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Lovers Concerto 1


土曜日の朝、8時30分。
少し前に目を覚ました詩音は、パジャマ代わりのスエットの上下という格好のまま、キッチンカウンターのツールに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。
BGMはUSヒットチャートを流し続けている、地元のラジオFM局の放送だ。今週は軽いポップな曲が多く、彼女は爪先でカウンターのボードをつつきながらそれに合わせてリズムを取っていた。
そんなくつろいだ気分をぶち壊すように、突然、大して大きくもないアパートメントの玄関からけたたましい呼び鈴の音が聞こえてきた。
「こんな朝っぱらから、一体誰?」
身内に突然彼女を訪ねてくるような人はいない。ましてや、友人たちなら不在がちな彼女の在宅をあらかじめ確認してからから来るし、このエリアの荷物は大概午後になってから配達されることがほとんどだ。
休日、それも他人の家を訪問するには、まだ早すぎる時間だった。

「放っておくか……」
自分の格好を見た彼女は、居留守を決め込んだ。
普通の客なら、何度か呼び鈴を鳴らして応答がなかった時点で諦めて帰るだろうと思ったからだ。
だが、それから10分近くが過ぎても玄関のベルは断続的に鳴り続け、謎の訪問者が引き下がる気配はない。
「もう、煩いわねぇ。ご近所に迷惑じゃない」
詩音は顔を顰めながら、ベルの鳴り止まない玄関の方を見つめた。
ワンフロアに数戸しかないアパートだが、煩くするのは考え物だ。特に向かいの男性は夜勤をしているらしいので、あまり騒がしいと会った時に露骨に嫌な顔をされてしまう。
「はいはい、分かった分かった。分かったわよ、もう」
彼女は背の高い椅子からよっこらしょと下りると、側にあったカーディガンをはおって玄関に向かった。
先ずはドアについているスコープから外の様子をうかがう。
すると、そこにあったのは見知らぬ若い男性の姿だった。
「どなた?」
用心深く、ドアを開ける前に声を掛ける。
「ミスター カナデ・ニシヤマの娘さんがここにお住まいと聞いてきたんだが」
それを聞いた詩音は、突然出て来た父親の名前にどきりとしながら少しだけドアを開けた。
「何か御用?」
隙間からのぞいた詩音を見たその男性は、苛立たしげな目を彼女に向けた。
「誰かいるのならさっさと出て来たらどうなんだ?」
その言いぐさにむっとした彼女は、見るからに嫌そうな表情でふんと鼻を鳴らした。
「そっちこそ、こんな朝早くから玄関先で大騒ぎして。しつこいったらないわよ。で?何の用なの?」
「ミズ ニシヤマと話がしたい。取り次いでくれ」
「はぁっ?」
どうやらこの男性は詩音が「ミズ ニシヤマ」本人であることに気付いていないらしく、大方、ルームメイトか何かと勘違いしているのだと伺えた。
「いるなら早く呼んで来てくれないか。こっちも時間が押しているんだ」
腕時計を見ながら苛々としている男性を、気乗りしない様子でわざと斜めから見上げながら、詩音は勿体ぶった調子で肩を竦めた。
「ご用件は?」
「本人と会って直接話す」
「だ、か、ら、何なのよ?」
「いい加減にしてくれないか。君には関係ないことだ」
「あら、そう?ならこのままお引き取り下さい」
男性の横柄な態度にカチンときた詩音は、そのままさっさとドアを閉めようとしたが、一瞬早く男の靴が隙間に挟み込まれた。
「帰ってよ。『ミズ ニシヤマ』はあなたに何も用はないわよ」
そう言ってなおも強硬に内側からドアを閉めようとする彼女に、男性は不遜な態度を崩そうともせず冷たい視線を向けた。
「おっと。やっと居所を突き止めたんだ。簡単に引き下がるわけにはいかない。そんなに彼女に取り次ぐのが嫌なのか?彼女のボーイフレンドを根こそぎ撃退しなくては気が済まないほど嫉妬しているとか。大方そんなところだろうな。勿体ないな、君だってかなりの美人なのに」
訳知り顔で勝手な推測を加えて納得している男性を、詩音はキッと睨み付けた。
「悪かったわね。生憎と、そんなんじゃないわよ。ついでに言うなら、『彼女』は撃退しなければならないほど男にモテないから」
「言うねぇ。さすがルームメイト兼ボディーガード。いや、番犬かな」
面白がるように笑う男性に、詩音はにっこりと、しかし超がつきそうなくらい冷たい微笑みを返した。
「それはどうも。お褒めの言葉と受け取っておくわ。だけど言っておくけど、ここで暮らしているのは私一人よ。他にはシェアしている人間はいないから」
「えっ?」
そこで初めて男性の顔に驚きの表情が浮かんだのを見た詩音は、内心意地悪くほくそ笑んだ。
「だから、さっきからずっと『用件は?』って言っているでしょう?それに、あなたは認めたくないのかもしれないけど、今現在『ミズ ニシヤマ』に該当するのは私しかいないから」
「マオは?ここにすんでいるのは彼女じゃないのか?」
「違うって言ってるでしょう」
「しかし……」
「真音ちゃんは今、日本にいるわよ。ここにはもう何年も来ていないわ」
「だが、カナデの娘がここにいると……」
「そうよ、ここで暮らしているわ。西山奏の娘なら、ほら、ちゃんとあなたの目の前にいるでしょう?」
両手を腰に当てて、いかにも憤懣やるかたないといった表情で仁王立ちしている若い女性。それを見た男性は信じられないといった様子で彼女を見つめた。
「もしかして、君はマオの妹の、あのチビで生意気だったシオンか?」
急に彼の口から自分の名前が出てきたことに驚きながらも、彼女はなおも強硬な態度を崩そうとはしなかった。
「悪かったわね。そうよ、私はその『チビで生意気』な詩音だけど。そういうあなたこそ一体誰なのよ?」
彼女の顔をまじまじと見つめていた男性は、突然相好を崩すと、その場で大笑いを始めた。
「き、気が付かなかったよ。まさか君が『あの』シオンだったなんて。随分大きくなったものだな」

訳が分からず戸惑う彼女に、その男性は涙を拭きながらこう言った。
「俺の名前はニコラス・ヴァーノン。しがないピアノ弾きさ。ところでミズ ニシヤマ、君に折り入って話があるんだ。悪いけど、今から一緒に来てもらえないか?」
「一緒にって、あ、あなたと?」
「そう」
「そんな、今からなんて無茶だわ」
「それを承知で頼んでいるんだ。今日はちょっと時間がなくて。15分待つから準備してきてくれ」
「ちょっと待ってよ」
「ほら、もう1分過ぎた。残り14分。それじゃ、俺は下の車のところで待ってる」
「い、行かないわよ。あなたとなんて」
「ほら、そうこうしているうちにあと13分になった。来ないなら君が来るまで下でクラクション鳴らしまくるから」
「そんな、他の人に大迷惑じゃない」
「だったらそうならないように時間通り下に降りればいい」
「無茶苦茶なこと言うわね。そんなことしてごらんなさい。警察を呼ぶわよ」
「警官が来たら『喧嘩した恋人が出て来てくれないんだ』って泣きつく。多分物見高い野次馬たちで、窓の下は大騒ぎになるだろうな。噂やなんかで、明日からここで暮らすのは大変になるのは間違いない」
「止めてよ、もう。あなたってクレイジーだって言われない?」
呆れた顔で聞いた詩音に、男性は鼻でふふんと笑った。
「クレイジーって?そうだな、あんまり面と向かって言われたことはないけれど、自覚はあるさ。何せ一番そう思っているのは、俺自身だからね」




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