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My ☆ Sugar Babe

chapterU  「Bitter」 な彼女 3



それから二週間が過ぎた頃、会社に一人の来客があった。
その日、お茶当番だったのは、ドジっ子メグこと、加藤萌。
彼女はいつものように流し台の前で、上司から言われた人数分のお茶を入れる準備をしていた。
給湯室からちらりと見た後姿で、応接室に向かったのは営業部と営業推進部の部長を兼任している汐田統括部長と、来客と思われる男性、そしてなぜか平岩も呼ばれたようで、後から中に入っていった。

部長に来客というのはよくあることで別段珍しいことではないが、その時の雰囲気がいつもとどことなく違うことを感じた萌は、湯呑みの乗った給仕盆を持ったまま、ドアの前で聞き耳を立てていた。

「いやいや、それは私も初耳です」
当惑したような、汐田部長の声が聞こえる。
「いえ、私も最初は家内が言うことが信じられませんでしてな。それで、確認したいこともあって、急遽お邪魔させていただいた、というわけですわ」
少し年配かと感じられる、低く太い男の声がする。
「本当なのか、平岩?」
「ええ、まぁ、そういうことで……」
何となく歯切れの悪そうな、平岩の声が途切れ途切れに聞こえた。
「まぁ、そうは言ってもこれは君のプライベートなことだしなぁ」
平岩さんのプライベートなこと?

部下の私的なことについてなど、それが仕事に影響を及ぼすことでもない限りは部長が何かを知る必要があるとは思えない。ましてや今話題に上っているのが郷原の友人である平岩のことだと分かると、萌の好奇心に俄然火が付いた。
だが、いつまでもお茶を持ったまま立ち聞きしているわけにもいかず、タイミングを見計らって、軽くドアをノックしてから中に入る。

彼女が室内に入った途端、急に会話が途切れ、その後は何となく空々しい景気の話に変わっていた。

え?何?私に聞かれちゃ困るようなことなわけ?

彼女はその微妙な空気に気が付かないふりでお茶を出すと、そのまま一礼してドアを出る。
そして、傍から見れば何をしているのかと絶対怪しまれそうな格好でドアにへばりついて、引き続き中の会話を聞いていた。

「付き合っているからと言って、その都度わざわざ上司に申告する必要はないだろうが、結婚となると言っておいてくれた方がありがたいな。それも相手があの六嶋君だ。結婚退職となると、仕事の引き継ぎの時期や段取りもあるだろうし」

どっひゃーん!
な、何ですと?六嶋先輩が結婚?それもあの平岩さんと!?

それを聞いた萌は、慌ててドアの前から飛び退くと、一目散に廊下を走り給湯室の前を素通りして、階段を下りたところにある営業部に駆け込んだ。
「せ、せんぱい、む、六嶋せんぱぁい〜〜〜」
「メグ、どうかしたの?」
持っていたお盆を振り回し、息を切らせながら六嶋のいるデスクに駆け寄ると、萌は早速今しがた仕入れてきた情報の確認を始めた。
「結婚するって、ほ、本当ですか?あ、痛ぁい」
主語もつけずに話し始めた萌に、六嶋が平然とデコピンする。
「ほら、ちょっとは落ち着きなさい。順序だてて話をしないと、何が言いたいのか全然分からないじゃないの」
「だ、だって、そんな冷静になれませんって」
「だから、何をそんなに興奮してるのよ?」
二人の掛け合いの様子を側で見ていた尾藤は、笑いながらデスクに置いてあったペットボトルのお茶を萌に差し出した。
「これを飲んで少し落ち着いて。それでメグちゃん、今度は誰が結婚するの?」
先月、先々月と、同僚が次々と結婚した。まぁ、春先から6月にかけては世間一般でも結婚式の多いシーズンだし、今の時期にもう一組くらい追加されたところで、驚くようなことではないだろう。
「先輩、六嶋先輩が」
「私が何?」
「い、今、応接で六嶋先輩が結婚するって……」
「はぁっ?何で私が?」
それを聞いた早妃子の声が裏返った。
「それも、先輩、結婚したら仕事を辞めるって部長が……」
「な、何ですってぇ?」
早妃子は愕然とした顔で辺りを見回した。時間が時間だけに営業部の連中はほとんど出払っていて社内にいなかったが、それでも残っていた数人が興味深げにちらちらとこちらを伺っている。
「それで、メグちゃん、その先があるんでしょう?」
いつもは冷静で物静かな尾藤も、驚いた様子で萌に話を続けるよう促す。
「はい。おまけにその相手が……ひ、平岩さんだって聞いて、私もう、びっくりしちゃって」



ついさっき、萌が駆け抜けた廊下を、今度は早妃子が逆向きに、血相変えて走っていた。
母親と平岩が彼女のアパートの玄関で遭遇して以来、両親から、とりわけ父親からは不思議なくらい何もアプローチがなかった。二度ほど君江から「家に来ないのか」という催促の電話があったが、彼女はその都度適当に理由をつけては断っていたのだ。
不気味な沈黙に怯えつつも、「もしかしたら、このまま放っておいてくれるのでは?」という淡い期待を抱いていた早妃子だが、よもやこういった形でそれが裏切られるとは思ってもみなかった。

応接室の前まで来ると、早妃子はノックもせずにそのままドアから中へ駆け込んだ。
「六嶋君、どうした?」
入口に背を向けて座っていた汐田部長が、騒がしい音を立てて開いたドアに反応してこちらを振り返った。そしてその横にいた平岩も彼女の形相を見て驚いた顔をする。
早妃子は二人を軽く一瞥すると、最後に正面に座っていた来客の男性を睨み付けた。
「すみません、お見苦しいところをお見せして。で、お父さん。こんなところで一体何してるのよ?」

そこにいた客は六嶋の父親だった。そう例の「頭の固い、クソ親父」である。
父親は、娘の怒り心頭といった様子には目もくれず、悠々と萌が淹れたお茶をすすっている。
「何って、お前、お前の結婚相手がここにいるって聞いたから、ちょっとご挨拶を兼ねて来てみただけだ。何度言っても彼を家に連れて来んのだからな」
「だからって、わざわざ仕事中に会社に押し掛けることはないでしょう?部長や平岩君や、皆さんにご迷惑をお掛けしてまで」
「だが、お前が仕事を辞めるとなると、長らくお世話になった会社の皆さんに、一度くらいは挨拶をしておかんといかんだろう」
「はぁ?会社を辞めるって、誰がそんなことを言ったのよ?」
「そりゃぁ、お前、結婚するとなると、そうなるに決まっとるだろうが」
「だからいつも言ってるじゃない。私はまだ結婚する予定はないし、仮にしたとしても仕事はずっと続けるつもり。もちろん、将来子供が産まれても仕事を辞めたりしないわよ」
「またそんな戯けたことを言って。結婚して一旦家庭に入ったら、外で働こうなんて考える方がおかしいだろうが。女は主人を立て、家を守ってこそ、その家が栄えるものだぞ」
「そういう考え方を世間では時代錯誤とか男尊女卑とかいうのよ。もしくは時代遅れとか前世期の遺物とか。大体、今どき結婚したからって外で働いちゃいけないって言う男なんていないわよ。自分が家事を分担してでも奥さんに一緒に働いてもらって、少しでも生活を楽にしようって方が大半なんだから」
「男たるもの、家族を食わせてなんぼのもの。そんな軟弱な考え方など……」
「あの、お言葉ですが」
突然、親子喧嘩に割って入ってきたのは、他ならぬ平岩だった。
「私は早妃子さんが働くのには賛成です。女性ながら、彼女の仕事ぶりは営業部の中でも抜きん出ていますし、せっかくここまで築き上げたキャリアを捨てるのはもったいない。それに給料も多分、私なんかよりもずっと多いはずですからね」
「それは、君……」
早妃子の父親が何かを言い返そうとするが、話術の巧みさにかけては一枚上手の平岩がそれを制する。
「もちろん、世帯主として名前は男である私が一番上に乗ることになりますが、妻が仕事をしている以上、家事は半分半分、育児も積極的にやりますよ。男ですからさすがに子供を産むのは無理ですが、それ以外にことなら何でもできるだけ手を貸すつもりです。妻と夫が協力していかないと、このご時世、子供を育てていくのも大変ですからね」
「おお、もうそんなに具体的な話になっているのか、平岩?すごいね。それはぜひ、頑張ってくれたまえ。これからの若者が働くスタイルのお手本として、部としても将来できるだけのサポートはしていくからな」
横から汐田部長が妙に感心したような声で相槌を打つのを聞いた早妃子は、途方に暮れながら、その場でがっくりと項垂れた。

嘘。何でこの話が勝手にこんな展開になっちゃってるのよぅ。

「ということで、六嶋君のお父上もこれでひとまず安心というところでしょうな。六嶋君、平岩君、おめでとう。六嶋くんのことは早速佐東係長にも図って今後のことを決めないといけないな。ああ、もちろん、君はこのまま今のポジションに留まることを希望していることは分かったから、そのあたりは佐東君と直接面談して話し合ってくれていいから」


六嶋と平岩が電撃結婚!?
噂は瞬く間に営業部全体に広まったが、勢いはそれだけでは収まらず、数時間後には総務経理部、そしてその日のうちに遂には社内中の人間に二人のことが知れ渡る事態となってしまったのだった。




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