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   セカンド ・ マリアージュ  11


待ち合わせの場所についたのは11時半を少し過ぎた時刻だった。最初は途中まで自転車でと思っていたが、さすがにニットのワンピースを着てサドルに跨るのは拙いと気付き、結局駅まで歩いて行かざるを得なくなったせいだ。
遠目に守谷の姿を見つけて気が急いて駆け足になり、彼の側まで来た時の奏子は息が上がり、頬が紅潮していた。
「お待たせしました」
「僕も今来たところだから」
そう言いながら、守谷はじっと彼女を見つめている。
「……どうかしました?」
そんな彼の反応に、奏子は不思議そうな顔をした。
「いや、いつもと印象が違うなと思ってね」
彼に言われて改めて、上から下まで自分の格好を見おろした。
以前からあまり派手なメイクをする方ではなかったが、仕事に行くようになってからはなおのことお化粧らしいお化粧をしなくなった。自転車に乗りやすく、なおかつ職場での動きやすさを優先した服装は、今の季節ならコートの下はトレーナーか薄手のセーターにジーンズが定番で、髪の毛は邪魔にならないよう常に一つにひっつめている。
普段そんないでたちを目にしている守谷にしてみれば、顔の側でふわふわ踊る緩いウエーブのかかった髪の毛や、フェミニンで柔らかそうなニットワンピースを身に着けた彼女は見慣れないものだろう。かつては定番だったこんな格好も、昔の彼女を知らない人からすれば違和感を持たれてしまうのは仕方がないことかもしれない。
「……やっぱり変ですか?」
「いや、そういうわけでは……」
気まずそうな顔をした奏子に守谷が慌てて首を振る。
「むしろ驚いたというか、困ったというか」
「困った?」
鸚鵡返しに聞くと、守谷は少し戸惑った様子で頭を掻いた。
「何か勝手が違うというか。緊張する」
「緊張……ですか?」
言われたことの意味が分からず見上げる。すると自分を見ていた彼と目が合い、ちょっと照れたような笑いを返された。
「いつも話している久世さんと分かっているんだけどね。勝手が違う」
「そんなことはないと思うんですけど」
それでもどことなくぎこちないまま促された奏子は、その反応に首を傾げつつも彼と並んで歩き出す。
こうして二人が向かったのは、プレゼントを誂える時の定番中の定番であるデパートの食器売り場だ。

「あ、これなんて可愛いですね」
奏子が最初に立ち止まったのは、ペアになったモーニングセットの前だった。
普段使いに良さそうな、マグカップとお皿にはピーターラビットが描かれていて、新婚さんの甘い朝にはうってつけのように見える。
それを手に取った奏子の後ろからひょいと顔をのぞかせた守谷は、セットの中身と価格を確認する。
「普段使いには良さそうですね。ただ、もう少し値段が張るものの方が良いかなぁ」
確かに中本達から託された予算はもう少し多いものだ。
しかしそれを使う新婚さんに思いを巡らせ、一人雰囲気に浸る奏子の幸せそうな様子を守谷は笑って見ている。それに気づいた彼女は顔を赤らめると慌てて持っていたカップを棚に戻し、次の品を探しに動き出した。
「何が良いかな。うーん」
次の売り場はグラスの展示スペースになっていて、セット物から高価な単品のカットグラスまでいろいろ揃えられていた。
「あ、バカラだ」
照明を弾くようにキラキラ輝く高級グラスの中でも一際美しいタンブラーが展示された棚の前で、奏子は足を止めた。
あまりこういったものに詳しくない人でも、一度や二度は耳にしたことがあるメーカー名だろう。ただしネックはその価格と繊細さゆえの扱い辛さで、あまり普段使い適したものではない。
かつて史郎が家では好んでこのロックグラスでウイスキーを飲んでいたことをふと思い出した奏子は、複雑な気持ちになった。
思い返せばあの頃はこんなものに囲まれて暮らすことに疑問も持たなかった。それを自慢に思ったことは一度もないが、それでも当たり前のように高価なものを使うことに何の躊躇いもなかったのだ。
元々奏子の実家である久世家は世間的に見ればそこそこの資産を持つ家ではあったが、それでも中の中、欲目に見てもせいぜい中の上といったところだ。元の夫であった史郎の家もそれとあまり大差はなく、食事などの生活レベル自体には問題はなかった。ただ、彼の母親は旧家の出、いわゆるお嬢様育ちだったこともあり、家族の身の回りのものには存外煩かったようだ。
着物や洋服、バッグやアクセサリーから家具調度品、食品の素材に至るまで、気に入ったものはとことん突き詰めてこだわりを見せ、半端な妥協を許さなかった。その性質は史郎にも受け継がれていて、時折彼女も戸惑うようなものを仕込んできた。
それが普段使いのバカラであり、仕事履きのグッチの靴であり、書斎の机の上に無造作に置かれたモンブランの万年筆でもあった。
ただし、これが自分のこだわりというだけなら、それも趣味趣向の一つで済む。しかし史郎は同じようにそういったものを彼女にも宛がおうとした。
対する奏子は洋服こそ贔屓のブランドを持っていたものの、それ以外に敢えて高級なものを好んで使おうという意識は持ち合わせていなかった。100円均一のコップでもお茶は飲めるし、元から高価なものでないのにバーゲンでそこからなおかつ3割引きになった靴でも平気で履く。ペンケースの中のボールペンは実は銀行の名入りの景品だったりするがそれでも使うのに何だ支障はない。
今思えばそれらの一つ一つが史郎には理解できないものだったに違いないが、その頃の彼女は自分が安物買いであるかのような彼の指摘にいちいち心を痛めていた。
本物志向があながち間違いだとは思わないが、それを重荷に感じる者もいるのだということを何度も彼に伝えようとした奏子だが、結局最後まで彼女の真意は彼には理解してもらえなかったように思う。
あの時、彼の言葉に流されることなく、今くらいしっかりと考えを主張をすることができていたならば、史郎ももう少し彼女を自我のある一人の人間として扱ってくれたのかもしれない。そう思うと自分が情けないし、結果的に彼女の中で勝手に悪者にされてしまった史郎に申し訳なさを感じることを禁じ得ない。

「ここまでいくとちょっと予算オーバーだね」
守谷の声に、物思いに沈んでいた奏子はっとした。見れば、いつの間にか隣に並んでいた彼は、奏子が見入っていたグラスを横から覗き込んでいた。
「そうですね。それにもっと気楽に使える物の方が良いかもそれません」
奏子はそう言うと少し離れた場所にあった和食器の売り場に向かう。その後ろに訝しそうな顔をした守谷を従えて。


結局二人が選んだのは和食にも洋食にも使えそうな小鉢のセットだった。小ぶりな鉢は形こそ和食器のそれだが、色が白一色でサラダなどにも使いまわすことが出来そうだ。
奏子は経験上、こういった食器が一番使い勝手が良く、また使用頻度も高くなる事を知っていた。
「中本さんたち、納得してくれますかね?」
奏子は少し心配そうに、のしをかけてもらった包みが入った紙袋を下げた守谷を見た。
「多分大丈夫だと思うよ。彼女たちも実用一番の人たちだから」
そう言った守谷はデパートを出たところで辺りを見回した。
「少し休憩しないか?歩き回ったせいか、喉が渇いた」
彼が目を留めたのは、大通りに面したカフェだった。時候の良い季節にはテラス席をオープンにしているようだが、今はあいにく冬の時期。中の席しか使われていないようだ。
店内に入りちょうど空いていた席を見つけた二人は、それぞれコーヒーとココアをオーダーする。
テーブルを挟んで座り、取りとめもない話をしていた奏子だったが、ふと店内を見た彼女の表情が凍りついた。
「久世さん?」
不審に思った守谷が彼女の視線を追う。するとその先にあったのは、奥の席に向かい合って座る一組の男女の姿だった。




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