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My ☆ Sugar Babe

chapterU  「Bitter」 な彼女 6



「大丈夫かな、あいつ」
週末の金曜日、一緒に帰ろうと誘いに来た萌に、郷原が顎をしゃくる。その先にあったのは、デスクに頬杖をついてため息を漏らす平岩の姿だった。
「何だか最近元気がないみたいですね、平岩さん」
「珍しいよ、あいつがこんなに落ち込むなんて」

平岩の鬱ぎの原因は、言わずと知れた早妃子のことだ。
「付き合い」始めてからというもの、何度もデートに誘っているのに、色よい返事がもらえない。
いまだに、会社帰りに一緒に食事をするのが関の山だという。

「先輩ってずっとこんな風にガードが固かったのかなぁ」
萌は、うーんと眉間にしわを寄せながら唸った。
自分が入社してからのことしか知らないが、そういえば早妃子からはその間に一度も「デート」に行くという話を聞いたことがなかった。それでも社内のレクリエーション行事にはちゃんと参加していたし、部内の男性陣との食事や飲み会にも気軽に出ていたので、強ちそういうことが嫌いというわけではないと思うのだが。
「どうだろうな。平岩限定ってことかもしれないけれど」

社内での二人を見ていると、平岩は彼女に至極自然に接しているのに対して、早妃子はいつもぴりぴりしているように感じられた。
仕事中の公私混同は主義に反するという言い分は尤もだが、それを差し引いてもその身構え方には尋常でないものがある。

「先輩、何を怖がっているんでしょうね」
「怖がる?って、あの向かうところ敵なしの六嶋女史が?」
萌は頷くと、信じられないという顔をする郷原を見た。
「だって、どう見てもそうじゃないですか。怖がるというか、怯えているというか、そんな感じに見えませんか?」
「……見えない」
そう答えた郷原の顔の前で、萌がチッチッと人差し指を振る。
「そんなことではダメですよ、郷原さん。女心は繊細なんですから、もっと注意しないと女性たちからモテないですよ。百戦錬磨のプレイボーイを目指すには、まだまだ修行が足りないですね」
そんなもの、目指した覚えはないんだが。
郷原は、そう言いかけて止めた。彼女には何を言っても無駄なような気がしたからだ。
大体、自分の恋人に「目指せ百戦錬磨のプレイボーイ」と発破をかけることからして、彼女の思考回路は理解し難いものがある。普通なら、付き合っている相手が他の女に目を向けただけでも、やきもちを焼きそうなものを。

もしかして、自分は萌に「恋人」と認識されていないのか?
彼は何だか急に不安になった。他人の心配をする前に、自分の頭上のハエを追う方が先ではないか。
郷原が一人悶々としているその横で、萌が何やらぶつぶつ呟いていた。
「でも、先輩と平岩さん、お似合いだし、絶対に結婚すると思うんだけどなぁ。こういう私の勘ってよく当たるって、友達からは言われるんだけど。ま、これはお二人の問題だから、私がどうこう言っても仕方がない……って、郷原さん?どうかしたんですか?」
彼が深刻そうな表情をしながら自分を見ているのに気付いた萌は、怪訝そうな顔をした。
「いや、何でもない。そうだな。あいつらのことはあいつらで解決するしかないんだよな。もう少し様子をみるか」
萌はにっこりと笑うと、大きく頷いた。
「はい。で、今度はどこに行きましょうか?」
ここのところ毎週末、郷原と萌はデートを重ねている。
どこに行っても何をしても、萌は新鮮な驚きを感じているようで、その反応を見ているだけで、なぜか郷原も楽しくなってくる。
「どこがいい?」
「どこでも。郷原さんが連れて行ってくれるところなら」
「そんなことを言ってると、またラブホに連れ込むぞ」
「あ、いいですよ。今度はちゃんと歯ブラシと着替えも持っていきますから。あの泡の出るお風呂、入りたかったんです。次回は絶対に入るぞって思っていたんですよ〜」
……何か違う。
郷原は短い髪の毛を掻き毟りたい衝動に駆られた。
彼女の頭の中には、男と女がラブホに行って何をするかということ以前に、ラブホテル=大きな風呂=ジャグジーの図式が出来上がっているらしい。彼の誘いやほのめかしなど、彼女の天然ボケのパワーの前にはまったく歯が立たない。
『まだ道のりは長いな』以前平岩に言われた言葉が、脳内でリフレインする。
「郷原さん、よろしくお願いしますね」
そんな彼の思いとは裏腹に、萌は目をきらきらさせながら「今週のお楽しみ」に思いをはせているようだ。それを見た郷原は、彼女に気付かれないように苦笑いを浮かべながら、小さく肩を竦めた。

仕方がないさ。こんな天然お嬢ちゃんに、本気で捕まっちまったんだから。



翌日、午前中は予定もなく朝寝坊していた平岩に、早妃子から怒りのメールが飛び込んできた。
『今日衣装を合わせるから出てこいなんて、一体どういうことか、説明してくれない?』

何のことだ?

平岩は手にした携帯を見て首を捻った。
確かに早妃子の両親も交えて一緒に食事をしようという誘いはもらっていたが、それは彼女の方から彼に振ってきた話だ。
付き合っていると思わせておくためには、形だけでも仲の良いふりをしなければならないと考えているらしい早妃子は、両親がセッティングした席を断りきれなかったようだ。だが、もっと早妃子と一緒にいる時間が欲しい平岩にとっては、休日にゆっくり彼女と過ごせるチャンスだと思っていた。
『食事をするホテルで何かあるのか?』
返したメールにすぐに返信がくる。
『今日、そこでブライダルフェアがあるそうよ。何でも来年の3月の下旬、大安吉日の土曜日がもう押さえてあるんだって。冗談じゃないわよ、あなたも一枚噛んでたの?』

「何だって!?」
文面からも、早妃子の立腹ぶりがうかがえた。
すぐに電話をしたが、呼び出してはいるのに出る気配がない。事情が分からない平岩は、もどかしさに苛々しながらも仕方なく、メールを返す。
『ちょっと待っていてくれ。これからすぐそっちに行くから』

急いで服を着替え、車のキーを掴んで玄関を飛び出した平岩の携帯に、早妃子からのメールが届く。
『来なくていい。来ても誰も入れないし、今日は家から一歩も出ないから』


30分後、平岩が早妃子の部屋に駆け付けた時、すでにドアの外には先客がいた。
彼女の両親だ。
彼らも早妃子に締め出しを食らっているようで、ドアを挟んで押し問答をしている。
「早妃ちゃんここを開けて」
「嫌よ。さっさと帰って」
「早妃子、親を締め出すとは何事だ」
「何が親よ。今までだって何でもかんでも勝手に決めて、挙句の果てには結婚式の日取りまで『決めてやった』ですって。
そんなに……そんなに私が邪魔なら、何でもいいから放り出してしまいたいってくらい目障りなら、もう親子の縁を切ってもいいわよ。娘は勘当したって、周囲にはそう言えばいいじゃないのよ」
ぴっちりと閉められたドアの向こうから、早妃子の我鳴り声が聞こえる。
いつも冷静で、皆の前では声を荒げることさえ滅多にない彼女が、半分泣きながら怒鳴り続けていた。
「もう帰ってよ。どうせお父さんにとって、女の私は最初から要らない子どもだったんでしょう?そんなんだったら……お母さんと別れるときに、何で私も一緒に家から追い出してしまわなかったのよ。その方が君江さんだって余分な手間も掛からなくて、清々したでしょうに」
「早妃ちゃん、そんな……」
その言葉にショックを受けた君江は、顔面蒼白で今にも倒れそうだ。
「早妃子、何てことを言うんだ。ちゃんと話をしよう。ここを開なさい」
「……」
「早妃ちゃん」
「……」

両親の呼びかけに応えようとしない彼女に、それまで後ろでやり取りを聞いていた平岩が遂に口を開いた。
「早妃子、もういい加減にしろよ。幾らなんでも言い過ぎだぞ」
「平岩君……何で来たのよ。来ないでって、メールしておいたでしょう」
平岩の声を聞いた早妃子が、やっとそれに答えた。
「会いたいから、来ただけだ」
「私は会いたくないの。あなたも帰って」
「早妃子」
「他人のあなたに何がわかるっていうのよ。何一つ事情なんて知らないくせに」
「だが、彼はお前の婚約者なんだろう?」
父親の困惑した声に、遂に早妃子が真実をぶちまけた。
「違うわよ。お父さんたちがあんまりにも煩いから付き合っているふりをしてくれていただけで、恋人でも何でもない、ただの会社の同僚よ」
「早妃子それは一体どういう……」
「この際だから言っておくわ。こんな面倒なことはもうたくさん。私は当分結婚なんてしないから、みんな私のことなんて、放っておいて」
「早妃子、俺は……」
「平岩君、あなたもよ。もうこれからはあなたにも迷惑をかけたりしないから安心して。だからお願い、もう帰って」
「早妃……」
「帰ってよ、お願い、もう、もう一人にしてよ……」

それきり、早妃子はいくら呼びかけても反応しなくなった。
「お父さん、あとは俺たち二人で話しをさせてください」
「だが、平岩君」
「今日のことは、さすがにちょっと強引すぎますよ。こんなことをされたら、俺だってカチンとくる。少しは彼女の気持ちも考えてあげてください」
平岩はそういうと閉じられたままのドアに目をやった。
「これ以上ここで揉めても彼女が意固地になるだけでしょう。俺が説得してみますから、今日のところはこれでお引き取りください」


彼女の言葉にショックを受け、がっくりと肩を落としながら立ち去る両親を見送ると、平岩は再びドア越しに呼び掛けた。
「早妃ちゃん、そこにいるんだろう?」
「平岩君、悪かったわ。あなたは関係なかったのね。ごめん。でも、今日はもう帰ってお願いだから」
「開けてくれないのか」
応答はなかったが、部屋の中から小さくすすり泣く声が聞こえてくる。

いつも気丈な彼女が、こんな風に泣くなんて。

平岩はドアの向こうで声を殺して泣いている早妃子の姿を思うと居ても立ってもいられなくなった。できることならこのドアを蹴破りたいところだが、生憎と金属の扉はそう簡単に壊せるものではない。
彼はドアに背中をつけてその場に座り込むと、すぐそこにいるはずの早妃子に話しかける。

「早妃ちゃん、聞いてる?いい機会だから今話しておくよ。俺が早妃ちゃんと結婚してもいいと思った、本当の理由を」




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