BACK/ NEXT / INDEX




   セカンド ・ マリアージュ  13


週明け
午後のシフトで出勤すると、奏子はまず守谷の事務所に顔を出し、彼に預けておいた品を受け取ってから食堂に向う。そしていつものように通用口から中に入ると早々に中本たちの出迎えを受けた。
何事かと驚く彼女を、週末の首尾を聞きたいおばちゃんたちが興味津々で取り囲む。
「あの、これが頼まれたお祝です」
有名デパートの紙袋に入った、少し量のある箱を差し出したが、彼女たちの関心はそちらではなく、専ら奏子に向いているようだ。
「ありがとう、助かるわ。で、その後どうなった?」
「ねぇ、守谷さん、どこか連れて行ってくれた?」
「なになに、カナちゃん守谷君とデートしてきたの?」
中本と西だけでなく、今日のシフト当番の吉田までもがこの話題に食いついてきた。
「あ、いえ、そんな……」
噂好きなおばちゃんたちの迫力に圧された奏子は、思わず一歩後辞さる。
「えー何、守谷さんと一緒だったのに、何もなしだったのぉ?」
妙にがっかりした顔をする中本に、奏子は慌てて首を振った。
「あ、お茶はごちそうになりました」
「ええ?お茶だけ?」
「あ、はい」
奏子にしてみればお茶を奢ってもらっただけでも恐縮したのに、彼女たちはそれを聞いてもまだ不服そうな顔をする。
「食事とか、ドライブとか映画とか、そういったのは?」
「……特に何もありませんでしたけど」
第一そんなに遅くなる予定はなかったからその日の夕飯は彩乃と一緒にとると決めていた。人混みの多い駅前のデパートに行くつもりで、守谷には予め電車を使うようにお願いしておいたので、車がなければドライブはできないし、一緒に映画を見に行こうなんて考えもしなかった。
彼女がそう言うと、どうしてか周りにいた一同が一斉にがっかりした顔をする。何か言いたげな皆の方を伺いながら、奏子は訳が分からず戸惑うばかりだ。

ちなみに、後日この時の様子を守谷に話すと、彼も苦笑いしていた。
よくよく聞いてみると、その後どうやら彼も同じように囲まれて、いろいろと指摘されたらしい。守谷がおばちゃんたちに何を言われたのか、そのあたりの細かいことは教えてくれなかったが「まったく困ったものです」という彼の言葉から察するに、さぞ遠慮のない突っ込まれ方をしたのではないかと思われた。
彼に「気を回し過ぎですよね」と言われ、奏子が赤くなりながら「すいません」と俯いていると、守谷は宥めるようにその肩をぽんぽんと叩いた。
「久世さんのせいじゃないんですから、気にしないで下さい」
そう言われて顔を上げると、守谷がいつもと変わらない優しい顔で笑ってくれた。
「はい」
「まぁ、確かに僕としては、惜しいチャンスを逃したと言えなくもないんですけどね」
と、彼は奏子に向けて少し茶目っ気のある顔でウインクしたのだった。



それから約半月後、奏子の見習い期間が終わり、仕事の方も完全にレギュラーなシフトに組み込まれることになった。
それまでのように、夜遅くなったからと先に帰らせてもらったり、朝の準備で早く出る他の人より少しゆっくり出勤していたようなこともできなくなった。その分、今までは一人で勝手にできなかった食材の発注や、翌日使う調味料などの残量の点検当番なども任されるようになった。
名実ともに職場の戦力に加わった奏子は、仕事に追われる日々を過ごしていたが、それはかつて経験したことがないほど充実した時間になった。今はまだまだ覚えなくてはならないこともたくさんあるし、仕事だって他のベテランさんのようにはこなせない。それでも周囲の理解と協力もあり、確実に自分の仕事に自信と責任を持てるようになってきたのを実感するのは嬉しかった。

仕事そのものだけではなく、職場の雰囲気にも馴染んできた奏子が意外だったのは、自分が食堂に食事に来る寮の人たちに頻繁に声を掛けられるようになったことだ。
最初は挨拶くらいだったが、そのうち当たり障りのない世間話をするようになり、そのうち結構きわどい内容の話もされるようになってきた。
そちらの方面にはあまり免疫がなく戸惑う奏子に、常日頃は中本を始めとするおばちゃんたちががっちりガードを固め、大部分はブロックしてくれているがその隙を突いて果敢に彼女にアタックしてくる輩がいるのもまた事実だ。
一度など、仕事の後に自転車置き場に向かおうとして途中で待ち伏せされ、怖くなった奏子が厨房に逃げ帰ったこともあった。さすがにそれは悪質だと中本たちが寮の管理者に抗議してくれたので、それ以降はそんなこともなくなったが、それまでは自分がそういった対象として見られていること自体が彼女にはなかなか実感できなかったのだ。
それもある意味仕方がないことだった。
何せ奏子はそれまで痴漢に遭ったこともなければ変質者と遭遇したこともなく、そういったことに対する警戒心がわりと緩い方だった。そのせいで、常々彩乃からは「自覚が足りない」と注意をされていた。
彩乃は、自分たちが若い女性であり、好むと好まざると異性の注意を引いてしまうことを常に念頭に置いておくことは必要不可欠だと言っていたが、自身にはそんな魅力はないと思い込んでいる奏子にはどうしてもその必要性に思い至らなかったのだ。
それもあって、彩乃にその事の顛末を話すと、彼女はため息をつきながら呆れたように首を振った。
「奏子、あなたは自分がどれだけ男心を擽る存在なのかを理解していないのね」
それは彩乃のように魅力的な女性には当てはまることだろうけれど、自分には関係ないと思う。
奏子が思っていたことをそのまま口にすると、彼女はますます深いため息をついた。
「あなたねぇ、今の自分が分かっていないから、そんなことを言うのよ」
「そうかなぁ、自分のことは分かり過ぎるくらい分かっていると思うけど」
そう答えると、お手上げのポーズと共に胡乱な目を向けてくる彩乃がぼそりと「天然って本当に嫌だわぁ」と呟いたのは、敢えて聞かなかったことにした奏子だった。


何となく納得はしないものの、奏子もそれからはできるだけ付け入る隙を見せないように気を付けるようになった。持ち前ののほほんとした雰囲気はどうしようもないが、極力無防備に見られないように、締めるところはしっかり締めるようにしたので前ほど脇が甘い状況にはならなくなったと思っている。
しかし守谷と一緒にいると、どうしても一時その緊張が緩んでしまう。
中本をはじめとするおばちゃんたちも、彼の人柄を見込んでいるのか、はたまた未だ例の悪巧みを諦めていないのかは分からないが、とにかく守谷と奏子の取り合わせを見ても特に何も言おうとはしなかった。
それもあって、奏子は時々守谷に誘われて、休みの日には食べ歩きと称していろいろな店に連れて行ってもらうようになったのだ。
今日も昼食を一緒に、と彼と共に出掛けたのは、料亭の料理を付属の店舗の昼営業のランチでお値打ちに食べられると評判の和食のお店だった。その店は評判が高く、土曜日はなかなか予約が取れないと聞いていたので誘われた奏子はラッキーだと思い喜んでその誘いを受けた。
「……美味しい」
運ばれてきたお膳の上に並ぶ料理の美しさに見とれていた奏子だが、食べるとまた違った感動がある。味は決して濃くないのに、しっかりと主張するものがあって口を飽きさせない。
聞けば昨今の健康志向にも配慮して、味付けは塩分も油分も糖分も控えめで、素材の味が活きるように工夫されているということだった。
「ごちそう様でした」
箸を置き、手を合わせた奏子は最後に淹れなおされたお茶を口にしながら満足のため息を漏らした。それを見た守谷がくすりと笑う。
「どうだった?」
「すごく美味しかったです。栄養のバランスもちゃんと考えられているということだし、それにどうやったらお料理がこんなに上品で綺麗な色形に仕上がるのか、それにも興味があります」
それを聞いて、守谷は同じように手にしていた湯呑みを机に置いた。
「君は料理が好きなんだね?」
「はい。最初この仕事を選んだのは何の特技もない自分にできることといったらこれくらいしか思い浮かばなかったからというのが本音ですが、今は知れば知るほど料理って楽しいし、奥が深いです」
守谷は奏子の方を見て何か考えていたようだが、彼女と目が合うと柔らかく微笑んで頷いた。
「だったら少し本格的に資格を取ることも考えてみたらいいんじゃないかな」
そう言われた奏子は驚いた表情で彼の顔を見つめた。
「資格……ですか?」
「そう。例えば調理師とか。あとはある程度のスクーリングが必要かもしれないが、後々のことも考えて栄養士なんかもいいかもしれないな」
突然聞かされた言葉に、奏子は戸惑ってしまう。
ほんの一、二年前までは外で働くことさえ考えたことがなかった自分。それが今ではパートではあるが職を得て一定の収入を見込める状況になった。そしてよりステップアップを図るために資格の取得を勧められるなんて、想像もしなかった。
「あ、私、お料理は楽しいし好きですが、そんなことを考えたことがなくて」
「まぁ、そんなに焦ることはないよ。じっくり自分のやりたいことを見つけていけば良いと思う」
守谷はそこで一旦言葉を切ると、真剣な表情で彼女を見つめた。
「でも、もしも何か考えることがあれば、いつでも個人的に相談に乗るからね」
彼はそう言うと、給仕の女性が机の下に置いて行った伝票を持ち、先に席を立つ。
「えっ、個人的にって、どういう意味で……?」
何げにとんでもないことをいわれたような気がした奏子はその場に固まってしまう。
こんな時、いつもならばどちらが支払いをするかで押し問答になるのだが、今の言葉に動揺を隠せない今日の奏子には、自分が払うと彼から伝票を取り上げる気持ちの余裕さえなかったのだった。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME






Photo by 7style