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   セカンド ・ マリアージュ  10


翌朝、奏子はいつもの休日より少し早目に目を覚ました。
守谷との待ち合わせは11時半。それに間に合うように家事をすべてやり終えてから家を出るとなるとあまりのんびりとはしていられない。
慌ただしく掃除をし、洗濯を干し終えた頃に彩乃がようやく起き出してきた。
「うーん、奏子、おはよ。何朝から張り切ってるのよ?」
パジャマ一枚の彩乃には暖房が入っていないリビングは寒かったようだ。ぶるりと震えると、食卓の椅子の背に掛けたままになっていたフリースを慌てて羽織っている。
それを見た奏子はベランダに通じる窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。
「うん、今日はちょっと出掛ける予定が入ったんだ」
最近とみに仕事の付き合いが増えた彩乃は昨夜も帰りが遅くなり、奏子が先に休んだせいでそのことを告げることができなかった。
「そう。だったら夕飯は別々にしようか?」
「ううん、多分そんなに時間はかからないと思うの。職場の人に若い人向けの結婚祝いを見つくろう様に頼まれただけだから」
「一人で?」
「ううん、仕事先の人が一緒だよ」
「もしかして、仕事場のおばちゃんたちと?」
「……う」
奏子はその問いの答えに一瞬躊躇する。今日同行するのは中本たちではなく守谷だ。男の人とそれも二人きりでなんて、気恥ずかしくてとても言えない。
だがその間を読んだのか、彩乃はおやっという顔を彼女の方に向けた。
「そんなに言いよどむなんて誰よって……まぁいいわ。せっかくだからゆっくりしておいでよ夕飯は久々にピザのデリバリーが食べたいし」
「え、そんな……」
ここのところ満足に食事を作る余裕もなかったという自覚がある奏子は、休日くらい彩乃に手の込んだ料理を食べさせたいと思っていた。それなのに、本人から宅配のピザを希望させるとは。
少ししょんぼりした奏子の様子に、彼女の頭の中を察した彩乃が苦笑いする。
「そんなに気落ちしないでよ。明日の夕飯は何かがっつり食べさせてもらうから」
彩乃はそう言うとリビングの壁に掛けられた時計を見た。
「それより奏子、そろそろ準備しなくていいの?待ち合わせ、11時半って言わなかった?」
それにつられて奏子も時計を見上げる。
「あ、やだ。もうこんな時間」
「ほら、急がないと」
彩乃に急かされた奏子は、慌ててエプロンを外して自室に向かう。寒くないように防寒対策はばっちりといった格好に着替え、薄く化粧をしてからバッグを手に取り、まだリビングにいる彩乃に声を掛ける。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃいって……ちょっと奏子。まさかその格好で行くの?」
ちらりと彼女目をやった彩乃が、慌ててこちらに近寄ってきた。
「うん……何かおかしい?」
それを見て首を傾げる奏子の肩をがっしりと掴むと、彩乃はがくがくと前後に揺らした。
「ちょ、ちょっと、彩乃ってば、何を……」
「いや、おかしいとかそういう問題じゃなくって。奏子、それ仕事の時と同じ格好じゃない?」
「そうだけど」
あっさりと肯定する友人に、彩乃は目を剥いた。
「今日はオフでしょう、オフ!仕事に行くのと違うんでしょう?」
「……そうだよ」
「だったらもうちょっとお洒落しなさいよ」
「でも……」
「でももへちまもない」
彩乃はそう言うと奏子の腕を引っ掴んで部屋へと引っ張り込み、ドレッサーの前に座らせた。何をされるのかとそのまま固まっていると、彼女は自室から大きなポーチやケースを持ち込んできた。
「ほら、先ずはこれを取る」
髪を無造作に束ねていたゴムを取りあげ、痕を軽く解すと側にあったブラシで綺麗に梳く。その間にスイッチを入れて温めたヘアアイロンで左右の髪を巻くと、サイドに緩くウエーブが入り、大人し目な顔が一気に華やかな印象になった。
「それから、これもちょっと追加してと」
いつもは入れないチークを頬に軽く掃き、唇にはグロスを追加、眉も少ししっかり目に書くとたちまち顔全体の印象が変わった。
「うーん、こんなもんかな」
鏡越しに顔をのぞきこんだ彩乃は、満足げに頷くと奏子をその場に残して再びどこかに消えていく。すぐに戻って来た彼女の手には、彩乃が贔屓にしているブランドのニットワンピースとクリスタルガラスのジュエリーケースがあった。
「うーん、こっちの方がいいか」
問答無用でそれを着るように言われ、すごすごと彼女に背を向けて着替えている間にも彩乃はなにやらいろいろと考えているようだ。そっと見ればジュエリーケースから取り出したアクセサリーを翳しては色や形を吟味している。
着替えを終えた奏子が鏡の前に戻って来た時には、ドレッサーの上には幾つかのネックレスが準備されていた。
「これの中から、どれでもいいから着けて」
「でも、こんなものまで借りちゃったら悪いわよ」
彩乃の持っているジュエリーは仕事柄、結構な値段がするものが多い。それに趣味と実用を兼ねたといえば聞こえは良いが、大人しい奏子が着けるにはデザインが少々派手でもあった。
「いいから、いいから。気にしない。奏子に合う、シンプルなカワイイ系のものを選んだからアクセサリーだけが浮くようなことはないわ」
本人が迷っている間に彩乃は着替えで少し乱れた髪を直し、ついでに折れた襟の形も整える。
「奏子もピアスにしたら?そうすればもっといろいろお洒落できるのに」
彩乃は片方の耳に2つずつ、ピアスホールを開けている。したがって彼女のジュエリーケースの中にはイヤリングというものはない。
「でも、そんなお洒落なんてしていくところもないし」
「今はね。でもこれから先どんなふうになるかは分からないでしょう?」
確かに史郎と結婚している間にはそういったものを身に着ける機会は少なくなかった。だが一度そういう世界から遠ざかってしまえば、身を飾るものを持つ必要を感じなくなったのもまた事実だ。
その証拠に彼と暮らしたマンションに置いたままにしてあった宝飾類は、離婚した時にすべて奏子の元に送られてきたが、それらは今も実家に預けたままになっている。彼女がここに持って来たのは冠婚葬祭用に母からもらったパールのチョーカーとイヤリングだけ。それさえもケースから出す機会がないというのに。

「ほら、出来上がり」
奏子がぼんやりとしているうちに、彩乃はさっさとネックレスを着けてしまう。
気が付けば目の前の鏡の中には、先ほど出掛けようとした時より幾分、いや、かなり華やかな装いをした自分がいた。
「いい感じじゃない?やっぱり素材が良いと腕の振るい甲斐があるわ」
彩乃は満足げに頷くと彼女にバッグを手渡した。
「でも、へ、変じゃない?」
「どこが?髪も服もバッチリなのに。その服なんて、私が着るより似合ってるかもよ」
「そ、そんなこと」
慌てて謙遜する奏子に、彩乃は側に置いてあった時計を見せた。
「ところで、奏子。急がないとそろそろ時間なんじゃない?」
「いっ、いっけない。遅刻する」
あたふたと玄関で靴を履いて出て行く奏子の背後から、彩乃の声が飛ぶ。
「楽しんできてね」
「うん。ありがとう」
玄関のドアがバタンと締まり、パタパタという足音が聞こえなくなると、辺りが再び静寂に包まれる。

結局最後まで誰と一緒にとは言わなかったけど。さて、今日はどんなお土産話が聞けるかしら。

そんな期待をしながら散らかしたままのヘアアイロンや化粧品を片づける彩乃は、我知らずににやりと頬を緩めていたのだった。




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