そうか迷っている様子の奏子を見た守谷がまず水を向ける。 伏せていた目を上げ、見つめた彼の表情は、いつになく硬いものがある。 テレビの音も音楽もなく、聞こえるのは時折外の道路を走り抜ける車の音と電化製品の低く唸る音くらいなもので、その静けさが彼女に痛いほどの緊張を齎した。 「あ……」 声を出そうとするが口の中からからに乾き、うまく舌が動いてくれない。慌ててお茶を一口啜り、それを嚥下してようやく人心地ついた奏子はその勢いで何とか話を始める。 「あ、あの、私一つあなたにお詫びしなければならないことがあるんです」 「お詫び?」 彼の鸚鵡返しに奏子は小さく身を震わせる。 「はい。私今まで守谷さんに隠してきたことがあって」 そこで一度言葉を切った彼女は、しばらく躊躇った後に意を決したように彼の目をじっと見つめた。 「面接の時、私、あなたに自分は大学を出てから一年間、家事手伝いをしていたと言いました」 それを聞いた守谷がそうだねと呟きながら頷いた。 「でも違うんです。本当は私……」 そこで再び言いよどんだ彼女を、守谷は促す様な目で見た。 「私はその間結婚して主婦をしていました。私、本当は離婚歴がある、バツイチなんです」 HOME |