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月の宴 華の乱 その十四 



「な、なぜそれを…?」
床に腹這ったまま動けない体をそっと抱き起こすと、重定は鈴を延べられた寝床に戻した。
「そなたが倒れた後、千代に仔細を聞いた。手回りの物を検めさせたところ、その抽斗からこれが出てきたのだ」
指に摘んだ包みをひらひらと泳がせる。
「さて、答えよ。これをいかがするつもりだったのか?」

包みを取り戻そうとするが、指が触れるより先に彼の手が遠くに逃げる。
今の鈴には体を動かし、それを追うだけの力はなかった。

「ほほう、これはそんなに大事なものか?」
嘲りの込もった言葉に抗するように背けた鈴の顔を、重定が指で引き戻す。
「薬師に吟味させたところ、かなり強い毒だというではないか。これをどうするつもりだったのだ?」
貝のように口を閉ざした鈴の頑固な様子に、重定は溜息をつく。
「なぜ、今になってこれを要とするのか。俺を殺すつもりならば夕餉の席でも閨でも…今までに機会は幾らでもあったであろうが」

その言葉に驚いたように、鈴の目が大きく見開いた。
「なぜ、わたくしが殿を亡き者にしなければならないのです?」
「これはそのために用意したのではないのか?」
「違います。そ、そんな…」

考えたこともなかった。
この薬を使うのは、自らの命を絶つためと決めていた。
戦に勝ち負けがあるのは世の習い、今更その恨みを敵に当たってみたところで、失ったものが帰ってくることはない。
ただ生き永らえてしまった我が身がどうしようもなく厭わしかった。
敵将に娶られ、身体と自由を奪われながらも、その男を愛おしく思ってしまう自分が愚かで汚らわしいものに思えて仕方がなかったのだ。

「どちらにしても、もうこれは要らぬな」
重定は包みを灯芯に翳すと、油の入った皿に放った。
一瞬、包みは油に煽られた火に包まれ、黒煙とともに燃え尽きていく。
それを床で見ていた鈴の口から嗚咽が漏れた。

「なぜに、なぜに死なせては下さらぬのですか。わたくしなど生きる甲斐もない女子なのです。みんな、みんな、わたくしを残して逝ってしまった。父母も、景之様も、そして赤子も」
鈴はすすり泣きながら夫を見つめた。
「胎に子がいると気付いた時、わたくしが何と思ったか。それを知れば殿とてお許しにはなりますまい。
わたくしは胎の子を…自分の子を禍々しいと思ってしまった。本当なら一番喜ばなくてはならないはずの母親が、己の子を愛しいと口にすることさえできなかった。
胎の子を産むことは死んでいった相良の皆を裏切ること。だから身二つになる前に、自分共々我が子を闇に葬ってしまおうと、そう思ったのです」
彼は黙したまま鈴の心からの叫びを聞いていた。凍ったような顔に表情は浮かばない。

「わたくしは女子なのに、子を宿した母親なのに、生まれる子が恐ろしいなどと思ってしまった不埒な人間なのですよ」
それでも重定は何も言わなかった。
ただ黙って、彼女の目から零れ落ちる涙を見つめていた。

「子の誕生を喜ぶどころか、どうやって授かった命を亡きものにしようかと、そんな鬼畜にも劣らぬことをずっと考えていたのです。
このまま死んでもあの子のところへは…浄土へは行けぬと分かっております。
わたくしを待っているのは地獄の責め苦。それでも我が子を先にあの世に送っておいて、自分だけがのうのうと、永らえることはできません。
お願いです、わたくしを殺してください。
殿の手にかかって死ねるのなら本望でございます。後生ですから、どうかわたくしを死なせて」
「ならぬ」
「お願い…」
「ならぬと申しておる。そなたを殺して何になる?子に償いたいなら、この世で生きて償うことだ」
「殿…」

重定が泣き崩れる妻を腕に抱いて引き寄せる。
「鈴姫よ、そなたは思い違いをしている。薬師の見立てでは赤子は肥立ちが悪くて育たなんだから胎から流れたのだと言うておった。決してそなたの怨念が取り殺したわけではない」

あやす様に体を揺すりながら、諭すように語りかける。
「そなたが身罷らんとした時、俺は神仏に願った。もしも命が助かったなら妻は終生そなた一人。妾は持たぬ。それでそなたが救われるのなら、子はなくともよい、とな」

鈴はその言葉に驚きを隠せない。
「しかし、それでは殿の、右近の御家が滅んでしまいます」
「無用な心配だ。家には弟もいれば一門衆もいる。どこぞから探せば跡目はいくらでも出来るものだ」
「しかし…」
「そしてそなたは永らえた。俺は約束を違わない。たとえそれが神仏に対してであってもだ」

詰めていた息を吐き出すと、鈴は鼻を啜りながらも呆れた顔で重定を見上げた。
「何と放縦な殿様でしょう。御家より女子とは」

その辛らつな物言いを聞いた重定が声を上げて笑う。
「その調子ならすぐに体も癒えよう。良くなって、いつものように減らず口をたたくようになるのも直ぐのことだろうて」

だが彼には分かっていた。
どんなに強がっていても、鈴の中から罪の意識やわだかまりが消えることはないだろう。
むしろ気丈に振る舞い、感情を押し殺そうとしてしまう分、心に残る深い傷が癒えるにはもっと多くの時間が必要なのだということが。




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