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My ☆ Sugar Babe

chapterU  「Bitter」 な彼女 7



ドアを挟んで同じように中に座り込んだ早妃子は、彼が何を言い出すのかをじっと待っていたが、平岩はしばらくの間何もしゃべらなかった。
5分が過ぎ10分が過ぎ、やがて早妃子の方が先に焦れ始める。
「何も言わないんだったら……もういい加減に帰ったら?」
ドア越しの声を聞いた平岩は、早妃子が少し落ち着いたのを感じてから、やっとその口を開いた。


「あれは入社して少し経ってからだから、もう4、5年くらい前になるかなぁ。覚えてる?俺が大口契約で大失敗したときのこと」
準備した見積りに不備があることに気が付かないまま入札に持ち込んでしまい、そのまま受注。気が付いた時にはすでに数百万の損失を出していた。
今ならこのくらいの数字、2か月もあれば十分挽回できるものだが、当時まだ経験の浅かった彼にはとてつもなく大きな金額に感じられたものだ。
部長に付き添われて受ける役員からの叱責。何枚も書かされた始末書。
それまで目立ったミスもなく順風満帆、営業なんて簡単だと高をくくっていた平岩は、この時初めて厳しい社会の壁に突き当たった。
そんな彼に追い打ちを掛けたのが、外回りの営業を外されての内勤、即ちしばらくの間業務を一から学びなおせという上からの指示だった。
「俺、すごく腐ったよ。落ち込んで、もう会社なんて辞めちまおうかと、本気で考えた」

今でこそ業務チームは独立した部署になり、営業の重要な一角を担っているが、当時はまだそこまでのシステムが確立されていなかった。したがって営業部の業務とは、外に出しても使い物にならない営業に不向きな人材、言うなれば第一線からの落伍者の烙印を押された者たちの吹き溜めになっていたのだ。

「でも、そんな中で、一人気を吐く女の先輩がいたんだ。働かずにぼんやりしている男どもに発破をかけ、自分はそいつらの何倍も働く。それを毎日当たり前のようにこなすんだ。見ていて『スゲー』と思った」
ちょうど5年前、早妃子は営業から内勤業務への移動を命じられた。
それまでも何度か営業のミスで大きな損失が出た事例があり、それを改善するために立ち上げたプロジェクトのメンバーに選抜されたのだ。
当時、女性は早妃子と佐東の二人だけ。あとは部内から弾き出された者ばかりで、ただでさえ働きの悪いメンバーに振り回され、悪戦苦闘した覚えがある。

「そこで俺は早妃ちゃんたちに、業務の基礎とノウハウを一から叩き込まれた。今までは何気なくやっていた仕事が、実はこういうものだったんだと、初めて理解できた」
約2か月間の再教育でみっちり仕込み直された後、平岩は営業に復帰した。内幕を知ると知らないではここまで違いがあるものかと思うくらい、仕事をこなす力がついたことに気付いた彼は、同僚の郷原や他の同期の者たちにも業務の再研修を勧めたくらいだ。
そして翌年、営業部内に佐東と早妃子を中心とした業務チームが発足し、彼女たちが書類の管理を一手に引き受けることになる。その後何度かメンバーの入れ替えがあったが早妃子たちはそのまま残留となり、現在は女性ばかり4人で業務全体を回している状況だった。

「俺、あの時からずっと憧れていたんだ。そこいらの奴らよりもずっと頼りになる先輩に何とか追いつこうと仕事も頑張ったさ。だって早妃ちゃん、あの後すぐに主任になっただろう?もうこれ以上引き離されないように、必死だったんだぜ」
それが功を奏したのか、やがて彼は営業部のホープとなり、その後郷原と共に営業推進部に引き抜かれた。今では新規開拓を得意とする、押しも押されもしないトップ営業マンだ。
「見ていて分かったんだけど、早妃ちゃんてさ、姉御肌でいつも先輩ぶってきついこともガンガン言うけど、本当は周囲にすごく気を使っているだろう?他人が見ていないところでは、ちゃんとフォローしているし」
そんな彼女が気になって仕方がなかった平岩だが、その前に彼にはまだ越えなければならない障害があった。早妃子とのキャリアの差だ。

一口で5年分と言っても、若いうちはそう簡単に追いつけるものではない。後輩で、しかも役職が下だと、どうしても相手に対等に扱ってもらえないのが悔しかった。
「そうこうしているうちに、早妃ちゃんが頻繁にお見合いしているって噂が出まわるし、俺としては気が気じゃないよ。せっかく頑張っているのに、ある日突然、見知らぬ他人に横から掻っ攫われたら元も子もないからね」
そうしてここ半年ほど、相手に気付かれないように少しずつ間合いを詰めてきた平岩だったが、ある出来事が彼の背中を押した。それは……
「来季から俺、営推で主任に昇格する内々示が出たんだ。数年がかりでやっと、早妃ちゃんに追いついた」
それからすぐにあの飲み会と、それに続く一連の騒動だ。
平岩にしてみれば、仕掛けるにはこれ以上ないとも思えるタイミングだった。

「だから早妃ちゃんが仕事を続けるのには賛成だ。俺にとって一番身近な目標であり励みでもあるんだからね。もしこのまま俺たちが結婚して、子供に恵まれたとしたら、多分早妃ちゃんも育児休暇を取るだろう?その時にはタイミングをずらすなり何なりして時間を取って、俺もできるだけの復帰に向けてのフォローはする。それでも、もし仮にブランクが原因で二人のキャリアが逆転するようなことになったら、その時には今度は早妃ちゃんが頑張って俺に追いつけばいい。俺、応援するから」
「平岩君……」
「ね、早妃ちゃん。結婚しよう。そうしたら何でも二人で半分こにできる」
「何でも?」
「そう、家事も育児も一緒にしよう。困ったことがあれば二人して知恵を出し合えるし、互いに融通しあえばいい。そういう夫婦って良いと思わない?」
「でも、私あなたより5つも年上だし、性格もこんなだし」
「そこがいいんだよ。この際年齢差はどうにもならないけど、それ以外のことは俺にとっては充分可愛く思える。きつそうに見えて実は優しいことも、人前では素直に甘えられないその意地っ張りなところも、全部ひっくるめての早妃ちゃんなんだから」
「……」
「もう一人で肩ひじ張って頑張らなくてもいいんだよ。これからは何でも二人で一緒にやっていこう」

中でごそごそする気配がして、それまで天の岩戸よろしくぴったりと閉じられていたドアが少しだけ開いた。
「早妃ちゃん」
「何で私なの?あなたなら、どんな可愛い女の子でもより取り見取りなのに」
「だから、その中から俺は早妃ちゃんを選んだんだよ」
「何か嘘っぽいわね。でも私、口が悪くて素直じゃないし……」
「うん、そこがまたいいんだ」
「おまけに三十路に突入していて」
「あと2年もしたら俺もそうなるさ」
「でも……」
「だから早妃ちゃん、俺と結婚して」
「本当に、こんな私でいいの?」
「うん。早妃ちゃんじゃないと嫌なんだ」
「平岩君……」
いつの間にかチェーンが外され、さっきよりも大きくドアが開いている。立ち上がり中をのぞくと、早妃子が、泣き笑いを浮かべているのが見えた。
「俺の気持ち伝わった?」
彼女が小さく頷く。
「大丈夫。俺たちならうまくいくよ」
「そ、そうかな」
「絶対に間違いないって。で、プロポーズの返事はOK?」
その問いに、早妃子はにっこり笑いながら大きく頷いた。
「ああ、良かった。ここまで言って断られたらどうしようかと思った」
平岩が見るからに安堵の表情を浮かべる。
「ということで、プロポーズ成功記念に、ここで一発誓いのチューを……」
「ちょ、ちょっと、何調子にのってるのよ」
早妃子は迫ってきた平岩の頭を思い切り叩いた。
「痛っ。早妃ちゃん、未来のダンナ様にその仕打ち、ちょっと酷くない?」
「前言撤回、あなたと結婚なんてしなーい!」
「契約成立後の不履行はなしだよ」
「だったらこの際だから、クーリングオフを適用させえもらうわ」



翌月、早妃子は住んでいたアパートを引き払い、賃貸マンションに引っ越した。そこに平岩より一足先に移り、生活を始めることにしている。
式は来春の予定だ。
あれだけ怒りまくり反発したものの、結局は両家で話し合い、早妃子の両親が予約していた日に結婚式を挙げることに決めたからだ。

平岩や郷原と引っ越し業者が荷物を運びこむ合間に、早妃子は手伝いに来た萌たちに、慌ただしく転居を決めた理由を説明していた。
「だってね、あんな狭いアパートで大騒ぎしたものだから、隣近所に全部筒抜けになっちゃって」
どうやら一部始終を聞いていたらしい隣人たちからは顔を合わせるたびににやにやされるし、どこからか事情が伝わった大家には冷やかされるしで、恥ずかしくて何となく居づらくなったのだ。
それで、どうせ来春にはもっと大きな部屋に移ることになるなら今から準備をしようという話になり、平岩と一緒に探した物件が今のマンションだった。

「でも、平岩さん、すごいです。そんな公衆の面前で、堂々と愛を誓うなんて」
梱包された食器をダンボールから取り出しながら、聞いていた萌の目が、思わずハートマークになっている。
「平岩さんも、思いが届いて良かったですね」
雑巾を手にした尾藤も、嬉しそうに微笑んだ。

「そういえば、尾藤さん、例の会社の件、大丈夫だった?やっぱり私が行った方が良かったんじゃない?」
数日前、引っ越し準備で忙しい早妃子に代わり、尾藤はある会社に書類を届けに行った。生憎とその日は萌が休みで、他に誰も頼める者がいなかったからだ。
日ごろから煩い相手ではないから大丈夫だとは思ったが、それでも初めての場所に、派遣社員である尾藤を一人で向かわせることに、早妃子は不安を感じていた。
「いえ……大丈夫でした。ちゃんと先方にお渡ししてきましたから」

尾藤はそう言うと、手にしていた雑巾を洗うために洗面所へと戻っていく。

あれ、尾藤さんどうしたのかな……
その表情が強張り、微かに手が震えていたのに気づいていた萌は、不思議そうな顔で彼女の後姿を見送ったのだった。




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