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   セカンド ・ マリアージュ  22


悩みの種だったパーティを何とか無難に乗り切ったことで精神的な圧迫感から解放された奏子は、ようやく普段の生活ペースを取り戻せることに安堵した。
それからしばらくの後、3月の声が聞かれ始める頃になると父親は医師も驚くほどの回復ぶりを示し、こっそり病室に書類を持ち込んでは母親から小言をもらうようなった。そんな自由にならない生活が嫌なのか、早くも退院したいとゴネて看護師を困らせている、と聞かされた奏子は、そのあまりにも父親らしい言動に、呆れて笑ってしまったほどだ。
懸念だった父親の術後の経過も良く、気分的に余裕が出てきたのか、母は今後の付き添いは自分一人でも大丈夫、奏子には時々様子を見に来てくれれば充分だと言い出したこともあって、月初からは仕事も通常のシフトに戻してもらうことに決めた。
そうなれば、最後に残る懸念は件のことを、いつ、どういうタイミングで守谷に告白するか、ということに絞られてくる。
どこの会社も同じだが、年度末は本決算のために社内がかなりばたばたする。奏子が勤める工場も生産ライン自体にはさほどの影響はないということだが、やはり事務方の人間は来期に向けてのことでいろいろと忙しいらしく、以前に比べて守谷が厨房に姿を見せる機会は少なくなっていた。

「次の週末、空いてる?」
そんな奏子のもとに守谷の方からお誘いがあったのは、木曜日の午前の終業後のことだった。
終業後といっても、時間はまだ朝の10時半。寮の朝食の片づけをして、午後の準備を仕込んでいるとだいたいこのくらいの時間になる。
駐輪場に向かっていると、ちょうど工場の方から事務棟に戻って来る彼と行き合ったのだ。
「はい。大丈夫です」
会いたくないと思うと変なところでばったり出会ってしまうのに、何とか話をしようとチャンスを狙っているときに限ってなかなか彼の姿を見つけることができなかった。今週に入ってからは一週間皆勤のシフトで仕事に来ていたのに、彼に会ったのは今日が初めてだったのだ。
「土曜日の夜なんだけど、いいかな?」
「夜ですか?はい、大丈夫ですけど……でも守谷さんはお休みにならなくて大丈夫ですか?すごくお忙しそうですけど」
この頃なかなか守谷に出会えない理由の一つは、彼が本社の方に出かけることが増えたせいだ。奏子がここに来始めた頃は多くても月に2、3日くらいのペースだったものが、ここのところ月の半分くらいは不在になっているように思う。
「問題ないよ、っていうか、いい加減どこかで息抜きしないとこっちが参る」
そう言って持っていたファイルの背でとんとんと自分の肩を叩く守谷は、やはり少し疲れている様子だった。
「何か出掛けるのも久しぶりですね」
「そうだね」
奏子の言葉に同意するかのように守谷も頷く。
ここのところなかなか予定が合わず、食事に行く機会が減っていた。そこに奏子の父親の件が持ち上がってきたので、時間的にも気分的にもそれどころではなくなっていたというせいもある。
現在は彼が多忙なお蔭で、以前言っていた彼女の父親の見舞いという話も今のところ実現していない。正直に言えば、未だ守谷に対する感情の整理がつかず、なおかつ隠し事をしている自分としては、親と彼を会わせることには躊躇いがあった。
第一、彼女はまだ兄以外の家族の誰にも自分が外で働き始めたということを告げていない。いかに過保護な両親でも、さすがに今さら出戻った娘に仕事をするなとは言わないだろうが、それでもあまり良い顔をしないだろうことは想像に難くないし、その会社で知り合ったとなると彼にもあまり良い印象を持たないように思えた。
それに実家の家業がらみとはいえ、離婚後も密な関係が続いていて、明らかに史郎びいきの両親に突然守谷のことを紹介しても、彼らは戸惑うだけだろう。それもあって、彼に時間が取れないこと心のどこかでありがたいと思っている、というのが奏子の偽らざる気持ちだったのだ。

それから食事をする店の候補と時間を決め、その場で別れた後、結局週末まで二人が職場で出会うことはなかった。多分彼は今週も本社の方に呼ばれてこちらにはなかなか顔を出せない状態が続いているのだろう。奏子はそう思いつつ、今の状況に感謝する。というのも、今度一緒に出掛けた時に彼にすべてを話そうと決めていたのに、ここでそうそう何度も守谷の顔を見ていると、その決意が鈍りそうだったからだ。
ただでさえ、今更何をというようなことを告白せざるを得ないのに、これ以上彼の前で何もないふりをして白を切り通せるほど、彼女の心臓は強くない。
今回はもしかしたら飲めないお酒の力も少しくらい必要があるかもしれないなぁ。
そんなことを思いつつ、奏子は週末に向けての心づもりをしていたのだ。


翌、金曜日の朝、そんな彼女の元に一通のメールが入った。
姉の里佳子からのもので、今夜久しぶりにどこかで食事でもしないかという誘いだった。
「うわぁ、リコ姉となんて本当に久しぶり。2年?いや、3年ぶりくらいか。確か最後に一緒にご飯を食べに行ったのは、まだ私が大学を出る前だったんだから」
奏子は一人でぶつぶつ言いながら、メールを返す。
『大丈夫だよ、予定は空いてる。どこかお勧めのお店はある?』
するとすぐに返事が返ってくる。
『こっちのことはあまりよく知らないから、良い所を知っていたら予約しておいてくれる?できれば魚より肉。和食より洋食』
それを見た彼女はその言い様があまりにも姉らしいと吹き出しながら、以前守谷に連れて行ってもらった、カジュアルフレンチのお店を思い出した。
『了解。あまり高くなくて、格式張らないところにしておくね』
姉からの了承を取りつけた奏子は、午前の仕事を終えた帰り道で店に連絡を入れて予約を頼んだ。さすがに窓際のロケーションの良い席は無理だったが、テーブルはしっかりと確保できたことにほっとする。
あちこち食べ歩きに連れて行ってくれた守谷さんに感謝!
かつてのように家に引きこもりがちだった自分では、到底知りようがないような場所を教えてくれたのは守谷だ。史郎と暮らしていた時にも一緒に出掛けることはあったが、どちらかといえば彼が主導権を握り、自分はその後ろをついていくといった感じだった。しかし守谷は敢えて奏子に行先を選ばせたがるように思う。もちろん、史郎がチョイスしてくれた店はどこも名店で、味も接客も文句のつけようがない所ばかりだったけれど、少し肩がこるような雰囲気があった。それにひきかえ、守谷が目を付ける場所は結構当たり外れがある。そこがまた、行きつけの店を開拓していく面白さなのだと彼に言われ、奏子もなるほど、と思ったものだ。
良い意味で感覚が庶民的な守谷と一緒にいると、自ずと自然体になれる。物腰の柔らかさといい、聞き上手な会話といい、彼は友人として付き合うなら最高の人だろう。
だが、恋人としてはどうなんだろう。
工場の駐輪場に向かう道すがら、そんな考えが頭を過った奏子はふと足を止めた。
もしも、この先そんなことになったとして、果たして自分は史郎の時と同じように、彼に無条件で自分を委ねることができるだろうか。
急に現実味を帯びてきたそれに、彼女は小さく身震いする。
そんな自分に気付いた奏子は苦笑いした。
隠している事実を知った時に彼がどう出るか全く予想できないというのに、今からその先のことを考えても仕方がない。
ただ、彼女の心の中には、これで彼の気持ちが変わるのならばそれはそれで構わないという、どこか投げやりで他力本願な思いがあることは偽らざる事実だった。




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