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月の宴 華の乱 その四 



山城が右近氏の手に落ちた翌日、鈴は麓にある本館にその身を移された。
いつもと変わりない、住み慣れた館奥の居室。
ただ一つ以前と違うのは、そこが右近氏の居城となり、戴く主が変わったこと。そして囚われた彼女の周囲を常に右近の兵たちが監視していることだ。

右近から連れて来られた側付きの侍女も新たに付いたが、所詮鈴は敗将の室、彼女らの態度に冷たさや余所余所しさは否めない。
館の奥から出ることを許されず、軟禁された自由の利かない日々の中で、鈴は一人黙々と針を動かしていた。

大名家の正室が、それ以前に京の公家の姫が、針仕事をするなどということは普通では考えられないが、ここ東国の相良の家では、夫の小袖は妻が仕立てるのが当たり前のことだった。
針仕事は鈴がこの家に来てから覚えたことの一つだ。
上等な絹を使い、一針ずつ細い糸で縫い上げていく。その様は一時ではあるが、今自分が囚われの身であることの屈辱を忘れさせてくれた。


「精が出るな」
先触れもなく、彼女の部屋に姿を現したのは現在の城主、重定その人だった。
鈴が居室に幽閉されてはやひと月になるが、彼は日に一度はこの奥へとやってきた。

「このようなところに毎日お出でになるとは、右近殿もお暇なのですね」
広げた絹を傍らに片付けながら、彼女は縁側に腰を下ろした男を見つめた。
身の丈六尺を超えようかという体はそこにいるだけで後ろに大きな影を作る。
亡き景之が五尺五寸ばかりの体格だったのに比べれば、彼の体は大男というに相応しかった。

「暇はなくとも、そなたの顔を見に来るくらいのことはできるぞ」
嫌味が通じなかったのか、重定は庭を見つめながらそう言った。
「それはまた酔狂な」
皮肉を込めて返した鈴の言葉など聞こえないかのように彼が呟いた。
「ここは…静かだな」

実際のところ、今この閨室を訪れる男性は重定ただ一人。
それ以外は衣食の世話をする侍女が数人出入りするだけで、鈴はほとんどの時間を一人で過ごしている。取り立ててそれを寂しいとは思わないが、時には話し相手がいても良いとは思うところだ。

「鈴姫」
彼は鈴を、今では誰も呼ばなくなった名前で呼ぶ。
「そろそろ覚悟を決めるがよい。京の…後九条の家には遣いをやった。もうそなたに帰ろう処はない」


鈴の母親の生家である後九条家は、今ではその力を失ったとはいえ、宮家や摂関家とも姻戚のある公家の家柄だ。
生まれてすぐに母を亡くした彼女は母方の親族に預けられ、ここに嫁ぐまでそこで育った。
だがいくら大名とはいえ、武家の父親を持つ彼女は公家の家からすれば疎外された存在だった。それでなければこのような東国の一武将に嫁がされることはなかっただろう。
請われさえすればいとも容易く彼女を新たな夫に縁付けることなど、造作もないことなのだ。
要は厄介払いなのだから。

「そのお話は何度もお断りしたはずです。散り散りになった相良勢の謀反をご心配ならば、わたくしは尼寺に行き尼僧となりましょう。いっその事この場で切り捨てて下さっても構いません。しかしながら、右近殿のお申し出に従うことだけはできませぬ」

相変わらずの頑なな態度に重定が溜息をつく。
「か弱い女子ごときそなたに何ができる?どうしてもいやだと言うなら、力ずくで従わせることもできるのだぞ」

それを聞いた鈴の穏やかな表情が一変し、一瞬にして女主の顔になる。
「ならばそうなさるがよい。わたくしは決して従いませぬ。敵にこの身を汚されるなら、舌を噛んで果てるか、井戸に飛び込むくらいの覚悟は疾うにできております」

彼女の守り刀は落城の際に重定に取り上げられたままになっている。
自害を恐れた彼は、鈴の周りから目についた刃物をすべて取り上げていた。
今彼女が手にしている金物は糸切と針くらいなものだ。
それでも命を絶とうと思えばいくらでも手はある。
彼は知る由もないが、鈴がそれをしないのは、相良家の存亡を見極めたいという、偏に秘めた己の信念のためであった。

「どうしても従えぬと言うのだな」
硬い表情で頷く鈴に、重定が最後通牒を突きつける。
「では仕方あるまい。北の国境で謀反を企んだ者たちをすべて斬首とする。女子供もすべてそこにいた者は、同罪だ」

鈴の目が驚きに見開かれた。
北の国境には二つの尼寺がある。
そこには城を逃れた家臣の家族たちが一時身を寄せているはずだった。

「なぜ、なぜ謀反などと?」
震える声で鈴が問い質す。
「一昨日、間者が知らせて来た。本来なら男子禁制のはずの尼僧寺に多数の兵が潜んでいたのだ。これを謀反の兆しとせずして何とするか」

すぐに軍勢を差し向け大事には至らなかったものの、兵だけでなくその場に居合わせた女子供も随分多くが巻き添えになったことは敢えて言わなかった。
捕えた兵たちは全て斬首にした。
残る数十人の婦女子も今は僧院に籠められ、右近氏の監視下に置かれている。
責められるべきは尼僧院に押し入った残党たちだが、脅されていたとはいえ、それを黙って匿った女たちにも落ち度がないとは言えない。

「そなたが我らに屈服せぬのであれば、見せしめに捕えたすべての者の首を刎ねようぞ。女子供も容赦はせぬ。さて、いかがする?」

鈴の食いしばった歯が、ぎりりと音を立てる。
思わず手を振り上げるが、腕をつかまれるとあっけなくその場に押さえつけられてしまった。
「力では敵わぬと申しておろうが。さあ、どうするのかこの場で答えよ」
「卑怯者っ」
「何とでも言うがよい」
岩をも突き通しそうなきつい視線に動じることもなく、薄い笑いを浮かべた男は鈴に最後の決断を迫る。
「そなたの身と引き換えに数十の女子供の命が助かる。どちらが重いか、見極めはそなたに委ねよう」


数日後、右近の重臣たちが本館の広間に集められた。
その一番上座には右近家の当主重定と、妻となった鈴の姿があった。
婚礼の宴の間、一度たりとも夫に目を向けることなくきつい視線でひたと前を見据え、微動だにしない美しい花嫁。
その姿に、眉を顰める家臣たちのひそひそとした声が賑やかな宴の舞曲に紛れて聞こえてくるようだ。

途中、侍女に促されて鈴が席を立つと側にいた篤義が膝を進めてくる。
「御館様、これからは寝首を掛かれないよう注意しないといけませんな」
揶揄を含んだ物言いに、苦笑いを浮かべながら杯を傾ける。
「そろそろ井戸に蓋をしておくよう言っておかねばならぬかな」
奥へと向かう重定が、意味が分からず不思議そうな顔をする篤義を置いて立ち上がった。

夜更けまで続く宴の賑わいを背に、寝所へと渡る重定はひとりごちる。
「何とも無慈悲なことよのう」
新妻に、添うことが死ぬより辛いと嫌われた、閨に招かれざる夫とは。
しかし彼はその顔に不敵な笑みを浮かべると、鈴が待つ奥へと向かったのだった。


☆ ひとこと memo ☆
山城は戦のときの籠城としての役割が主で、城主や家族も平常時は麓にある館(居館)に住んでいる設定にしています。
現在のように、平地に巨大な天守閣をいただく城(平城)ができてくるのは、徳川が台頭してきた戦国末期以降だったと思います。戦国時代初期の「城」は軍事施設であって、居住のための施設ではありませんでした。
「天守閣」も平城になってからの呼び名で、それまでは天守、櫓といった呼称が使われていたと記憶しています。
ちなみに当時まだ畳は貴重品で、主の居室(寝室)にある程度、ほとんどは床張りでした。




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