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   セカンド ・ マリアージュ  18


「パーティーに行って欲しいって、何の?」
後から病院に来た母親に訪ねると、そう言えば、思い出したように教えてくれた。
「今週末にお父さんと史郎さんがウチの会社の代表として出席する予定があったわね」
母の話によると、先代、つまり奏子の祖父の代まで付き合いのあった取引先がある大企業と合併し、経営統合されることになったのだという。
「それって、おめでたいことなの?」
その微妙な言い回しに、奏子は首を傾げた。
「うーん、まぁ、大会社の傘下に名を連ねるってことになるから、今までより資金繰りは楽になるだろうし、世間的には良いこと、と言わなくてはいけないんでしょうね。ただ、実際のところはほとんど吸収合併だから、社長さんたちにしてみれば、会社まるごと余所に持って行かれる、っていう気持ちの方が強いんじゃないかしら」
そんなこともあってか、新会社関連の祝賀行事には、吸収する側とされる側、双方が競うように数多くの取引先を招待しているらしい。
「こんな状況だし、史郎さんはどうするか迷っているみたいだけど、お父さんはできれば出てあげて欲しいって」
奏子の父親は先代から社長業を継いですぐに商売替えをしているため、現在はそことは取引がない。しかしこのような催事に、別業種であっても名の通った会社と昵懇であることは、一種のステイタスと見做されることを奏子も経験上知っていた。
「ただ、いくらお父さんの名代でも、お母さんと史郎さんって取り合わせで行くのはちょっと無理があるのよ」
社長の妻と娘婿ではねぇ、と言って母は苦笑いするが、それなら奏子の立場はもっと難しいものになる。
「でもお母さん、確かに私は久世の人間だけど、もう史郎さんとは夫婦じゃないのよ」
一人で行けと言われるとさすがに尻込みするが、史郎と一緒にと言われるともっと困る。第一、離婚した「元」夫婦が二人で仲良く連れ立って公の場に顔を出すなんて話は聞いたことがない。
「それなのよ、奏子。みんなまだそのことを知らないの」
「えっ?」
一瞬母親の言葉が理解できなくて、奏子は眉間に皺を寄せた。
「だから、あなたと史郎さんが離婚したことを、みんなには言ってないのよ」
会社の役員たちや近しい親族は奏子と史郎が別居したところまでは知っているが、二人が正式に離婚したことを知っているのは身内の中でもごく一部の者だけだ。
突然奏子が離婚を言い出したのと、史郎が早い段階でそれを受け入れたことで世間にありがちな泥沼の離婚劇のようなものが一切なく、周囲もそのことに気付かなかったようだ。
奏子本人は自分の方に非があるという負い目から、財産分与等彼には何一つ要求しなかったし、彼の方からもそういった話はなかった。それに離婚後も変わらず史郎が父の会社で働いていたことも相まって、外から見れば単なる夫婦の別居としか映らなかったらしい。
離婚自体吹聴して回るものではないと奏子は思っていたので、史郎が公の場に自分を同伴しなくなったことで、二人の破局が自然と広まり周知されれば良いと考えていた彼女の思惑は全く外れたことになる。

「そ、それじゃ、大貴兄さんは?兄さんと史郎さんで行ってもらったら?」
「大貴君ねぇ……」
それを聞いた母親はお手上げとばかりに大きく肩を竦める。
「あっさり断られたわ。あの子は今までウチの家業にはまったくタッチしてこなかったでしょう?今更下手に顔つなぎなんてしたら、周りが煩いし後が面倒になるからって嫌だって」
だからこそ、それを行動で表すために、大貴は家を出た。
史郎が奏子と一緒になって父の後を継ぐという話になった時も、二人の結婚の時期には尚早と異を唱えたがそれ以外は一切文句も注文も口にしなかったのだ。
「だったらリコ姉は?」
「里佳子ちゃんは言うに及ばずよ」
そう言った母が思い出したようにため息をつく。
「一応声は掛けたの?」
「一応ね」
実家と一線を画す里佳子の態度の冷たさは、大貴の上を行く。特に父親が絡むと輪をかけて、けんもほろろだ。今回だって、連絡を受けてすぐに病院に駆け付けて来たことは、驚くべきことだったのだ。

「奏子、もう時間もないことだし、史郎さんと一緒に行ってくれない?お父さんの代わりに、久世家の代表として」
もし仮に、史郎の妻として、と言われたらきっぱりと断るだろう。しかし病に倒れた父親の名代となれば久世の名を持つ身としては拒否しづらい面もある。
史郎とは書類の上では他人になったが、実家との関係はそれに追随しない。しかも今の父の容態を考慮すれば、あまりことを荒立てるのは避けたいところだった。
その上、困ったことにそのパーティーが催されるのは明後日の夜だという。出席者の変更を相手側に連絡しておかなければならないことを考えると、ゆっくりと悩んでいる時間はなかった。
「……分かった。今回だけ、お父さんの顔を立てて出る。でも、本当に今回だけよ」
いかにも不承不承と言った具合で、しつこく念を押す奏子だが、それでも母はぱっと笑顔になり頷いた。
「ありがとう、きっとお父さんも喜ぶわ」
「あ、でも何を着て行ったらいいのかな?」
公式の場に史郎と一緒に出掛ける時には、大概ワンピースかシンプルなドレスだった。今後はもう着ることもないだろうと思っていたし、吊り下げると床を取るそれらの衣装は畳んで箱に入れたまま実家のクローゼットの中に積んである状態だ。
「ドレスはすぐにアイロンをかけてもらって、着れるように準備しておくから。ヘアサロンも何とか時間を空けてくれるようお願いしておくわね」
こんな時だからということもあるのか、母は抑え気味に、だが心持楽しそうな表情をして自分がしなければならない用意を考えているようだ。
何となく押し切られた格好の奏子だったが、それでも一度決めたことは仕方がない。何となく気が進まない彼女は、職場に向かうバスの中でがっくりと項垂れたのだった。


「あれ、珍しく自転車じゃないんだね」
バスを降りてから数分、暗い気持ちを引きずりながら工場の通用口から入り、厨房までをとぼとぼと歩いていた奏子は、書類を持って事務棟から出てきた守谷と行き合った。
「はい、今日はちょっと……」
「そういえば、お父さんの具合いはどうなんだい?」
父が緊急手術を受けたことは、シフトを変えてもらう際に中本達に伝えてある。守谷が彼女たちから聞いて知っていることは不思議ではない。
「あ、はい。手術は上手くいったみたいです。このまましばらく入院することにはなりそうですけど」
「そう。手術が無事終わったら、一安心だね」
「はい」
「機会があれば一度ご挨拶がてらお見舞いにうかがいたいと思っているから」
守谷はそう言い残すとにっこり笑いながら、工場の方へと向かって歩いていく。
その後ろ姿を呆然と見送りながら、奏子は途方に暮れた。

まだ返事はしていないものの、自分と付き合いたいという守谷の気持ちを聞いているだけに、今日のことが何となく後ろめたい。別れた夫と一緒に公の場に出るなんて、彼にはとても話せない。
それを言うなら、自分がバツイチであることを彼に正直に告げていないことも彼女の罪悪感を更に煽った。
単なる職場の知り合いという程度の付き合いならば言う必要のないことではあるが、少なからず自分に思いを寄せてくれている彼に、このまま黙っているのは不誠実なことだと分かっている。
奏子は北風に落ち葉の舞う地面を見ながら、今日何度目かもわからないため息を溢す。

何か困ったことになってきたなぁ……どうしたらいいんだろう?




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