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   セカンド ・ マリアージュ  16


「……そうね。こうして会うのは何年振りかしら」
里佳子は冷たい口調でそう言うと、ついと彼から視線を逸らす。
「3年ぶりぐらいですかね」
「そうね。それくらいは経っているわね」
現在も海外に生活拠点を置いている里佳子は、仕事が立て込んでいて身動きが取れないことを理由に彼女たち結婚式には出ていない。それどころかここ一、二年は日本に戻って来ることさえなかった。妹の奏子でさえ、最後に姉に会ったのは彼女が史郎との結婚を決めた3年近く前にまで遡る。

奏子と10歳近く年が離れている里佳子は、父親と前妻の間に生まれた娘であり大貴とは母親を同じくする姉弟だ。ただ、就職するまで家にいた大貴とは違い、彼女は高校を卒業すると同時に家を出て単身外国に渡り、その後はあちらの学校で学んだ後にそのまま現地で職を得た。
だから姉妹が一緒に暮らした期間は10年にも満たない短い間でしかなかったが、それでも里佳子は年が離れた妹の奏子をことのほか可愛がってくれた。
その姉が自分たちの結婚に難色を示し、式にも出られないと聞いた時の奏子の落胆は大きく、またその訳をはっきりとは教えてくれないことに苛立ちを覚えたが、その時には式の準備の忙しさに紛れて、結局理由は分からず仕舞いだった。

「里佳子ちゃん、よく来てくれたわね。お父さんがこんなことになって言うのも何だけど、あなたがこちらに戻っている時で良かったわ」
母親の言葉に、奏子はやっとさっきから自分の頭の片隅に引っかかっていたことを思い出した。
「リコ姉、こっちに戻ってたって、いつ?」
実家を出てからも母とはたまに電話をしていた奏子だったが、そんな話は聞いていないし、里佳子から直接の連絡ももらっていない。
「そうね、もうかれこれ3ヶ月近くになるかな」
考えてみれば、ちょうどその頃は今の仕事を始めたばかりで時間も気持ちにも余裕がなかった。そのせいであまり家族とも連絡を取れなかった時期でもあった。
「何で今回はそんなに長いの?」
いつもは長期休暇が取れるバカンスのシーズンやこちらの冠婚葬祭に合わせて帰ってくるのが常な姉は、長くても半月、短いと1週間も滞在しないことがある。そんな彼女が月単位で国内に留まっていることが奏子には不思議に思えた。
「会社がこっちに直営店を構えることになってね。そのオープニングスタッフの人選と教育、それに本社との連絡役を押し付けられちゃったのよ」
若干不服そうな言いぐさは、それが彼女の本意でなかったことを表している。
現在デザイナーをしている里佳子は最初、デザインよりもプランナーとしての職を希望していたのだが、たまたま学生時代に知り合った友人の勧めでデザインを学ぶうちにその頭角を現すようになった。
元々色彩に関しては絶妙なバランス感覚に長けていた彼女は「合わないものを合わせる」能力に優れていたが、その奇抜な発想は日本人の感覚にはなかなか受け入れがたいものだったらしい。
例えば奏子が七五三で着た青地に濃紺の織模様の入った晴れ着と白銀の帯の取り合わせは里佳子が選んだものだったが、当時はなんでこんな小さな子供に寒々しい色の着物を誂えたのかと周りから散々な言われようだったと聞いている。
だが、確かにその色の着物は彼女には良く似合っていた。赤もピンクも、幼い女の子が着ればそれなりに可愛いのだろうが、多くの子供が並んだ神社のお払いの席で一番目立ち、尚且つ立ち姿が凛として見えたのは奏子だった、と後から母親が言っていたのを思い出す。
ただ、そんな姉は変わり者扱いで、学生の頃から周囲とはいろいろな軋轢があったようだった。特に頭の固い父親とは全くそりが合わず、そのせいで半ば出奔するような形で家を出て行ってしまったのは奏子がまだ小学生の時だった。
有能で自立心が旺盛、その上何かに挑戦することが楽しくて仕方がないと言って憚らない姉。
恐らく彼女ならば女性ではあっても事業家として、いずれ父親の後を継ぐことも可能だったに違いない。だが、里佳子は自身が家を出ることを決めた時に、今後は一切久世の家のことには関わらないとはっきり宣言した。
もちろんその中には生さぬ仲の子である里佳子と夫との間で板挟みになっていた奏子の母親への遠慮もあっただろうが、何より自分を認めてくれなかった父親への絶縁の意味が大きかったのではないかと思う。
それ以降、姉は奏子を含む家族と密に接することはなくなり、父親とは話すどころか顔も合わせないような状態がずっと続いていた。


「ところで寺坂君、これは一体どういうことなのか、説明してくれる?」
「どういうこととは?」
姉と史郎のやり取り葉に、ぼんやりとしていた奏子は現実に引き戻された。
「あなた、あの時私に言ったわよね、奏子を大事にするって」
「ええ。確かに言いましたね」
それを聞いた里佳子は急に表情を変えて、彼に食って掛かった。
「『ええ、確かに言いましたね』ですって?よくもそんなこと、涼しい顔して言えるわね。可愛い妹の戸籍にバツをつけるために託したわけじゃないのよ。それなのに、何よこのザマは」
今にも彼のネクタイを引っ掴みそうな勢いの里佳子を、大貴が必死で抑え込んでいる。
「婚約が決まった時、この子がどれだけ傷つきやすくて周りに流されやすいのか、それを承知の上で自分が全力で守っていくって言ったのはアンタだったわよね」
初めて聞いた言葉に、奏子は思わず息を詰めた。
奏子との婚約が調う前に彼と姉が会っていたことも、史郎がそんなことを言ったというのも初耳だった。
里佳子の言いようでは、史郎の方が何だかの理由で奏子を突き放したように聞こえるが、実際はそうではない。史郎と離婚してから姉と話をする機会がなかったのでそのあたりが正確に伝わっていないのは仕方がないことかもしれないが、それではあまりにも彼に申し訳ない気がした奏子は里佳子にそのことを説明しようとした。だが、辛そうな顔で自分の方を伺う奏子に、史郎は何も言うなといわんばかりに小さく首を振った。
「黙ってないで何とか言ったらどうなの?」
弟の制止を振り切って、里佳子が史郎に詰め寄ろうとしたその時、奏子の背後で人の気配がした。
「どなたか久世さんのご家族の方はいらっしゃいますか?」
見れば、手術着を身に着けた看護師がこちらを窺うようにして入口に立っている。
「あ、はい僕が」
看護師の登場で勢いが削がれた姉の側を離れると、大貴はそちらに近づいた。
「先ほど手術は終わりましたが経過観察のために患者様はこのまま集中治療室に入られます。後ほど担当の医師から詳しい説明があると思いますので、もうしばらくこのままお待ち下さい」
側に来た大貴に何かの書類を渡した看護師は、会釈をして部屋を後にしようとする。
「あの、手術は……父は大丈夫なんでしょうか?」
奏子の問いかけに、彼女はにっこり微笑むと小さく頷いた。
「今のところ容態は安定しているようです。ただ、患者様の状態については改めて担当医から詳しくお話させて頂きます」
看護師の言葉に、そこにいた一同、一様にほっと胸をなでおろす。

気が付けば時刻はかなり遅い時間になっていて、窓の外はとっくに真っ暗だ。
手術の成功を聞いた里佳子は、この場は大貴たちに任せて自分は一旦会社に寄り、そのまま定宿にしているホテルに帰ると言い出だした。念のために明日の朝再度こっちに顔を出して容態を確認するが、基本的にこれ以上は父親にはかかずらいたくないという態度は相変わらずだ。先に部屋を出て行った里佳子に続き、史郎もまた会社に報告がてら戻って、放り出してきた仕事を片づけてから帰宅すると言い残してその場から去っていった。
連れ立つように出て行った二人を大貴が複雑そうな目で追う。そしてまた、奏子もそんな兄の様子に言いようのない胸騒ぎを覚えていたのだった。




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