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   セカンド ・ マリアージュ  12


……何でこんなところで会うの?
入口側から見て一番奥まった席に座っていたのは、彼女の元夫であった史郎だった。それと彼の向かいには連れと思しき女性がいるが、こちらに背を向けているので顔までは確認できない。
二人は真剣に何事かを話し合っているようで、ありがたいことに歩道に面した表側の席に座る奏子には気づいていない。
「あの人たちは?」
守谷は彼女の視線の先にいた男女にちらりと目をやった。
「知り合いならこちらのことは気にせず、行ってきてもいいよ」
彼にはそう言われたが、奏子は首を横に振ると二人から顔を背けた。
「いいの?」
「……はい」
そう言いつつも落ち着かない様子の彼女に、守谷は「遠慮しなくてもいいのに」と首を傾げながら何か問いたげな目を向けてくる。その視線に耐えきれず、奏子は傍らに置いていたバッグを掴んだ。
「す、すみません。ちょっとお手洗いに」
守谷が頷いたのを見て、無理をして笑みを顔に張り付けた奏子は、顔を隠す様に俯いたまま立ちあがり、そのまま二人のいる席とは反対側のレジの近くにあるトイレの方へと足を向けた。

「ふう……」
トイレに入ると洗面台にある大きな鏡の前で立ち止まる。
「分かっていたことじゃない」
離婚したとはいえ、史郎と自分は今も同じ街に住んでいる。ここに暮らしの基盤がある以上、簡単に生活の場を変えることが難しいのは当たり前だ。
それでも奏子の行動範囲の狭さやライフスタイルが変わったこと、それに離婚後にあまり出歩かなかったことなどもあって、この半年間は彼に会うことは一度もなかった。だから、すっかりその可能性を失念していただけだ。
「変わってないなぁ、史郎さん」
奏子は洗面台に両手を突くとはぁっとため息をついた。
相変わらずの服装の趣味の良さは遠目に見ても分かった。今日のいでたちも、トラッドなスタイルの中に今のトレンドを上手く取り入れコーディネートしたものだろう。意図せずとも周囲の女性の目を惹きつけてしまう魅力は今なお健在という訳だ。
彼が着ているシャツもパンツも見たことがないものだったことからして、つい半年ほど前までは自分が管理をしていた衣類は、すべて廃棄されてしまったのかもしれない。
「そりゃ別れた妻が買った服なんて、後生大事に取っておいたりしないわよね」
結婚した当時、何を与えてもそれなりに格好良く着こなす史郎の様子に、奏子は夫の服を見つくろうのが楽しくて仕方がなかった時期があった。
ブティックに入って自分の服を見るよりも彼のことを考えながら買い物をすることに多くの時間を費やす妻に、史郎はいつも呆れた顔をしていたのを思い出す。
『今日は君の服を買いに来たんじゃなかったのか?』
奏子に何枚ものシャツやセーターを体に当てられた彼が、そう言いながら苦笑いするのを幸せな気持ちで見ていた日はもう遠い。
あれから一年半が過ぎ、今では彼の目を避けるようにこうしてトイレに籠っている自分が情けないが、守谷が言うようにわざわざ挨拶に行くような勇気も起こらない。それに彼の側には同伴者と思しき女性もいた。離婚してから半年余り、まだ史郎が再婚したという話は聞いていないが、恋人の一人や二人はいてもおかしくない。シングルに戻った彼にはきっとそういった話も引く手数多だろう。

「っと、いけない。こんなところで考え込んじゃった」
時計を見ればここに入ってからすでに10分近くが経っている。
そういえば、鏡の前でぼんやりしている間にも、彼女の背後を奥に2つある個室を使った女性が幾人も通り過ぎていた。そこにあるのが店舗用の蛇口やボウルが二つずつあるタイプの洗面台なので邪魔だとは言われなかったが、その前に陣取ったままぼうっとして動こうとしない彼女はさぞかしおかしな女だと思われていたに違いない。
一応格好だけでも化粧直しをと、バッグから携帯用の化粧ポーチを取り出し、口紅を塗り直してから手を洗ってトイレを出た。戻る途中でちらりと奥に目をやると、さっきまで史郎たちがいた席はすでに空いている。どうやら彼女がトイレに籠っていた間に彼らは店を出たらしい。
きっと彼は自分がこの店にいたことにさえ気付かなかったに違いない。
そう思うと何だかほっとしたような、それでいて悔しいような複雑な気持ちになりながら、奏子は守谷が待つ席に戻って行った。
「大丈夫だった?」
すでにオーダーしたココアは運ばれてきていて、テーブルの上で冷めかけていた。
「すみません。ちょっと中が混んでいて」
お手洗いが女性用と男性用が別なのをよいことに、奏子は苦し紛れの言い訳をする。
「そう。調子でも悪くなったのかと思って心配していたところだよ」
守谷はそういうとテーブルの端に寄せてあるシュガーポットを彼女の方に寄せた。
「君がなかなか帰って来ないから、代わりにウエイトレスに聞いておいたんだ。砂糖は入っていないって言ってたから」
「あ、ありがとうございます」
奏子がぺこりと頭を下げると、守谷はにっこりと微笑んだ。それを見ながら少しぬるくなったココアを一口啜った彼女もまた、ふわりとした笑みを浮かべる。
ありがたいことに守谷はそれ以上史郎について触れてこなかった。
奏子の方も自分がバツイチであることを申告していない手前、彼との関係を聞かれたらどう答えようかと思っていたが、どうやらそれも杞憂に終わったようだ。
それでも黙っていると何となく気詰りで、彼女はいつになく饒舌に守谷とのおしゃべりに興じた。仕事のことや今日買ったお祝いの品のこと、職場のおばちゃんたちのことなど、当たり障りのない内容ではあったが、気が付けば家族や親戚以外で男の人とこんなにしゃべったことはないというくらい、いろいろなことを話したように思う。
それは守谷が持つ話術の巧みさや、独特の聞き上手な雰囲気の成せる業だったのかもしれないが、奏子の中で彼に対して残っていた苦手意識や警戒心を解くには十分なものだった。
ただ、話を聞いている間、守谷は適度な相槌を打ちながらも時折彼女から視線を外して何かを見ることがあったように思うが、その時の奏子には彼が何を追っているのかまで気付くことはなかった。


その後、守谷と別れた奏子は、外出していた彩乃と最寄りの駅で待ち合わせて一緒にマンションに戻って来た。
「ふうん、そうなんだ。偶然ってあるものなのねぇ」
駅を出て並んで歩きながら、半年以上も出会わなかった史郎をたまたま入った店で見かけたと言うと、彩乃は驚いた顔をした。
「でも、大丈夫、何もなかったんでしょう?」
「うん、というより史郎さんはこっちには気が付かなかったんじゃないかなぁ」
「ええ?本当に?あの注意深くて周囲に異様に目が利く寺坂さんが?」
彩乃は信じられないと言わんばかりに訝しげな目を向けた。
「それに一緒に女の人がいたみたいだし。多分私のことなんて、視界にも入らなかったんだと思うよ」
奏子は、そのことを思い出して苦笑いを浮かべる。
「それ、ますます信じられないんだけど」
彩乃は自分の頬に手を当て、何やら呟いている。それを見た奏子は、デパ地下のデリで調達してきたサラダが入った袋を目の前に差し出した。
「そんなもんだよ、別れた夫婦なんて。それより早く帰ろうよ。お夕飯、ピザでしょう?サラダも良い感じだよ」
そう言って彩乃をその場に残したまま、奏子はマンションへと続く道を歩きだす。
「うーん、信じられないなぁ。あの奏子を囲い込んで猫かわいがりしていた寺坂さんに限ってそんなことあるわけないって思うけど。あ、ちょ、ちょっと待ってよ、奏子ぉ」
それでもまだ一人でぶつぶつ言っていた彩乃は、自分が取り残されたことに気付くと慌てて彼女の後ろを追いかけていったのだった。




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