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Romance Writer’s Love Story

chapterT 香澄のstory 2



定時で仕事を終えた香澄は、帰り道のついでに電車を降りた駅の側のスーパーに寄った。
「さて、今夜は何を作ろうかな」
慎介と会うのは2週間ぶり。先週はお互いに忙しくて結局そんな時間もなかった。

同じ会社にいるといえども、フロアーが違えば社内で会えるチャンスはほとんどないに等しい。
自分は2階の総務・経理部、彼がいるのは5階のシステム管理部だ。
彼の部署は社内外の情報収集、処理、管理を一手に引き受けるため、5階は専用のIDカードがないと自分のような一般社員は室内にも入れない。
データの抽出依頼やシステムの一部変更をお願いするだけでも、すべて「所属長決済済み」の申請書類がないと受理されないという、とびきり管理の厳しいところだ。
彼が今担当しているのは、西日本エリア。
機密事項になるからどういう種類の仕事をしているのかは知らないけれど、とにかく忙しく飛び回っている。
先週は福岡、今週は多分大阪あたり。
総務にいると出張旅費の申請がくるから、どこに行っているかくらいは分かる。
彼の方はもうこの状況に慣れっこで、今更「今週はどこどこに行く」なんて言い置いては行かないから、書類で恋人の所在を確認する有様だ。
これは正直ちょっと寂しい。

「なんだかねぇ…」
こんな感じで付き合って、かれこれ一年。
熱も冷める頃合か?
いやいやよく考えてみれば、最初から二人の間に熱いものなんてなかった。
付き合い始めだって、実に淡々としたものだったのだ。


彼、真崎慎介は中途採用でこの会社に入って来た。
社内を駆け巡った噂によると、SEとしての能力を買われてどこかの企業からヘッドハンティングされてきたらしい。
(後で本人にそのことを聞いたら「いや。ちょうど転職を考えていた時に、大学のOB会の酒席で先輩(現:シス管の課長)に誘われただけ」とのことだが。はたしてこれをヘッドハンティングと呼ぶのだろうか?)

入社してきた当時から彼は目立つ存在だった。
長身で、スーツをセンス良く着こなす細身のスタイル。飛びぬけてハンサムというわけではないが、全体的にシャープな顔つきは冷たそうな印象を与えるのに、なぜか女子社員たちには受けた。
そして見た目良いだけでなく、独身で仕事もできる切れ者であることが知れると、将来の有望さというプレミアがつき、一層周囲の女性たちの注目を集めることになったのだ。
そこで俄然張り切った、自分に自信のある女の子たちは、我先にとアタックを開始したが、不思議なことにいつまで経っても誰一人成功者は現れなかった。
社内で人気度、美しさNo.1を争うマドンナたちでさえ「別に気になる人がいるから」の一言であっさりと断られたという噂だった。もちろんその後で彼の「気になる」女性は誰なのか、あちこちで憶測が飛び交ったのはいうまでもない。

当時、香澄は庶務をやっていたので、転職の際に必要になる雑多な申請書類を毎日のように受け渡す機会があった。彼とも何となく親しくなったが、同僚以上の感情は持っていなかった。
というよりは、こういう男性は観賞用で、少し離れて見ているくらいの方が良いと思っていたという方が正解かもしれない。
それに彼女には心に秘めた「ロマンスのヒーロー」という確固たる理想があり、その基準からすると彼はちょっとばかり現実的すぎるような気がしていたのだ。
だからある日突然、慎介から交際を申し込まれた時には、驚きのあまりしばらく開いた口が塞がらなかった。
周囲の女性たちの呆然とした顔も、自分の手から滑り落ち、床にちらばったファイルも何一つ目に入らなくて、ただあんぐりと口を開けたままでぼんやりと彼を見つめるばかりだったのだ。

数いる女性たちを差し置いて、なぜ私なのかと正直言って困惑した。
見た目も性格も地味な自分のどこに彼の目がとまったのか、未だに分からなかったりする。
あの時はさすがに周囲が騒然となった、それも社内の女性陣が。
彼の唐突な行動に引きずられた香澄が思わず頷いてしまったせいで、自分が意図して騒ぎを起こしたわけではないが、しばらくは会社のロッカーで待ち伏せされて彼のファンのお姉さま方にネチネチ小言を言われたり、仕事中に用もないのにわざわざ顔を見に来られたりという嫌がらせも受けた。
だが不満をぶつける相手が皆の予想の基準値以下で、あまりにも地味な自分だったせいか、そのうちそういうこともされなくなった。
きっと甚振って楽しもうにも反応までが地味すぎて、苛め甲斐がなかったのだろう。
ほっと胸をなでおろす反面、そういう対象にも引っかからない自分がちょっと切なかったりするのだけれど。

そんな展開で付き合い始めてもう一年になる。
ということは、彼とベッドを共にするようになってから一年が経つということにもなる。
出だしはわけも分からずという感じだったが、そこからの展開は早かった。
付き合い始めて1週間後、既に彼女は慎介のベッドの中にいたのだ。

その時も彼から熱烈に誘いを掛けられた覚えはない。何となく良い雰囲気になって、気がついたらそうなっていたという感じだ。
初体験の相手が彼だったことは、今でも最高の幸運だったと思っている。
経験のなかった彼女を、慎介はこの上なく優しく抱いてくれた。
それでもやはり辛いものはあった。事後すぐに寝入ってしまった彼の横で、彼女はいつまでも眠れなかった。
もぞもぞと身体を動かすたびに、お腹に鈍痛が走るし、いつまでも何かが脚の間に挟まっているような違和感が消えなくて、なかなか寝付けなかった。
そして翌朝、彼に再び抱きしめられた時に、残る痛みと恐怖に、思わず涙声で「お願いだから止めて」と哀願してしまったのだ。
慎介は「嫌がることはしないから安心して」とあっさりと手を引き、それ以上は何もしなかったが、本当のところはどうだったのだろう。
もしかしたら、あまりにも彼女の反応が幼なすぎて、強引にするほどそそられなかったのではないか。そして、彼女の拒絶の一言が決定的に彼のやる気を殺いでしまったのでは…。
そう思うと涙が止まらなくなった。彼はおろおろと慰めてくれたが、その姿にさえ罪悪感を感じてしまった。

それから暫くは、後悔と自己嫌悪の繰り返しだった。
後で考えれば考えるほど、あまりにも不甲斐ない自分が嫌になった。
彼の態度は前と変わりなかったが、慎介の顔をまともに見られなくて、しばらくはデートの誘いも何だかんだと理由をつけて断ったほどだ。
急に香澄が付き合いに尻込みをするようになった理由を、セックスするのが辛いせいだと勘違いしたらしい彼は、当分無理はさせないから心配しなくていいと宥めてくれたが、彼女が慎介を避けた本当の理由はそんなことではなかった。
大人の女性として、経験はなくてもその場になればもっと大胆に振舞えると思っていたのに、実際そうなってみると、自分はまだ泣いて嫌がる青臭い子供だった。その事実が彼女の自信を打ち砕いてしまったのだ。
しばらくして彼と再びデートするようになると、成り行きでまたベッドも共にするようになった。
しかしあれ以来、彼からのアプローチは控えめで、暗黙の了解のように、セックスは一晩一回、と決まってしまった。
それも週末の夜限定だ。
馴染んできた今では、時には「もっと」とせがみたくなるが、最初の時のことがトラウマになっていて、彼に求めごとをすることができなかった。

『早く来て。あなたが欲しくてたまらないの』、か。
「ロマンスの中ではいくらでも言えるのにね…」
キーボードを叩きながら、香澄は溜息をついた。
夕食の準備が終わり、先に風呂を済ませると、彼の帰りを待つ間に昨夜の続きを書き始めていた。
今書いているロマンスのヒロインはとびきりセクシーだ。
自らヒーローを誘い、奔放に乱れる。
「私に彼女の指一本分でも大胆さがあればなぁ…」
ヒロインのように慎介を誘う自分を想像してみる。

ありえない。

苦笑いを浮かべた香澄は、しばし現実を忘れ、架空の世界に自分を置いて夢の続きを綴っていたのだった。




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