BACK/ NEXT / INDEX




   セカンド ・ マリアージュ  2


その夜、彩乃は約束通りにケーキを携えて帰ってきた。二人がお気に入りのショップの、一番高価な種類のものをランダムに、それも一人に二つずつという大盤振る舞いだ。
「すごい、豪勢。もしかして、デザインが採用になったの?」
手渡された箱の隙間から中をのぞいた奏子は、思わず歓声を上げた。
「うーん、幾つかは他の人に持って行かれたけど、戦績としてはまぁまぁかな」
そう言うと、彩乃は満足げににっこりと笑った。
「よかったね。じゃぁ、このケーキは食後に頂くとして、先にご飯食べちゃおうよ」
「着替えてくるから、ちょっと待ってて」
機嫌よく自室に入っていく彩乃を見送った奏子は、キッチンに戻っておかずを温め直す。手際よくお皿に盛り、あらかた準備が整ったところでラフな服装に着替えた彩乃がリビングに戻って来た。
「何?これ」
テーブルについた彼女が、目ざとく側に置いてあった求人誌を見つけた。
「あ、それはねぇ」
温めた味噌汁をお椀に注ぎ、よそったご飯をそれぞれの前に置いた奏子が、端を折り曲げておいたページを開いた。
「ここ」
彼女が指さす記事を見た彩乃は、もっとじっくり見せろと言わんばかりに情報誌を取り上げる。
「ん?なになに。調理助手?」
しばらく下に続く細かい文字をじっと見ていた彩乃が目を上げた。
「どう思う?」
奏子はどきどきしながらお伺いを立てるように聞いた。
それにはすぐには答えず、彩乃は採用条件を指先でなぞりながら何度も読み返しているようだ。
「うん、いいと思う。正直、この先のことを考えたら早朝と夜の時間帯のパートっていうのは引っかかるけれど。でも奏子は社会人として仕事をした経験が皆無だから、こういう時間に融通が利きそうな職場から入ったら、多少は馴染むのも楽なんじゃないかな」
「そう思う?」
「うん。とにかく外の空気に触れてみないと。それでお給料ももらえるなら一石二鳥じゃない。やってみたら?」
「ありがとう。そうしてみる。明日電話してもう一回条件なんかを確認するから。あ、でも……」
何かに思い至った奏子は、急に顔を曇らせた。
「ん?どうかした?」
「できるだけ家のことも今迄通り頑張るけど、時間的に無理なことも出て来るかも」
いくら通勤にかかる時間が短いとはいえ、朝の開始時刻ぴったりに入るのは難しいから少し早目に家を出ることになるだろうし、夜は夜で終了してもすぐに帰れるとは限らない。そうなれば自ずと彩乃の朝夕の食事の準備をする時間がなくなったりずれ込んだりする可能性が出てくる。
「大丈夫よ。元々一人暮らしをしていた時は全部自分でやってたんだし、今だって残業が結構あるから夕飯は遅くてもいいでしょう?少しくらいの時間の調整は利くから」
「でも……」
忘れてはならないのは、奏子は今、このマンションの居候なのだ。ここにご厄介になると決めた時、家事をすべて引き受けるという条件で、彩乃は自分が家賃だけでなく生活費全般を丸抱えすると言ってくれた。そんな経緯もあって、今では家計の管理までも奏子に任せてもらっている。
離婚して、身を寄せるところに困り途方に暮れていた奏子を、彩乃は無条件で受け入れてくれた。あの時に感じた心強さと安堵感を思い出す度に、彼女に対する返しきれないほどの恩を忘れてはいけないと思う。

「ほら、早く食べないと、せっかくのご馳走が冷めちゃう。いただきます」
そう言って彩乃はテーブルに並んだ食事に箸をつける。まだ何か迷っている様子の奏子を見た彼女は、わざと素っ気なく突き放す。
「考えてたって仕方がないでしょう?それにまだ面接さえ受けていないんだから、勤められるって決まったわけじゃないんだし」
「うん……そう、そうだよね。でも、面接とか、緊張する。受かるかなぁ、私」
離婚してから何度か引き受けた単発の仕事は内職のようなもので、形だけの履歴書を出したきりだ。
何の自慢にもならないが、奏子は幼稚園の入園時に受験して以来、面接なるものをしたことがない。その後は大学まで、一貫制の女子校で受験自体がなかったし、大学生になっても両親からアルバイト禁止を言い渡されていたから簡単な面接さえ受けたことがないのだ。そして極め付けは、在学中に早々と結婚が決まったお蔭で就職活動もまったくしなかった。
奏子はこれまでいつも、何となく「まぁいいか」で済ませ、自分の意志を表すことなく親が敷いてくれたレールの上をのほほんと歩んできた。そんな楽をしまくった人生のツケが今頃になって経験不足という形で我が身に返ってくるとは。

また別の意味で、考え過ぎて一人ぐるぐるし始めた奏子を見た彩乃はこっそりため息を漏らした。
「先走って悩んじゃダメだって。そんな風に考えてたらいつまでたってもこの状況は変わらないでしょう。何事もやってみないと結果は分からないんだから。それにこれは自立への第一歩、ダメもとでいいじゃないの」
「う、うん」
まだ何となく不安そうな表情の奏子のおでこを、彩乃は人差し指でぐりぐりと突っついた。
「ほら、しゃんとして。今からそんなだと本番まで気力がもたないわよ。それよりケーキ。ご飯が終わったからケーキにしよう」
「え?私まだご飯を食べかけ……」
はっとして見た目の前の自分の皿にはまだ半分以上のおかずが残っているが、彩乃の方は粗方きれいに片付いている。
「早く食べちゃいなさいよ。私が後片付けしながら紅茶の準備しておくから」
「え?それじゃ悪いよ」
「いいから、いいから。自慢じゃないけど、紅茶は私が入れた方が美味しいし。そんなこと言っている間にさっさとご飯を食べる」
「はぁーい」
急いで夕飯をかきこみ始めた奏子を見て、彩乃は自分の食器を手にキッチンへと向かう。
素直で世間ずれしていなくて、まるで人を疑うことを知らなかったこの友は、学生の頃から見ていてもどかしいほど人の言葉に流されやすい子だった。そんな彼女から自らの意思で離婚を決意したと聞かされた時には俄かには信じられなくて、本当に驚いたものだ。
そして今、自立の道を模索することで自分の有り様を探し始めた彼女のことを、彩乃は心から応援せずにはいられなかった。
「奏子」
「ん?」
突然呼ばれた奏子が、ご飯を食べながらこちらを振り向いた。
「しっかりね」
「う、うん、頑張る」
そういってぎこちなく頷く彼女に彩乃は柔らかな笑みを返す。
彩乃にとって学生時代の数少ない友人である彼女に、何とか幸運の女神が微笑んでくれることを祈りながら。


翌日、記載されていた番号に電話を掛けて確認すると、まだ求人は締め切っていないとのことだった。
奏子が自分の住んでいる場所を言うと現地のすぐ近くだと知った担当者から、できれば今日明日にでも面接に来てほしいと言われた。
先方も急いでいるのか、求人誌に載っていた応募時の履歴書は送付しなくてもその時に持参すればよいとのことで、奏子はその次の日の午後に工場の敷地内にある会社の事務所に面接に出向くことになったのだった。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME






Photo by 7style