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   セカンド ・ マリアージュ  14


家まで送ると言ってくれた守谷を断り、奏子はとぼとぼと帰りの道を歩く。
まだ一人で歩いて危ない時間ではないし、何よりマンションに戻るまでに自分の頭の中を整理しておかなくてはならない。
「どうしたらいいんだろう?」
吐き出した言葉は誰に受け止められることもなく、ため息とともに空に消える。
一緒にいても適度な距離感を保てる守谷との関係は、奏子にとって肩肘張らずに過ごせる楽な付き合い方だった。
それに今まで家族以外の男の人と一緒にいる機会があまりなかった彼女には、彼の取る行動のすべてが新鮮に映ったし、見方や考え方の違いを気付かされることが多かった。美味しい店を探して自らの舌でそれを確かめるのも掛け値なく楽しかったが、彼との会話がそれによりスパイスを効かせてくれているのも事実だ。
彩乃に言わせれば、「イマドキの中学生でもそんなデートはしないわよ」というレベルの色気のない外出だったが、だからこそ、守谷と一緒に出掛けることがデートであるという認識は彼女の中では皆無に近いくらい薄かったし、彼が自分にそんな感情を抱いていると思っていなかった。

「守谷さんに甘え過ぎてた……のかなぁ」
確かにここのところ職場の同僚たちが、何となく二人の行動を見て見ないふりをしている感はあった。それまで何度か奏子が寮の男性から声を掛けられ、誘われた時には誰彼となく間に割って入り、やんわりと、時にはっきりと邪魔をしてくれていたのが、守谷に関してだけはどのおばちゃんたちも何も言おうとはしなかった。それどころか「あそこ、すごく美味しいらしいよ」とか「娘が、『このお店、雰囲気が素敵だった』って言っていたから今度守谷君と行ってみなよ」とか、それとなく二人が好みそうな場所を教えてくれたりもした。
今思えば、それは守谷の意図に気付いていた彼女たちがお節介にならない程度にお膳立てしようとしていたのだとようやく気付く。

片や当の本人である奏子にはそんなつもりは一切なかった。
ただでさえ離婚という人生の激変をやっとのことで乗り越えて、ようやく生活が落ち着いたばかりだ。短い結婚生活の中で、如何に自分が他人に流されやすく、根無し草のような存在であるかに気付かされた彼女は、今はまだ根底から崩れてしまった自分の生活を立て直し、今後の生き方を考えるのが精一杯といった状態だ。
それに何より、史郎との暮らしの中で感じた切なさや歯がゆさ、辛さといった負の部分の感情は未だ奏子の中では昇華しきれていない。人生の伴侶という血の繋がりのない個人と自分の考えを、夫婦という枠の中で折り合いをつけることの難しさを痛感したし、また周囲を取り巻く現実を知ったことで、結婚に対する未知なる憧れが失われた分、男性に好意を持って向き合うことに対して及び腰になってしまう自分がいる。
そのせいで今のところ異性との付き合いは、自分の中で優先順位をつけるとなるとかなり下の方に行ってしまう。それなのに、プライベートで再々守谷と出かけ、ひいてはそれが彼と周囲にそんな認識をさせてしまったのだとすれば、自分の安易な行動を咎められても仕方がないのかもしれない。

私って、どうしようもないお調子者だ。
己の所業を省みて、がっくりと肩を落とす。そうすると両手に下げた買い物袋の重みがよりずっしりと彼女の腕に響いた。
何でよりによってこんな日にサラダオイルと牛乳とヨーグルト、それにジャガイモとタマネギの大袋入りが特売なんだろう?
肩の痛みを感じつつ、奏子はますます自己嫌悪に陥る。
恐ろしいことに、頭の中は混乱していても日頃の習慣は簡単には抜けない。彼女は鬱々と悩みつつも改札を出ると迷いなく行きつけのスーパーに足を向け、気づけばいつもと同じように週末の特売品を買い物かごに入れていたのだ。それも持って帰る手間など一切考えず、目についたものを片端からぽいぽいと。
突然の守谷の宣言に困惑し、自らの鈍感さに気付いて打ちひしがれた今の彼女には、スーパーの特売品のずっしりとした重さはダメ押しに等しい。それを持ってのマンションまでの道のりが、いつもの何倍も長く険しく感じられたことは言うまでもない。

やっとの思いでマンションに戻ると、彩乃はまだ外出から戻っていなかった。
奏子は大きな買い物袋を食卓の上に載せると、そばにあった椅子を引いてぐったりとそこに座り込んだ。
考えても考えても、なかなか出口は見つからない。
確かに守谷はその人柄や立ち居振る舞いなど、誰もが認める穏やかな人格者だ。だから自分のように粗忽な人間でも一緒にいて気詰りなことはなく、常にリラックスしていられる。
だが、彼といてもその存在にときめいたり、ドキドキしたりはしない。そこがかつて彼女が史郎に感じた恋心とは決定的に違ってると思う。
いつも自分の方を向いて欲しい、自分だけを見て欲しい。
見合いの相手として史郎と引合された時、自分の中に芽生えた強烈な感情に気付いた奏子は、驚くと同時に狼狽えた。それまでも年相応の淡い恋心を抱いたことは何度もあったが、それは相手に伝わることのない一方的な憧れでしかなかった。しかし史郎に感じたのはそんなものをはるかに凌駕する強い想いで、この人になら自分のすべてを奉げても構わないとさえ思ったほどだった。
正しく恋は盲目とはよく言ったものだ。
奏子はほろ苦い思いに微かに笑った。
自分から好きになって、勝手に熱を上げて、そのうち燃え尽きて。最後には彼を傷つけることを承知の上で我侭をいって別れた。
価値観の相違、性格の不一致。
いくらそれらしい理由をつけても史郎に対する慙愧の思いを簡単に捨て去ることは難しい。そして愛した男性に対する未練もそれに匹敵するくらい自分の中に燻っているから困ったことだ。
もう過去のことだ、忘れた、と強がったところで、彼以外の男性にそこまでの感情を抱くことができなければ、思いの上書きをすることは叶わないのだから仕方がない。
現にこうして守谷のことを考えていても、その端々に史郎との間に起きた数々の出来事が顔をのぞかせる。奏子の中では史郎はまだ過去の人になり切っていない。だからこそ、そんな自分に僅かでも気持ちを寄せてくれる守谷に対して申し訳ないし、元の夫に心を残す優柔不断な自身が許せない気がした。
「ああ、何か嫌だ」
なぜ史郎のことをきれいすっぱり諦めて、忘れ去ることができないのか。ここまできても吹っ切れない自分に嫌気がさす。
それでも奏子には分かっていた。
心から好きになって、結婚までした人を忘れるためには、たったの一年では時間が足りないのだということが。だからこそ、守谷と史郎を無意識に比べてしまうような今の自分には、新たな恋愛に踏み出す資格はないのかもしれない。



その後しばらくは何事もなく穏やかな日々が続いた。
守谷も会社ではそれまでと変わりなく接してくれたし、奏子もできるだけ彼を意識しないように気を付けて行動した。
時々一緒に出掛けていた食事は、年末の忙しさが幸いしてなかなかその機会が持てなかったことが今となってはありがたい。
それでも自分を見つめる守谷の視線や、口には出さないが事の成り行きを心配そうに見守っている同僚のおばちゃんたちの様子に、奏子は自分がどうしたらよいのか思い悩んでいた。
これについては彩乃には何も言っていない。彼女のことだから、意見を求めれば何だかの答えを返してはくれるだろう。だが、奏子は敢えてこのことを友人には頼らなかった。
それでも彩乃は何となく奏子の様子に気づいているようではあったが、彼女の方からは何も言ってはこなかった。

そんな中でも慌ただしく師走は暮れ、新たな年がめぐってくる。
御用納めが済んでも厨房の大掃除や何やらといろいろ忙しく、結局奏子は大晦日の午前中まで仕事に精を出した。
例年、年越しを海外か国内のリゾート地で迎えるのが恒例となっている両親は、今年も年末年始は自宅にいないと聞いていたので、奏子も実家には戻らず彩乃のマンションで新年を迎えた。
母親からは一緒に行かないかと誘われていたけれど、年末ぎりぎりまで出勤する予定にしていたし、仕事を始めたこと自体を両親には内緒にしていたことなどもあって、彼女は適当な理由をつけてそれを断っていた。
結局実家には年明けに半日顔を出しただけ。その時母親は家に居たものの、折り悪く外出していた父親とは会えず仕舞いだった。あの手この手で引き留めようとする母親を宥めつつまた来ると言ったきり、なかなかその機会がなく、気が付けば1月が終わり2月も半ばに差し掛かろうかという時期になっていた。
そんなある日、奏子は突然実家から連絡を受ける。
それは父親が倒れ、病院に救急搬送されたという、驚きの知らせだった。




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