結局グラントに押し切られる形で、レイチェルはアレックスとともに彼の屋敷に連れて来られた。 郊外にあるハミルトンの家は、広大な敷地に建てられた豪奢な邸宅だった。 門をくぐってから車で5分は走らなければ建物が見えない。私有地と知らなければ、どこか公園の中に入り込んだのではないかと見まがうほど緑が多くで自然が豊かな環境だ。 市街地から離れているとはいえ、大都市にこれほど静かな場所が残っていることに驚かされる。 先ほどのやり取りの後から、グラントとレイチェルは一言も言葉を交わしていない。 彼のメルセデスに乗り込む時も、ベビーシートがあるせいで後部には一人しか座れないために、彼女は後ろのアレックスの側に、彼は前の助手席に座った。 グラントは予め車にベビーシートを用意してきていた。 何が何でも今夜、アレックスを連れ帰るつもりだったようだ。 病気だとは聞いたが、そんなに彼の祖母の容態は悪いのだろうか。 すぐにでもアレックスに会わせておきたいと考えるほどに。 乗っていた車が屋敷の車寄せに回り、玄関前に停まる。 慌てて車を降りようとした彼女は、反対側のドアが開き、グラントがベビーシートからアレックスを抱き上げたのを見て、側に走り寄った。 「私が抱きます」 グラントは彼女を一瞥すると、眠っているアレックスをゆすり上げた。 「今は眠っているのだから、誰が抱いても同じだろう。心配しなくても、今この子を連れて逃げたりはしないから、安心したまえ」 自分の考えを見透かされたようで、レイチェルは顔を赤らめた。 この大きな屋敷の中で、引き離されたら最後、二度とアレックスに会わせてもらえなくなるのではないかと、内心恐れていたのだ。 それくらい、見るものを圧倒する大邸宅だった。 レイチェルの懸念を他所に、グラントは入口で彼らを出迎えた使用人たちに軽く頷いただけで、玄関を入るとどんどん奥へと進んでいく。 客人に対して慇懃な挨拶をしている人たちにろくな返事もできないまま、彼女は引きずられるようにして屋敷の中へと足を踏み入れた。 案内されたのは、1階東翼の中ほどにある寝室だった。 部屋には病院と見紛うほどの高価な機材が所狭しと並べられ、大きなベッドを取り囲んでいた。 その中央に小柄な老婦人が横たわっていて、つながれた点滴の管からは、今も液が少しずつ落ち続けている。 眠っているように見えたが、気配に気づいたのか、彼らが近づいて行くと薄く目を開けた。 「グラント?」 「ええ。今戻りました」 「では、その子が…」 顔が見えるように、彼は少し膝を曲げて腕の中の赤ん坊を傾いだ。 「アレックスです。そしてこちらにいるのがレイチェル。赤ん坊の…」 「あなたがこの子の母親ね」 グラントの紹介を遮ると、老婦人は部屋の隅に佇んでいたレイチェルに手招きをした。 「私はグラントの祖母、グエンドリンです。グエンと呼んでくれると嬉しいわ」 老婦人はそう言うと、痩せ細った手でグラントの腕の中で眠るアレックスの頭を撫でた。 見る間に彼女の瞳に涙が溜まり、皺の刻まれた頬へと流れ出す。 「二人とも、よく…よく来てくれましたね。ジェフリーのことがあったから、あなたたちが会いに来てくれるかどうか心配だったのよ。あの子があんなことになったから、そのせいでこの子のことが分かったなんて、人生は皮肉だわ」 震える手を差し出され、思わず握り締めたレイチェルを見て、グエンドリンの安堵の息が洩れる。 「ありがとう。本当にありがとう。この子の顔を見られたから、もう思い残すことはないわね」 「そんな…」 戸惑いの表情を浮かべるレイチェルに、眠りに落ちそうなグエンが微笑みかける。 「ありがとう、ハミルトンの跡継ぎを産んでくれて」 「一体どういうこと?何でアレックスがハミルトンの跡継ぎなわけ?」 寝室を出たレイチェルは、使用人の案内で客間と思しき部屋に通された。もちろんアレックスも一緒だ。 出された紅茶にも手を付けず、一人怒り心頭に発していた彼女は、グラントが遅れて部屋に入ってくるや否や、彼にくってかかった。 「聞いていた通りだ。アレックスはハミルトンの直系の子供だ。将来あとを継ぐ資格は充分にある」 「そういう意味ではなくって」 彼女はそんなことを言いたかったのではない。 レイチェルが手放さない限り、アレックスはローガン家の人間だ。赤の他人に勝手にその子の将来を左右するようなことを言う権利はないということだ。 「将来、私に子供ができなかった場合、アレックスは正式にハミルトンのすべてを相続することになる。その可能性を示唆したまでだ」 「そんなことできるわけがないわ。だってあの子は私の子供なのよ」 「だが、実母ではない。同等の資格ならば私にもあることを忘れてもらっては困る。私はアレックスの伯父だ。君が伯母であるようにね」 はっとして見上げた彼女に、彼の目から冷たい光が浴びせられる。 アレックスと同じ色の、何よりその血縁を物語る青灰色の瞳。 そう、妹が何よりも愛した男のものと同じ色の。 けれど、彼らは揃って自分たちの世界からマデリンとアレックスを締め出した。今頃彼がその事実の重大さに気付いたところで、亡くなった妹が戻ってくることはない。 アレックスは彼には渡さない。何があっても。 マデリンが残した、たった一人の肉親。 間違ってもこの子をハミルトンの駒になどさせるものですか。 桁違いの財力を目の当たりにして、ともすると弱気になりそうな自分を奮い立たせるのは怒りしかなかった。 悲しんでも嘆いても、彼に太刀打ちできるような力は湧いては来ない。 「でも忘れないで。あなたはその資格をあっさりと放棄したのよ。そう、あなたたちは妹とアレックスを捨てた。まるでゴミ箱にゴミを投げ捨てるようにね」 「君は…君はなんという比喩をするんだ」 口調こそ穏やかだが、彼の端正な顔は抑えた怒りで赤らみ、口元が引き攣っている。 「あまりに的を得ているでしょう?言い返せるなら言ってみなさいよ。これ以上巧い言いようがある?」 グラントは徐にレイチェルの腕を掴むと、鼻が触れ合いそうになるまで顔を近づけた。 彼の青灰色の瞳は怒りのあまり暗いグレーに変わり、冷たい氷の刃を思わせる。 「一つ警告しておく。私をあまり怒らせるな。君が女でなければでなければ、叩きのめしてやるところだ」 彼に容赦なくきつく掴まれた腕が痛む。もしかしたら、明日の朝には痣になっているかもしれない。だが、それでもレイチェルは怯むことなく彼の目を見返すと、腕を振り払い、わざと冷淡に言い放った。 「私なら、あなたの心臓に杭を打ち込み、八つ裂きにした後で焼き払う。そして跡形もなくなるまで足で踏みつけて粉々にするでしょうね。その後で灰を海にでも流すわ。 ほら、よくあるじゃない。悪魔や吸血鬼が二度と復活できないようにする儀式が」 「ほう、私は悪魔や吸血鬼と同列ということか」 グラントは面白くもなさそうに笑った。 「間違えないで。あなたはそれ以下よ、野蛮人」 「覚えておこう」 そう答えたのは抑制の効いた、ぞっとするほど冷たい声だった。 HOME |