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月の宴 華の乱 その二十 



戸倉が兵を集め始めたという噂は瞬く間に広がり、右近領内も俄かに戦の気配を帯びてきた。
かの軍勢はこちら側、旧相良領ではなく右近家本領に向かって陣を張っているとの情報に、急遽重定も出陣を決めたのだ。
本領、旧相良領ともあまり多くの兵を割くわけにはいかない。守備が薄くなるのを周辺の他国が狙っているからだ。

出陣を数日後に控えた夜、重定はいつものように鈴の元を訪れた。

「いよいよでございますね」
酒もそこそこに鈴を寝床に誘うと、彼は強引に妻の小袖の胸元をはだけた。
今宵を最後に、出陣までの数夜は軍神への禊として色事は禁じられる。
鈴と同衾するのも当分はお預けだ。
「案ずるな。この戦、勝機はこちらにある。戸倉とて前後に挟まれれば簡単には身動きがとれまい」
心配そうな鈴の声色に、重定が豪語する。
実際、数の上で右近は戸倉の倍近くの兵を持っている。ただそれを飛び地の二手に分けているため多少手薄になっているだけだった。
この数年、戸倉と右近は小競り合いを繰り返してきた。
本来なら相良よりも先に戸倉を討っておくべきだったのだ。


ひんやりとした部屋の暗がりで、熱を帯びた二人の体がもつれ合う。
彼はいつもより細やかな愛撫で鈴を喘がせたかと思うと、容赦なく深く激しく突き上げてくる。強く打ち付けられる腰に鈴は身体を波打たせ、痙攣しながら彼を強く締め上げた。

重定はいつ果てるともなく鈴を求め続けた。
その荒々しさに応えつつも、鈴の脳裏から不安を消し去ることはできず、つい怯えの言葉が唇から零れてくる。
戦いに不慮の事故はつきものだ。
ましてや、すでに一度、戦で大事な人を無くしたことがある鈴の心痛は尚更だった。

「どうか、どうかお怪我無きよう、無事お戻りくださいませ」
昇りつめる寸前、喘ぎ、身を捩りながら鈴が口にした言葉に、重定の動きが止まった。
華奢な身体にのしかかった巨躯が感慨に震える。
まさか妻の口からそのような言葉が聞ける日が来ようとは、夢にも思っていなかった。
鈴は今、確かに自分の無事を願う言葉を口にした。
それを聞いただけで彼は天にも昇る心地になったのだ。
現金なものだと自分でも可笑しくなる。
しかし、今までの軌跡を思うと、鈴のその一言は彼にとって黄金の山を与えられるよりも、はるかに価値のあるものだった。

「そなたを一人残して死にはせぬ。必ずや生きて帰ろうぞ」
夫を見上げる鈴の目から一筋の雫が零れる。
「必ずやご無事に」
頷く重定の顔を鈴の指が柔らかに撫でていった。

明ける夜に抗うように、二人はいつ果てるともなく睦み合う。
その甘く密やかな姿を、澄明な光を湛える冴えた月だけがそっと見守っていた。



戦は右近の大勝だった。
前後から敵に挟まれた戸倉兵は勝負がつく前に陣から敗走を始め、逃げ込んだ城も数日で陥落した。
重定が目にした戸倉の領地は荒れていて、戸倉氏がなぜ急にこの時期に勝機のない戦いを挑んできたのかを浮き彫りにしていた。
領民たちの所は本より、城にさえ蓄えとなる穀物の類がほとんどなかったのだ。
この様子では、到底東国の厳しい冬は越せなかっただろう。
領主が道楽と戦に明け暮れ、政を疎かにしたつけがこのようなところに回ってきていた。

戦の沙汰を終え、戸倉氏を滅ぼした重定は陣を解き、兵を引きながら帰途に着いた。
旧戸倉領には有能な家臣を残し、国の建て直しを命じておいた。疲弊した領民は新たな領主に大した抵抗もなく従うだろう。

この時は、まだ誰もが右近の勝利を疑わなかった。


重定率いる右近兵の一団が、戸倉領の端、旧相良領との境にある峠に差し掛かったときのことだった。
突然、切り立った岩の間から矢を射掛けられたのだ。
戦に大勝した気の緩みがあったのだろう。いつもなら帰路も注意を怠らない重定の隙をついた、あっという間の出来事だった。
すぐに戸倉の残党は仕留められたが、既に放たれた矢は敵の大将 ― 重定という最大の獲物を射抜いていた。

馬上の重定は、身を隠す暇もなく矢を受けた。
傷は浅いものではなかったが、皆を落ち着かせるために悠然と馬を下りると痛みに耐え、平静を装った。
直ちに手当がはじまったが、看立てをする薬師がその傷の深さに、思わず眉間に皺を寄せた。
「ここでは充分な治療ができませぬ。急ぎ、館にお戻りになられた方がよろしいかと思います」


本館に戻った時、すでに重定は高熱を発していた。
鈴は馬から滑り落ちるように下りた夫に駆け寄ると、よろめく巨体をその小さな身体で支えた。
傍らで心配そう顔を覗き込む鈴に向かい、重定が力なく笑う。
「鈴姫、約束どおり、還ってきたぞ」
夫の体の重みに耐えながら、鈴が犀利に切り返す。
「ご無事ではないではありませぬか。このように縒れておしまいになって」
声に出さずに笑う重定の、安堵の息が髪にかかる。
「それでこそ我が女房殿、だな」
そう言うと、重定はがっくりとその場に膝をついた。
「殿?」
鈴の悲鳴に、周りにいた家臣たちが急いで主の体を支える。
重定はそのまま居室へと運ばれ、床に就いてしまった。
側に付き添う鈴が心配そうに見守る中で、夫は熱に浮かされながら昏々と眠り続けたのだった。


☆ ひとこと memo ☆
合戦に挑む武将は、出陣前の数日間、軍神への潔斎として禁欲する習慣がありました。
他には、食事を精進料理として魚肉食を禁じたり、妊娠中の女性に武具を触らせないようにする等々、いろいろと細かな決め事を奨励していた大名の覚書が残っているものもあるようです。
一方で戦場に入ってしまえば、割と自由がきいていて、宿陣近くに集まる遊女たちに夜の相手をさせることも可能になります。
大きな合戦だと、それだけのために商人たちが集まって来て一つの町が出来上がることもあり、その中に遊女小屋もありました。
そこに集まる女性たちを御陣女郎と呼びます。それに、よく聞く「比丘尼」も元は尼僧の格好をした遊女でした。
しかし、この点で一番割を食ったのは住む場所を戦場にされた住民たちで、特に若い女性が捕まると陵辱されることが少なくなかったため、戦が始まるとその地の住民たちは、真っ先に女性を目に付かない場所に隠したと聞いたことがあります。
                          ≪ 参考文献:戦国武将への大質問/歴史の謎研究会編 ≫




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