BACK/ NEXT/ INDEX


月の宴 華の乱 その十六 



「では鈴が相良に拘る理由は、自身が相良の血筋を持つためということか」
「左様にございます。景之様亡き後、内々とはいえ残る相良の直系は姫様お一人でしたから」

久は最近になって状況が変わったことには触れなかった。
今現在、相良には直系の男子が生まれた。綾乃の子だ。
領地や家屋敷、家臣といった実体としての相良家はすでに存在しないが、鈴の持たせた書付と当主の懐剣によって家名だけは継がれることになる。

「しかし、最後の一人とは言え、あそこまで相良という名にしがみつく所以はなかろう。命よりも名が大事とはなぁ」
まだ完全に理解しきれない様子で、重定が首を傾げる。

「殿にはお分かりいただけないかもしれませぬ。ですが姫様が幼い頃からどんな扱いを受けていたのかを聞けば、ご納得いただけるとは思いますが」
昔を思い起すように遠くを見る久の目が、口惜しさで曇る。

「姫様はやんごとないお生まれでありながら、どこにも居り場がありませんでした。
名目上のお父上、西国の大名家には多くの妾がおいでになり、すでにお子様も数多いらっしゃいました。母君様はご正室でしたので本来なら一番身分が高いのが通例ですのに、お産みになったのが女児であったがために、お世継ぎを生された妾の方が随分と幅を利かせておられましてね。
母君様が病を得るとすぐに母子をご実家に、後九条の家にお戻しなされてしまったのでございます」

程なく母親が他界し、婚家に強い後ろ盾がなかった鈴は、父親に引き取られることもなくそのまま生母の実家に捨て置かれてしまった。
実家は実家ですでに代が変わり、亡き母の両親は隠居の身で鈴を庇うだけの力はない。
家の他の姫君たちに比べ大した世話を受けることもできず、そこで食客のような扱いを受けてきたのだった。

「姫様が十三の時でした。父君のご名代として京にお上りあそばした景之様が、どこぞから姫様のお噂を聞きつけて、お見えになったのです。
これもご縁とわたくしが知る限りのことをお話しいたしました。よもやとお思いになっていた父君様にお話が届くと、すぐに縁組のお話しが参りました。
始めは驚きました。先様では姫様を養女としてお召しになるとばかり思っておりましたのでね」

当時の相良家は列強に周りを固められていたが、婚姻を結べるような妙齢の女性が居なかった。
もし鈴が養女として国に入れば、すぐに他国へと嫁がせなければならない状況だったのだ。
病床にあった父親はそれを嫌い、ようやく見つけた娘を手元に留め置くことができるように計らった。
そのため形ばかりの輿入れと相成ったのだ。

鈴にしてみれば、生まれて初めて自分の居場所と家族ができたのだ。
ここが終生の家という思いを強くしたのは想像に難くない。
ただ自分がいるために景之の妾という立場に甘んじる他なかった綾乃に対しては、実の姉妹以上の愛情を持って接していたのは間違いない。
城が落ちたときも、綾乃には真っ先に国を去らせ、久を頼らせた。
自らは敵の手に落ちる覚悟で、先ず彼女を逃がしたのだ。

「わたくしは姫様のお輿入れを見届けて京に戻りました。時折下さる文はいつもお幸せそうで。昨年父君様が身罷られた時も、今際の際まで枕元に付き添っておいでになったとお聞きしています。
自らが相良の者であるということが姫様の誇りであり、喜びであったことは間違いないでしょうね」


久を下がらせ寝所に戻った重定は、穏やかな顔で眠る鈴の側に腰を下ろした。
夜具に包まれるように横たわる身体のなんと小さいことか。
改めて見るその身の細さに思わず溜息を漏らす。
この華奢な肩にどれだけ重い責務を負い、小枝のように細い腕でどのくらい多くの使命を担おうとしたのか。

相良という家を思い、家臣を思い、そして国を掌る責任を思うあまりに、落ち延びることさえせず滅びゆく城に留まった小さな烈女。
初夜の床で子は成さぬと言い切り、身を窶してまでそれを守ろうとした矜持の高さは、生まれながらの不遇に対する彼女なりの抵抗だったのかもしれない。


「鈴が最初から相良殿の息女であったなら、景之殿はそなたを俺にくれたかもしれぬのにな」

戦の直前、夜陰に紛れて陣中を訪れた友とは敵味方として合い見えた。
あくまでも主への忠信を尽くそうとする相良と、それを打ち崩そうとする右近は、元を正せば何代もの間盟友であったのだ。
重定と景之も何度も同じ戦に参じ、共に陣を張った旧知の仲だった。
このたびの戦の勝機は五分五分だが、闘えばどちらかが滅びることは充分に分かっていたことだった。
今宵が最後と思いつつ、互いにそれには一言も触れず、ただ月を肴に酒を酌み交わした。
帰り際、杯を割り再び闇に溶け込むように陣を去る男に託されたのは一人の女子の名だった。
もしもの時は自分に代わって貴殿の手元に、と景之はただそれだけを言い残して行った。
それが友と交わした最後の言葉となった。




≪BACK / NEXT≫ / この小説 TOPへ
HOME