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My ☆ Sugar Babe

chapterU  「Bitter」 な彼女 4



その夜、会社からほど近い居酒屋で、今後の対処を考えるべく秘密裏に作戦会議……という名目の飲み会が行われていた。
出席者は、平岩、郷原、萌、そして早妃子の4人。
議題はもちろん……

「何でこんなことになっちゃったのよ?」
そう言って、一気にグラスをあおる早妃子を萌が心配そうに見ている。
「先輩、そんなに冷たいものを一気に飲んじゃって、大丈夫ですか?」
先日、酒で痛い目に遭った早妃子は、今日はさすがにアルコールを控えていた。とはいっても半ばヤケ気味に、これでもかというハイペースでウーロン茶を空け続けている。もうかれこれ、今手にしているグラスで4杯目。いくらアルコールが入っていないとはいえ、そんなに無茶な飲み方をしてお腹は大丈夫かと、側に座っている萌は気を揉んでいた。
「これが飲まずにいられる?結婚よ、結婚。それもなぜか私が。ああーもう、やってらんないわよ」

「ウーロン茶だけでくだを巻ける人間って、初めて見た」
そんな彼女を見た郷原がぽつりと呟く。
「ん?郷原君、何か言った?」
「いえ、何も」
酒も入っていないのに目が座っている状態の早妃子に、逆らおうなどと考える強者はいない。
社内中に知れ渡った二人のことを後で人づてに教えられた郷原は、驚きつつも詳しい話を聞こうと、早速平岩たちを飲みに誘った。
もちろん、萌も参加だ。
だが、そこで当事者たちに聞かされたのは、噂とはまったく別物の、信じられないような話だったのだ。


「だから早妃ちゃん、そんなに深刻に考えなくても」
こんな状況でも平岩は極めて平静で、自分が注文したほっけの開きを肴に、ちびりちびりと冷酒を飲んでいた。
「何が早妃ちゃんよ。まったく、一体誰のせいだと思っているのよ!」
「だって、仕方がなかったんだよ。あれ以上、会社で親子喧嘩をエスカレートさせるわけにはいかないだろう?」
彼のもっともな言い分に、早妃子はぐっと言葉に詰まった。
確かに見苦しい場面を見せてしまったという思いはある。だが、早妃子と父親はここ数年、顔を合わせれば言い争いを始めてしまうようになっていた。無論、その要因は言わずと知れた、彼女の結婚問題だ。
何とか早く娘を嫁がせようと画策する父親と、それに真っ向から反発する自分。
できれば角突き合わせたくはないのだが、二人が向き合うとどうしてもそうなってしまう。
早妃子の足が実家から遠のいているのも、実はそれが原因だった。

「しかしあの親父さんもすごいな。『男は外に、女は家に』を誰憚ることなくきっぱり言い切るなんてさ。今時あそこまで昔気質の、頑固な信条を持っている人も珍しいんじゃないか?」
その場面を思い出しながら、しみじみと言う平岩に、早妃子も相槌を打つ。
「昔からそう。女は嫁に行って家につくものだって考えに凝り固まってるのよ。大体私の名前を見れば、分かるでしょう?」
「六嶋先輩の名前って?」
萌が水滴で指先を濡らして、テーブルの上に六嶋の名前を書く。
「そう早、妃、子。早く嫁(妃)に行く子よ。私、生まれた時から結婚を急かされていたってわけ」
「えー先輩、それは幾らなんでも嘘でしょう?」
反対に、生まれた時から「この子は絶対に嫁にはやらん」と周囲に言われ続けてきた萌は、思わず信じられないと声を上げた。
「だってどう見たってそういう字でしょう?『さきこ』なら咲子とか、他に良い漢字がいくらでもあるのに」
「まぁ、こうなったら当面は付き合うふりでもしていくしかないな。汐田部長もすっかり信じ込んでいるみたいだし。早妃ちゃんも、今さら『うっそよ〜ん』とは言えないだろう。
早妃子はため息をつきながら、平岩の頭を小突いた。
「だから、誰が『早妃ちゃん』って呼んでいいって言った?
そう、それなのよね。下手に部長を巻き込んじゃったから、フォローが利かなくなったのが痛いわ」

帰り際に、あろうことか早妃子の父親は、汐田に仲人を頼もうとしていた。だが、部長は「私は独身なので、誰か夫婦で立てる、他の方に」とやんわりと拒否した。
そういえば、確か汐田部長は10年ほど前に離婚していて、現在も独身のままだ。同世代の中ではかなりのやり手で出世頭だし、性格も悪くない。それに見た目もなかなかイイ男なのに、何で再婚しないのかと、周囲の誰もが不思議に思っていた。
まぁ、何にしても、当てのない結婚の、仲人が即決なんてことにならなかっただけでも、早妃子が安堵したことは確かだ。

「いいじゃん。お互いに今真剣に付き合っている相手はいないんだし。ほとぼりが冷めたら『やっぱり止めました』ってことにすれば」
「そんな簡単なものじゃないでしょう?」
「じゃぁ、本気で俺と結婚する?」
二人の掛け合いを聞いていた萌が、そこで急に目を輝かせた。
「平岩さん、それってプロポーズっぽいですぅ。もしかして、お二人は本当に結婚する気じゃないんですか?」
妙に嬉しそうにはしゃぐ萌を横目に見ながら、早妃子はぽつりと呟いた。
「……却下」
「ええっ先輩、なんで?そんなぁ〜せっかくのプロポーズを、勿体ない」
「勿体ないとか、そういう問題じゃないでしょう。付き合ってもない相手と、勢いで結婚なんて、できるわけがないわよ」
「いいじゃないですか、先輩。お互いに目的があって、便宜上の結婚をするって、まるでロマンス小説かドラマみたいですよ。結婚から始まる恋愛なんて、ちょっとドキドキしちゃいます」
「ちょっとメグ、あなたねぇ……」
早妃子は心底疲れたような顔をして、深い深いため息をついた。
「テレビの見過ぎ。現実はそんなに甘いもんじゃないのよ。それに私は結婚したら普通の家庭を築きたいの。子供だって産みたいし」
「だったら簡単だよ。俺も自分の子供が欲しいから、希望が一致するし。そういうことなら、早速今夜から子作りに励もうか」
「えっ、赤ちゃんってそんなに頑張って作るものなんですか?」
「うーん頑張らなくても、出来る時には一発で出来るけど。あとは早妃ちゃんの体調次第だな」
「ちょっとあんたたち、人をダシにして妙な冗談言わないでくれる?」
萌の真面目顔の質問に、面食らいながらもそれなりの答えを返す平岩を、早妃子は恐ろしい顔で睨み付けた。
「郷原君、早く何とかこのドジっ子に、まともな性教育をしてやって。でないと、こっちの身が持たないわよ」
「はぁ、すみません」
自分は直接何も言っていないのに六嶋に怒られ、とばっちりを受ける羽目に陥った郷原は、なぜか反射的に謝ってしまった。
「先輩、私だって、えっちしたら赤ちゃんができることくらい知っていますよ。まだしたことはないけど」
萌の発言を聞いた郷原は、ますますバツが悪そうに、咳払いしながら体を揺らした。そんな郷原の肩を、横にいた平岩が宥めるようにぽんぽんと叩く。
「哲史、頑張れよ。この様子だと、まだまだ道のりは長いみたいだからな」



翌日から、二人を取り巻く社内の空気ががらりと変わった。
男性社員は、なぜ彼と早妃子がと驚きつつも、平岩を冷やかしに来た。だが、彼らには明らかに「ご愁傷様」といった様子が見え隠れしている。
対する女性社員は、さすがにプレお局様と呼ばれている早妃子に面と向かって言う者はいなかったが、あちこちでいろいろな噂話が面白おかしく脚色され、吹聴されているのが人伝に耳に入ってくる。

「……まぁ、予想はしていたけど、やっぱりダメージ受けるわよねぇ」
昼休み、休憩室でいつものように持参した昼食を前にしながら、早妃子はがっくりと項垂れた。
「私も給湯室で何度も聞かれました。何か、知らない人にまで声を掛けられて、ちょっと驚いちゃいました」
その日は珍しくコンビニのパンを持ってきた萌が、お湯を入れたカップスープを混ぜながら、ぼそりと呟いた。
「六嶋さん、そんなに心配しなくても、少ししたら誰も何も言わなくなるわよ」
いつも宅配のお弁当を頼んでいる佐東係長も、今日は一緒にテーブルを囲んでいる。
「係長、お昼ごはん、それだけですか?」
萌が、佐東の持って来たヨーグルトと野菜ジュースを見て、不思議そうに尋ねた。
「あ、ええ。ちょっと体調が悪くてね。あまり食べたくないのよ」
「そういえば係長、あのビアガーデンの日も、貧血で倒れそうになったんですよね。長引いているみたいですけど、大丈夫ですか?」
今日は手作り弁当持参の尾藤が、心配そうな顔をすると、佐東は少し無理をして笑ったように見えた。
「夏バテかもしれないわね。雨が多くて、ちょっと蒸し暑かったから。さすがにアラフォーの体には堪えるわ」

早妃子も、ここのところずっと佐東の顔色が良くないのに気付いていた。
自分と違って、佐東はもともとそんなに壮健なタイプではない。ただ、仕事に掛ける情熱には並々ならぬものがあり、それが彼女をバイタリティー溢れる、タフな女に見せているだけだと思う。
だが、佐東のそういうところに自分と相通じるものを感じている早妃子にとって、彼女は尊敬できる身近なお手本であり、目標にしている人物でもあった。

「でも、汐田部長も、本当にこんな突拍子もない話を信じているんですかねぇ?」
早妃子は今朝一番に佐東にことのあらましを話していた。他には同僚の尾藤にも説明して、部内でのフォローを頼んだ。
その後、佐東と二人して部長室に呼ばれ、汐田から今後の段取りをつけるように言われたのだ。
もちろん、真相を知る佐東には、口止めをしてあった。でなければ、当分は付き合っているふりを続けるという、平岩の話と食い違いが出てしまうからだ。
「まぁ、あの人ならそう思うかもしれないわね。男の責任とかに煩いし、あれで結構古風な考えの持ち主なのよ。それにあの年でも結婚に憧れているというか、幸せな家族に憧れているというか」
「へぇ〜汐田部長がですか?何かちょっとイメージが違うかも」
萌はクリームがたっぷり巻いてあるロールケーキを頬張りながら、首をかしげた。
「でもだったらどうして結婚……というか再婚なさらないんでしょうね。私的には、魅力的ないい人だと思うんですが」
恐らく、夫にするなら理想的な男性だろう。もしかすると、自分とは不釣り合いな年下の平岩よりも、余程しっくりくるかもしれない。

「さてね……どうしてかしらね」
小さくそう呟いた佐東の横顔を、尾藤が複雑な表情で見つめていた。




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