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My ☆ Sugar Babe

chapterT  「Sweet」 な彼女 6



危ないところだった……

慌てて料金を払った郷原は、キスの余韻でまだ少しぼんやりしている萌を引っ立てるようにしてホテルを後にした。
道路の排気ガスで薄汚れたゲートの目隠しカーテンを猛然とくぐり、外へ出たところでやっと一息つく。その時になって、ようやく彼は自分の後ろをついてきた萌が痛そうに足を引きずって歩いていることに気がついた。

「悪い、すっかり足のことを忘れていた」
立ち止まった郷原は、こちらを向こうとしない彼女の顔をのぞきこんだ。
「酷く痛むのか?」
「だ、大丈夫です」
口ではそう言いながら、俯いたまま自分と目を合わせようとしない萌の顎を指先で押し上げる。見ると、彼女は途方に暮れたような表情で目を潤ませ、その上微かに唇を震わせていた。
「泣いているじゃないか。そんなに歩くのが辛かったのか?」
「ち、違います」
萌は大きく一つしゃくり上げると、目の端に溜まった涙が流れ落ちないうちに素早く手のひらで拭った。
「私……何かやってはいけないことをしちゃったんでしょうか?」
「はぁっ?」
今度は郷原が困惑気味に眉を顰める。
「だって、郷原さん、急に怒ったような顔をして、帰るって言いだすし。何も聞けないうちに、ずんずん先に歩いて行ってしまって」

理由を知らない彼女からしてみれば、彼の態度の急変の原因は自分にあると思い込んでしまったのは仕方がないことだろう。いや、実際のところ、その原因の一端が彼女にあるのは間違いないのだが。
「これは、君のせいばかりではないんだ……」
「でも、どう見ても私に怒っているとしか思えないし……」
「いや、怒っているわけではないんだが」
「だったらどうして、急にあんな風に『帰ろう』なんて言い出したんですかぁ?」
夢にまで見た甘いキスシーンを無理やり中断させられ、その上理由も聞かされないままにその場から引きずり出された萌は、潤んだ目で抗議の視線を投げかけてくる。
「あー、それはだなぁ……」
実際に男の生理を理解していない彼女に、この状況をどう説明するべきか。郷原は一瞬、言葉を選ぶあまりに申し開きを躊躇した。
実のところ、彼自身は「怒って」はいないが、彼のモノは「起って」いた。
その衝動に従えば、彼の理性はあと5分、いや3分ともたなかっただろう。
「それは?」
彼女は郷原が何を言い出すのかと、次の言葉を待っている。
「つまり、それは、その……もう少しで、あの場で君を押し倒しそうになったからということだ」
「押し倒すって?私と、その、え、えっちしたくなっちゃった、ってことですか?」
幹線道路沿いのラブホテルの周囲、ましてや土曜の朝のこんな時間に、通行人などいるはずもなかったが、郷原は思わず彼女の口を手で押さえると、あたりを見回した。
「声が大きい」
「うーっ」
声を出せない彼女が、もごもごしながら抗議のうめき声を上げる。

「平たく言えばそういうことだ。あのままいたら多分、いや、絶対にそうなっていただろうな。だが、君も初体験があんなホテルじゃ嫌だろう?」
「ええ?何でですか?」
何とか口から郷原の手を引き剥がした萌が、目をキラキラさせながら彼を見上げる。
「だって、最初は痛くて大声で叫んだりすることもあるから防音がしっかりしているところがいいって聞いてますし、ああいうホテルなら、こう、シーツとかが汚れたりしても大丈夫って……」
「しっ、声が大きいって」

聞いている方が赤面しそうなことを真顔で言い出す萌を、背後から羽交い絞めにした郷原は、今度はさっきよりも更にしっかりと彼女の口を手で塞いだ。
「まったく、どこでそんなばかげたことを教えられてきたんだか」
「むぐむぐ」
「いいかい?僕が最初から教えるから、今までの無駄な知識は全部捨ててしまうんだ。友達だろうが、先輩だろうが、雑誌やネットの知識だろうが、そんなものは全て忘れてしまえ。それが、唯一、僕が君の『初体験』の手ほどきをする条件だ」
まだ口を塞がれたままの萌は、元々大きな目を、更に丸くしながら肩越しに彼を見上げた。
「どう?この条件が呑める?」
零れ落ちそうなほど目を見開きながら、彼女は機械的に何度もこくこくと頷く。
「そうか、だったら今から始めよう。いや、さっきから既に始まっているな。キスはもう教えただろう?」

ホテルでの出来事を思い出したのか、萌が顔を赤く染める。
そんな彼女を背中から抱きとめながら、郷原は低く耳元で囁いた。
「心配しなくても、ちゃんと最後まで教えてあげるよ」


耳元で響く郷原の悩殺ボイスに、思わず叫び出しそうになっていた萌を救ったのは、奇しくも2台同時に鳴りだした、彼と自分の携帯電話だった。
「はい、もしもし?」
『メグ?あなた無事帰れたの?足は?捻挫は大丈夫?』
「郷原だ」
『郷原、お前ちゃんとあの子を送り届けたんだろうな?』
相手はそれぞれ昨夜のもう一組のペアの片割れである、平岩と六嶋だった。

互いにしゃべる声が聞こえない場所まで移動すると、電話の相手と安否の確認をし始める。
「おい、郷原。お前、あれから家に帰ったのか?」
「ああ。何らならこれからウチに来るか?」
郷原は交通の便が良い賃貸マンションに一人暮らし。2DKの広さがあるので、郊外に住んでいる平岩たちも終電を逃した時に泊っていくことがあった。
今いる場所からならタクシーで20分もあれば帰れるから、もしもの場合も何とかアリバイが成立するだろう。
「いや、今日は遠慮するよ。ちょっと立て込んでいるから」
予想に反してそう言うと、平岩は早々に携帯を切った。
「結局何の用だったんだ?」
顛末の報告だったら、週明けでも間に合うはずだ。たとえどんな状況になったとしても、今までこんなことで連絡をしてきたことは一度もなかったのだが。
首を捻る郷原に、萌がおずおずと声を掛ける。
「あの、郷原さん?」
振り返ると、萌がすぐ側まで戻ってきていた。
「そっちは大丈夫だったのか?六嶋主任の突っ込みは?」
「何とか誤魔化せたみたいです。それに、何だか今日は先輩もちょっとおかしかったみたいだし」
「おかしい?あの六嶋主任が?」
いつも舌鋒鋭い、お局予備軍の六嶋に限っては考えられないことだ。
「とにかくまぁ、バレなかったんならよしとしよう」

別段隠すことは何もないが、対外的にはそうは思ってはくれないだろうからな。何せ、男女が一晩、ラブホテルで過ごしたというのに、「いや、実は何もなかったんですよ」と言っても世間には通用しないだろうし。
いや、まったく何もなかったというと嘘になるか……

初めてのキスに応えた萌の、初々しい反応を思い出すと、それだけで自然と頬が緩みそうになる。
「郷原さん?」
彼女の声にはっと我に返った郷原は、意識して表情を引き締めると、側に立って自分を見上げている彼女の手を取った。
「そろそろ帰るとしよう。こんな場所だとタクシーを呼ぶしかないか。とりあえず、あそこまで歩くが、足は大丈夫か?」
遠くに見えるコンビニの看板を、郷原が指差す。
「多分、何とか」
「痛くなったら早めに言えよ。負ぶってあげるから」
それを聞いた萌がくすりと笑う。
「どうした?」
「いえ。あの、おんぶよりも、肩に乗せて欲しいなぁって」
「担ぐのか?」
「いえ、座るんです」
こんな風にとその格好をする彼女を見た郷原が豪快に笑う。
「そんなことをして欲しいのか?」
「あ、お姫様抱っこも捨てがたいのですが、ここではちょっと……」
何を想像したのか、またもや赤面する萌の耳元に顔を寄せると、郷原は声を潜めて囁いた。

「それはいつか、君をベッドに連れて行く時にしてあげるよ」




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