未だ感情が揺れ、赤子のように愚図る鈴を寝かしつけると、重定は一人縁側のふちに出て、霧雨に煙る庭を眺めていた。 「右近殿、姫様は」 声を掛けてきたのは久だった。 「今寝入ったところだ。なかなか寝付いてくれなくて往生したが」 久が重定から一歩下がったところに腰を下ろす。 「ああ見えても姫様は、お小さいときは癇癪持ちでしたからねぇ」 「ほう、あの鈴が?」 「ええ、それはもう手が付けられないくらい癇が強くて」 そういって微笑む久の顔にも安堵が見える。 京の都から遙々とここ東国に来てからというもの、彼女もまた鈴の身を案じ枕元から離れなかった。 甲斐甲斐しく看病し、暇を見ては神仏に祈り続けたその姿はまさしく鈴の母のようだった。 「久殿」 顔を庭に向けたまま重定が問いかける。 「鈴がこのような東国に、何ゆえ相良の家に嫁いできたのかをご存知か?」 何を言い出すのかと久は訝しい目を向ける。 「いや、良からぬ縁組だったということではない。相良は代々守護の家柄。都でも申し分のない話ではあったと思う」 そう言うと彼は体を変えて久の方に向き直った。 「だがどうしても解せぬのだ。なぜ相良の主は…景之殿は鈴に手を付けなんだのかをずっと疑問に思っていた。そして鈴が時折漏らす相良の家への拘りが尋常ではないことも。いくら嫁いだとはいえ鈴にとって相良は婚家、失くしたところで生家に戻れば済むことだ。だのにああしてまで家名を守ろうとするのは何故なのか」 強い眼光で凝視された久が口ごもる。 「姫様は…殿には何もお話申しておられぬのですか」 重定が肩を竦める。 「あれは、そのようなことは口が裂けても言わぬであろう。俺の前では相良の名を口にすることさえ滅多にないからな」 久は考えあぐねていた。 元の主であった鈴の母を始め、景之の父、当主だった景之本人を含めてほとんどの者は鬼籍に入っている。 既に相良の家は無くなったも同然。 さりとてこの話を迂闊に他人に漏らしてもよいことにはならない。 どうしたものかと。 「久殿、鈴は孕まぬように毒を使い続けていた」 「毒と申しますと?」 「胎に入った子種を根付かせぬように流すための散薬だと聞いた」 驚きを隠せない久が言葉を継げないうちに、重定が畳み掛ける。 「名は薬だが、実のところは毒にも等しいだそうだ。この度のこともそれが起因しているのではないか、と千代が大層気に病んでいる」 柱に凭れ掛かり、目を閉じた男の顔に深い苦悩が浮かぶ。 それほどまでにこの俺が、右近の血が憎いのだろうか。 毒薬を呷り、己の身体を傷つけることさえ厭わぬくらいに。 「鈴が女手等に、自らの命を削ってまで家に義理立て、守ろうとするのは何故なのか。俺にはどうしてもその合点がいかんのだ」 長嘆する重定に、心底鈴を案じる姿を見た久は意を決した。 この殿方は、景之様亡き今、これからの姫様を託することができる唯一のお方なのだ。 隠し立てて要らぬ疑念を持ち込むのは得策ではない。 「姫様が、父君の下ではなく母君のご実家でお育ちになったのはご存知でいらっしゃいますね」 語り始めた久に、重定は無言のまま頷く。 「姫様の母君が嫁がれたのは西国の大名家。例え母君が身罷られても、女のお子様はその家で乳母に育てられるのが常の習い。何ゆえ京の、母君のご実家に戻されたとお思いか?」 通常ならば、女児は後の政略の手駒として男親の手元に残されることが多い。 戦などで家が滅んだ時は別として、母が離縁により婚家を離れる際も、子は父に引き取られるのが普通だ。鈴を産んですぐに他界した母の望みとは言え、あまり聞いたことがない話だった。 「母君様が嫁がれたのは十六の時。それまでは都で朝廷の祭祀を司るお務めをなさっておられました。そして、その時に知り合われた殿方と相愛の仲となられたのです」 久は難渋を滲ませた顔をする。 「それより前に、お役目を辞した後の輿入れ先は西国に決まっていました。当時の後九条の御家は西国との縁組を強く望んでおられたのです。どうしても諦め切れなかったその殿方は何度もご実家に申し入れなさいましたが、聞き入れられず、殿方と引き離された母君は、泣く泣く西国に嫁がれたのでございます」 そこで息を継ぐと、久は気が萎えぬうちにと一気に話し続けた。 「母君様はすぐにご懐妊になり、姫様をお産みになられました。 ただ、どう数えても産み月が早すぎるのです。周りの者には月満ちる前に生されたといい含めましたが、生まれた赤子はどう見ても月満ちて生まれた子。姫様が小さくお生まれでなければ欺くことはできなかったでしょう」 「では鈴は…鈴の父親は」 「嫁ぎ先の主ではございません。かの殿方が姫様のお父君。嫁がれる時、母君様はすでに身ごもっておられたのです」 「しかし、それと相良の家にどのような…まさか」 「そうです。その殿方こそ相良の、景之様のお父上なのです」 「つまり、景之殿と鈴は」 「腹違いのご兄弟ということになります」 「だがそれでは婚姻は成り立つまい」 「実際には夫婦の契りは何もありませぬ。ご兄弟ですからね。もちろんそれを知るのは内々のごく限られた者だけです。西国の御家への対面もあって、表沙汰にはできませぬ故。 姫様を相良に戻すために婚姻によって身を移し、いずれはここを離縁して他所に嫁がせることになさったのです。おそらく景之様は大事な妹君を他国へは出さず、親族か臣下に添わせようとお考えだったようですね」 ☆ ひとこと memo ☆ 戦国時代において、大名家の縁組はそのまま同盟関係や従属関係に結びついていることが多く、そのため関係が悪化、または決裂すれば、特に女性側が即離縁されるということも度々あったようです。 有名なところでは、徳川家康の母、お於の方が、それが原因で離縁され、家康を残して婚家を去っていますし、北条氏政の妻だった黄梅院(武田信玄の娘)も父、信玄が同盟を破棄したせいで、嫁ぎ先に子供を残したまま実家に帰されています。 一方、婚家が戦等で滅んだ場合、妻と女児は実家に帰されることが多かったようです。 織田信長の妹、お市の方が最初の嫁ぎ先、浅井家が滅亡した際、三人の娘と共に戻されたのは良く知られているところです。 ただ男児はほとんどが殺されるか、良くても仏門に入れられたようです。 戦う大名たちは勿論命がけですが、後に残される妻子もまたある意味で「命がけ」だったのかもしれませんね。 HOME |