chapterT 香澄のstory 5
またもや、さわさわと布越しに肌を擽る手の気配がする。 「香澄、起きて」 鼻先にコーヒーの香りを嗅がされ、薄く目を開けると、目の前にはいつもと変わらない涼しげな表情の慎介がいた。 「そろそろ起きて。朝食を摂らないと」 「うーん、もうちょっとだけ…」 何だか昨夜と同じようなシチュエーションだ。ドキリとして念のため手を動かしてみたが、大丈夫、今朝はちゃんと動く。 よかったぁ。 そう思いながら背を向けようとした拍子に、彼に上掛けを捲られた香澄は、途端に悲鳴をあげた。 「嘘ぉ!何で私こんな格好してるの?」 剥ぎ取られた上掛けの下から出てきたのは丸裸の自分。 パジャマはおろか下着さえつけていない。 いつもはコトが終わるとちゃんと身づくろいをする。 よほどの時でもパンツとパジャマの上着くらいは着ているのに、今日は正真正銘の素っ裸だった。 「なかなか良い眺めだけど、いい加減に何か羽織らないと風邪をひくぞ」 「い、一体誰のせいだと思っているのよ!」 ベッドの端に腰を下ろして、平然とコーヒーを啜っている慎介。 身体を隠そうとして上掛けを引き寄せようにも、彼が重石になっていてまったく動かない。 「分かった、分かりました。起きて着がえるから、少しあっちへ行ってて」 仕方なく自分から彼の方ににじり寄った香澄は、押さえられた上掛けを取り戻すと頭の上まですっぽりと被り隠れた。 すると、いつもなら何も言わずに部屋を出てくれるであろう慎介が、布団の上から圧し掛かってきた。 「いつまでもそんなことをしていると、また襲うぞ。昨日の夜は暗がりだったから、今度はよく見える真昼間にしようか?」 その言葉で、昨夜の自分の痴態が甦ってきた。 知識としては知っていたが、初めて経験したことがたくさんあった。 あんなことや、こんなことや、その他諸々。 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。 朦朧としながら、普通では口にするのも憚られるようなことを叫んだ記憶もある。 そのほとんどは慎介に言わされたのだが。 「『い×て』とか、『も○と』とか、あんな風におねだりされると、断れないよな」 (再び脳内で自己規制) これ以上聞いたら羞恥のあまり悶死しそう。 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、慎介は容赦がない。 「香澄があんなに後ろから攻められるのが好きだとは知らなかった。それに騎乗位も。今まで試してみなかったのが惜しいよ。次は…」 そこまで言った彼は、布団が小刻みに揺れているのに気がついた。 中からは鼻をすする音まで聞こえている。 「どうしたんだ?何か…」 「こんなイヤらしい自分が情けなくて死にそうなの。恥ずかしくて慎介の顔が見られない。お願い、少し放っておいて」 慎介は眉を顰めた。 やっと硬い殻を脱ぎ捨てて自由になったというのに、これではまたもとの木阿弥だ。 少し荒療治が過ぎたか。 だが、ここで怯んで引き下がったら、また彼女は受身でしか愛し合えなくなってしまうだろう。 もうひと踏ん張りしなければ。 「香澄、それは違うよ」 慎介が布団越しに、彼女の頭があると思しきあたりを撫でた。 「今まで僕たちは遠慮しすぎて、互いをオブラートで包んで見ていたんだ。だからセックスに関してだって、僕は君に無理強いして嫌がられるのが恐かったし、多分君も、もっと僕に言いたいことがあってもはっきりと言えなかった、そうじゃないか?」 ほんの僅かに布団が動く。中で香澄が頷いたのだ。 「でも…」 確かに彼の言うとおりだ。けれど、たった一晩ヒロインの真似をしただけなのに、押し寄せる羞恥心は並大抵のものではなかった。 本物のヒロインなら、こんな時は颯爽と裸身を晒してシャワーでも浴びに行くのだろうけれど、小心な自分は慎介と向き合うことさえできない。 付け焼刃で粋がって見せても、所詮私は地味で平凡な女。 ヒロインに似合う、真紅のバラのような婀娜(あだ)っぽい艶やかさになんて縁がない。 悲しいかな自分の名前と同じ、主役を引き立てる「カスミ草」にしかなれないのだ。 黙り込んだ香澄を見て、慎介が言った。 「昨日の夜は天国にいる気分だったよ。ずっと夢に見ていたんだ、香澄と思いっきり愛し合うことを」 掛け布団越しの彼の声が、くぐもって聞こえる。 「君はいつも、何をするのも控えめで遠慮してしまうだろう?買い物だって、食事だって我侭を言うのを聞いたことがない。気になってたんだ、もしかしたら僕と一緒にいることが重荷になっているのではないかと」 「そ、そんなこと」 がばっと起き上がると、ベッドの端に腰かけた慎介が項垂れているのが見えた。 「もっと君を抱きたいと思っても言えなかった。拒まれたら辛いからね」 肩を落とす彼の後姿に哀愁が漂う。 そんな姿に、彼女は思わず後ろから抱き着いてしまった。 「だから昨日は、信じられなかった。香澄が自分から誘ってくるなんて、思ってもみなかったんだ」 「でも私、自分が淫乱な女になったみたいで恥ずかしくて…」 慎介が背中越しにちらりとこちらを見る。 このとき慎介の目が妖しく光ったのだが、幸か不幸か彼の背中に張り付いていた彼女からはそれが見えなかった。 「二人だけの時はもっと淫らになっていい。どんな厭らしいことを言ってもしても構わない。それは恥ずかしいことではないんだ。僕はいつだって香澄にキスしたいと思っているし、触れていたいし、セックスだってしたい。OKが出たらどこでだって押し倒してしまいたいくらいに思っているんだから」 突然の告白に、顔を真っ赤にして彼の背中に顔を埋める。 いつもクールな彼が、そんなことを考えていたなんて信じられない。 「それとも、香澄はこんなイヤらしい男は嫌い?」 彼の背中に額を擦りつけるようにして首を振る。 「私だって昨日の夜のことはすごい体験だった。今までいつも慎介は冷静で、一歩引いて見ている感じでだったから、私とえっちしてもきっと気持ち良くないんだって思い込んでいたの。私が、その、いろいろやると、こんなに慎介が喜んでくれるなんて考えてもみなかった。でも、でもやっぱり私…」 「よかった。じゃぁ、早速それを実行しようか」 「えっ?」 その後、すっかり彼の策に嵌った香澄は、淹れたてだったコーヒーが保温のまま煮詰まるまでベッドから出してはもらえなかったのだった。 それから暫くの後、香澄は自分の誕生日に慎介からプロポーズされた。 その時彼が用意したのはバラとカスミ草のブ−ケ。 だが、それはちょっと普通とは違った。何と周囲を真っ白なバラで囲まれた、薄ピンクのカスミ草が真ん中でメインを張る花束だった。 もちろん、それが彼女の名前にちなんだものであったことは言うまでもない。 HOME |