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Lovers Concerto 6


翌日、詩音は時差を考えて相手先が夕方になる時刻に電話を掛けた。
「もしもし、真音ちゃん?」
「詩音なの?久しぶりね。元気にしていた?」
姉の声はいつもと変わらず穏やかだ。
「あ、詩音ごめんなさい、少し待っていてくれる?えっと、それはね……」
手で押さえているのか、くぐもった声が受話器から漏れ聞こえてくる会話は、誰かに指示をしているような調子だ。
「お待たせ」
「そっか。週末だからダーリンが来てたんだ」
冷やかすように言うと、姉が小さくため息を零した。
「少しずつだけど、こちらを片づけているのよ。そろそろ家に戻らないといけない時期に入ってくるから」
「ふうん」

数か月前、姉の真音は再婚した。
お相手は、朝倉嶺河という大企業の御曹司。
彼の結婚で泣いた女性はさぞや多いことだろうと想像するに難くないほど、とびきり素敵で……多分女たらしだったと思わずにはいられないような男性だ。

最初に彼を見た時、詩音自身も「おっ、格好いい男」と思わず見とれた。モデル並みの体型や自然に乱した長めの髪の毛、そして極め付けの甘いマスク。
その時の彼は、突然いなくなった姉を血眼で探していたのだから身づくろいに構う余裕はなかっただろうが、それでも女性の目を引き付ける色気というか独特のオーラのようなものがあった。
あまりにも持っている雰囲気の違う二人に、彼が本気で姉と付き合う気があるのかどうか疑った時期もあったが、今ではちゃんと籍を入れ、晴れて結婚生活を送っている。


「ところでどうしたの?珍しいわね、詩音から連絡してくるなんて」
いつも大概は姉の真音の方から電話を入れてくることが多い。
時差が気になることもあるし、週末だけとはいえ新婚家庭にそうそうお邪魔な長電話を入れることもないからだ。
「真音ちゃん、実はね、昨日ニコラス・ヴァーンって男の人が訊ねて来たんだけど。知ってる?」
真音が驚いた様子で聞き返してくる。
「ニコラス・ヴァーンって……もしかしてあのリトル・ピアノボーイのニコ?」
一方、詩音も別の意味で驚いていた。まさかこの姉が彼とそんなに親しくしていたとは、夢にも思っていなかったからだ。
「うーん、もう『ボーイ』って感じじゃないけど。オッサンの一歩手前くらい?」
そう答えた詩音に、姉は受話器の向こうで朗らかな笑い声をあげた。
「でね、彼が真音ちゃんにぜひ見てもらいたいものがあるっていうの」
「見てもらいたいもの?って、一体なにかしら」
「あのね……」
詩音は一瞬それを言うのを躊躇った。自分の口から、この言葉が出てくることを、姉は何と思うだろうか。
「なあに?」
「あの……バイオリン。パパの使っていたバイオリンの……ストラディバリウスって」
「えっ?」
電話の向こうの真音が暫し絶句しているのが分かる。
「彼のおじいさんがね、ずっと保管していたんだって」
「ロレンツォ、が?……でもどうして今頃になって」
「ロレンツォって?」
「ニコラスのおじい様よ、すごく腕の良い楽器職人だった」
そういえばニコラスの祖父の名前まではっきりとは聞いていなかったが、彼もそんなことを言っていたのを思い出した。
「詳しいことは、彼が話すと思うの。で、ヴァーノンは真音ちゃんに直接会って確認したいって言うんだけど」
「……そう。私も彼と話がしたいけれど、でもちょっと今はそちらに行くわけにいかないわね」
「だよね、どうしようかなぁ」



姉に、もしよければ電話ででも話がしたいと伝えてほしいと言われ、詩音はその後すぐにニコラスの滞在するホテルに連絡を入れた。しかし生憎と彼は外出中ということで繋がらず、フロントに伝言を残した。
「こんなことなら意地を張らずに素直に携帯の番号を聞いておけばよかった」
昨夜、何度かニコラスにそれを仄めかされたが、詩音は頑として申し出を突っぱねた。彼の携帯電話を知ることで、彼女もまた自分の番号を教えなければならない羽目に陥るのは目に見えているからだ。
個人の情報は、親しい友人や家族以外には極力知らせたくない。
それは彼女がこの国で暮らすようになって痛感した大事なことの一つだ。安全はタダではない。それまでは常に誰かに守られてきた詩音は、独り立ちするということの覚悟と責任をこちらに来て初めて教えられたのだ。

それから1時間もしないうちに、ニコラスからコールバックがあった。
「ふーん、それで、結果として彼女は今どうしても日本から出られないってことだね」
真音の言伝を聞いたニコラスはしばらく何か考えていたようだが、唐突にこんなことを言い出した。
「そうか、なら仕方がない。こっちから行く」
「えっ?」
「真音が動けないって言うなら、こちらからアクションを起こせばいい。ストラディバリウスを持って、これから日本に行こう」
突然の話に、詩音は面食らった。
「で、でも……」
「シオン、もちろん君も一緒にだよ。案内役が必要だからね。パスポートは持っているだろう?」
「それはまぁ……」
彼女は母親がアメリカ人なので元から二重国籍ではあったが、日本政府発行のものを持っている。今でも「彼女の国」は日本であることに変わりはない。
「ならば問題ない。俺の方のビザは……日本ならいらないか、もしくはこのままで大丈夫だな。OK、すぐにチケットを押さえるから、準備しておいてくれ」


それからすぐに彼から連絡があり、午後の遅めの便でこちらを発つことになった。
時差があるので日本に直接電話はせずにメールでそのことを伝え、迎えに来たニコラスと共に空港に向かう。
「準備はいい?」
「何とかね」
数日分の衣類や洗面道具をまとめた詩音の旅行カバンは、女性の旅支度としてはかなり小さめだ。
「随分とコンパクトにまとめたな」
「最低限しか持って行かないから。毎日ファッションショーをする必要もないでしょう?」
それを聞いたニコラスがからかう様ににやりと笑う。
「俺に目の保養をさせてくれないってこと?」
「当たり前でしょう。何であなたの目を楽しませるために、わざわざ私が大荷物を背負ってかなきゃならないわけ?」
「ガッカリ。期待していたのに」
「はいはい、それはそれは、残念だわね」
ニコラスがカバンを受け取りトランクにしまうと、二人は詩音のアパートメントを後にする。


こうしてそのまま二人は空路日本へ。
そして来日したその日のうちに、真音の滞在する八ヶ岳の別荘に向かったのだった。




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