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Romance Writer’s Love Story

chapterT 香澄のstory 3

< side 慎介 >


深夜日付が変わる頃、慎介は香澄のアパートへと戻ってきた。
約1週間分の衣類を詰め込んだ小型のカート型トランクとアタッシュケースはずっしりと重く、彼女の部屋がある3階までの階段が殊更に堪えた。
彼のマンションならば最寄り駅から徒歩5分とかからないし、住居のある7階までエレベーターもある。こんな苦労はしなくてすむのに、それでもここに帰ってこなければいけないのは、偏に香澄が彼のマンションに出入りすることを嫌がるからだ。

彼の借りているマンションは借り上げ社宅扱いになっている。転職の際、総務の斡旋があったからそこに決めたのだが、同様の会社の人間も数人、同じマンションに住んでいた。
もともと二人の付き合いが噂になるのを嫌がっていた香澄は、慎介と一緒にいるところを社内の人間に見られる恐れを理由にして、なかなか彼の部屋に行きたがらない。
だが彼はその言い訳を不審に思っていた。
本当は、彼の部屋に良くない記憶があるから行きたくないと言っているのではないかと疑っているのだ。
その記憶とは、彼女と初めてベッドを共にした時のことだ。
自分なりに自制したつもりだったが、翌朝、涙目で「止めて」と訴えられた時にはかなり落ち込んだ。
彼女は初めてだったこともあり、多少の抵抗は覚悟の上だったものの、まさか嫌がって泣かれるとは思ってもいなかったからだ。
その上、それから延々と避けられ続け、一時はもう無理かと思ったこともあったくらいだが、何とか元の関係に落ち着いた時には正直言ってほっとした。
それからは「忍」の一文字、特にベッドで彼女が嫌がりそうなことは要求しないように徹している。

だが、香澄が今の状況で満足しているのなら、無理強いをするのは望ましくないと思いつつも、どこかでもっと濃密な時間を求めている自分がいることは否めない。
性欲と、一年かけて馴染ませてきた彼女の身体は自分だけのもの、という独占欲、そして何も知らない無垢の状態だった香澄を手折った以上、彼女の気持ちを守ってやらなければという庇護欲が三竦みの状態で、どうにも身動きが取れないのだ。
「こんなに相性がいいのになぁ」
今まで付き合ってきた女性たちと比べても、香澄との相性は桁外れに良い。
何しろ互いに好みを押し付けあうような必要がないのだ。多少の譲り合いや妥協はあるにしても、それがまったく苦にならない。
それはベッドでも同じで、経験の乏しい彼女は知る由もないことだが、こんなに相性の良い身体の組み合わせは滅多にあるものではない。
香澄自身、彼が教えたことには従順だし、反応はすこぶる良い。
あとは彼女が引きずっているであろう初体験時の怯えと羞恥心さえ取り払えれば、もっと大らかな気持ちで愛を交わすこともできるようになるのだが…。

そんなことを考えながら階段を昇り、ようやく彼女の部屋に辿り着いた。
時間を考えて、呼び鈴を鳴らすことを止め、合鍵を使って中に入る。
おや…?
いつもなら彼女が物音を聞きつけて迎えに出てくるのに、今日はその気配がない。
玄関を上り、明かりが漏れている奥のリビングのドアを開けると、案の定、香澄はローテーブルにうつ伏せてうたた寝をしていた。
「香澄、起きて。こんなところで寝てたら風邪をひく」
肩を揺すってみるが、彼女は何か、もごもごと寝言を呟くとそのまま再び寝入ってしまった。
一週間の仕事の疲れもたまっているだろうし、この時間では仕方がないか。
正体なく眠りこけている香澄を抱え上げて隣の寝室へと運んだが、身体に触れた感触で彼女が薄いパジャマの下に何もつけていないことに気付いた途端、慎介は天を仰いだ。
これは拷問か?
ただでさえ週末の夜、それも回数限定の逢瀬なのに先に寝入られたら手が出せない。
香澄の体の周期もあって、彼女に3週間以上触れていないのに、今夜もまたもう一晩我慢しろとは、何とも無体な話だ。
しかもこんな薄着の彼女と、同じベッドで寝なければならないなんて。
彼女のしどけない寝姿に、否応なしに体は反応してくる。
自制心がブチ切れる前に香澄をベッドに降ろすと、彼はそそくさと寝室を離れた。


「無意識だから、余計に性質が悪い」
軽くシャワーを浴び、リビングへと戻ってきた慎介は溜息をついた。
彼女の無頓着さは、時としてあからさまな誘いよりも強烈に彼を刺激する。その衝動を押し殺して、平然とした顔で香澄と対峙するのはかなり自虐的な行為だ。
最近はいつまでこの状態が保てるか、自分でも自信が持てなくなってきているのを感じる。
「今夜も生殺しか」
諦めの気持ちで独りごちながら、取りあえずキッチンで冷蔵庫からビールを取り出すと一息で半分ほどを飲み干す。
飲み掛けの缶を置こうと、ローテーブルの上に広がる物を隅に寄せた時、点けっ放しになっているノートパソコンが目に入った。
「ん?スリープモードになっていたのか」
帰って来た時にはモニターは真っ黒だったはずだが、テーブルを片付けているうちにどうやらマウスか何かに触れたらしい。画面には作業途中になっている文章ファイルが表示されっぱなしだ。
「ちゃんと保存終了しておかないと、後で泣くぞとあれほど言っているのに…」
ぶつぶつ言いながら、ファイルを閉じようとした慎介の目に飛び込んできたのは、書きかけの、文章の断片だった。
他人のものを無断で読んではいけないと分かってはいるが、そこからどうしても目が離せなかった。
何せ、『一晩』で「1ダースの、コンドームだとぉ?」

最初、彼は自分の目を疑った。
目で追う内容は、凡そ日頃の香澄の行状とはかけ離れていたからだ。
概略すると、『彼』は『彼女』の部屋に行くと歯止めが利かなくなり、突如『発情した牡牛』のように理性が吹き飛んだらしい。
で、まず玄関で一戦、シャワーを浴びながら風呂場でもう一戦。
あとは、なし崩しにベッドになだれ込み、朝までやり続けた結果…
「気がつけば1ダース入りの箱が半分空になっていた…か」
すごい想像力だが、一晩に半ダースとは。
6回だぞ、6回。
いくら頑張っても、普通それは無理だろう。
それも、上下、前後、立ち座り、あらゆる体勢で縺れ合う登場人物たち。

驚きの反動で笑いが込み上げてくる。
実際やったことがないんだから仕方がないだろうが、これはちょっと凄すぎる。
大体、彼女は「発情した牡牛」なんて知っているのだろうか。ちなみに自分はそんなものを見たこともないのに。

しかし、香澄がこんなことを考えていたなどとは、思ってもみなかった。
いつも受身で、遠慮がちに自分に触れてくる彼女が、いきなり『馬乗りになり、あそこを掴む』とは。何ともワイルドでそそられるが、本人が平然とそれをできるのかは甚だ疑問だ。
「これは一度、きちんと実技指導をレクチャーしないといけないな」
自分の思いつきに満足気な笑みを浮かべると、慎介はいつもの癖で几帳面に上書き保存をし、ファイルを閉じる。
そしてパソコンの電源を落すと、隣の寝室に続くドアへと向かった。

さて、何から教えようかな。

そこでは、まだ何も知らない香澄が嵐の前の静けさの中で、穏やかな寝息をたてていた。




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