BACK/ NEXT / INDEX



復讐は甘美な罠 6


数日後、レイチェルの勤務先に1本の電話がかかってきた。
「こちらはダンバース&ローランド法律事務所です」
担当はウイリアム・ローランドと名乗った。
グラントが言っていた、ジェフリーの遺産相続についての連絡だった。

「つまり、マデリンの相続権が本人死亡の場合、宙に浮くということですか」
彼の言い分をまとめると、ジェフリーの遺言では遺産の相続人としてはマデリンの名前しか記載がされていなかったので、本人及び受取人の法定相続人が死亡、またはこれを拒否した場合はジェフリーの親族に分配されることになるというものだった。

「では、本人が亡くなっているのですから、遺産はそちらで適当にお分けになられたらいかがですか。私には何の関係のないことだと思いますが」
「実はそうも簡単にはいかないのです。まずは一度、詳しいお話をさせていただいた上で、相続権放棄の書類にサインしていただくことになります。親族であるあなたが、ミズ・マデリンの法定相続人となられますので。もし他にミズ・マデリンに近しいご親族がおられましたら…」
「いいえ、おりませんのでご心配は無用です。では明日の夜7時にお待ちしております」
レイチェルは急いで話を遮ると電話を切った。
これ以上深入りして、アレックスのことを穿り返されるのは困る。

自分が事務所に出向いた方が話を切り上げるのに都合がよいことは分かっているが、昼間は仕事があるし、夜はアレックスの世話をしなければならない。遅い時間に赤ん坊を連れて、外出などということは考えたくなかった。
特にそれが、あのいまいましい男に関る件では。
そこでMr.ローランドに自宅の方に来てもらうよう頼んだのだが、その場での話を想像しただけでも辟易しそうだ。

『煩わしいこと…』
もとより彼らの、ハミルトンの財産など欲しいとは思わない。
そんなお金なら、全部まとめて暖炉の焚き付けにしても構わないとさえ思うくらいだ。
贅沢はさせてあげられないけれど、今の自分の稼ぎで何とかアレックスと自分を養っていくことくらいはできるのだから。

あの男の絡んだ金なんて、見るのも汚らわしい。

先日の、レイチェルのアパートメントでのシーンが甦ってくる。
人を見下したような、あの目。
同じ色合いでも、アレックスの無垢な瞳とはまったく異なる、冷たい光を放つ目を思い出しただけで嫌悪感に体が震えた。


翌日、レイチェルは仕事先からアレックスを迎えに行った。
仕事のある時は、いつもは夕方から帰宅するまで近所の学生をベビーシッターに雇い、お迎えも彼女に頼んでいるのだが、今日に限っては都合がつかなかったためだ。
預かってくれる保育施設は時間に厳しく、急いだにもかかわらず結局閉園にぎりぎりになってしまった。

「さぁ、アレックス帰るわよ。今日はお客様がお見えになるから、いい子にしていてね」
車の後部座席に据えたベビーシートに寝かせて話しかけると、彼は機嫌よく指をしゃぶっている。
時計を見ると、まだ約束の時間まで1時間ほどあったので、途中で量販店に寄り、アレックスの紙おむつやミルク、それに切らしていた食料品を買い込んでから、車を自宅へと走らせた。


「よいしょっと」
いつものスペースに車を停めると、彼女はアレックスを抱き上げた。
後部座席で眠っていた彼は一瞬だけぐずったが、またすぐにレイチェルの胸に体を預けてうとうとし始める。
「やっぱり車に乗せると寝ちゃったわね」
帰ったらすぐにミルクを飲ませ、できれば風呂にも入れてしまいたかったのだが、どうやらそれは彼が起きるまで無理なようだ。
どのみち今日は来客もあるから、アレックスも早くは寝入ることはないだろうけれど。

自分のバッグと食料品、それに赤ん坊を抱えて階段を昇るのはかなりの重労働だった。
睡眠不足で体力が落ちているのか、息切れがするし、途中で身体がふらついた。
ようやく3階まで上がり、踊り場でずり落ちそうになったアレックスを抱えなおしたレイチェルは、薄暗い廊下の向こう、自宅のドアの前に誰か人が立っているのに目を留めた。

まだ時間になっていないのに、弁護士さん、早く着いてしまったのかしら。
そう思いながら慌てて廊下を進むと、段々と佇む影がはっきりと見えてくる。
と、レイチェルの足が止まった。
「まだ何か御用ですの?Mr.ハミルトン」
彼女は冷たくそう言うと、ドアの前の人影を睨み付けた。

「用があるからここで君を待っていたんだが」
レイチェルが歩みを止めたのを見たグラントが、代わりに彼女たちに近づいてくる。
その威圧的な態度に、彼女はアレックスを抱えたまま思わず後ずさった。
「今日は弁護士さんがいらっしゃるとは聞いていましたが、あなたまでお越しになるとは知りませんでしたわ。あなたのようなお金持ちが、このような場末の狭苦しいアパートに、何をしにいらっしゃったの?」
言外に拒絶の意味を込めて皮肉をあてつけるレイチェルを一瞥すると、彼は徐に彼女の手から食料品の入った袋を取り上げた。そして目をさまして再びぐずり始めたアレックスを見ながら顎でしゃくってドアを指した。
「とりあえず、早く入ってその子を下ろすべきではないのか?」
レイチェルがむっとした様子で鍵をあけて家に入ると、当然のように彼も一緒に室内にまで入って来た。
「あなたをご招待した覚えはありませんけれど」
「君の荷物を持っているのだから、仕方がないだろう」
グラントは平然としてそう言うと、食料品の入った袋をキッチンカウンターの上に置いた。
そしてレイチェルの方に目をやると、彼女はちょうどアレックスをベビーラックに下ろしたところだった。

「目が覚めちゃったわね。ちょうど良いからミルクにしましょうか。ちょっと待っていてね」
レイチェルが優しく囁きながら赤ん坊をあやしている。その姿はまるで自分の子供の世話をする本当の母親のようにも見えた。
彼が少年時代に切望した、愛情溢れる母親の姿 ――。

いや、騙されるな。あれは演技だ。
グラントはその光景から目を背けると、アパートの室内を見回した。
質素な家具、時代遅れの電化製品、極めつけはその部屋の何と狭苦しいことか。
彼女が余裕のない生活をしていることは一目で分かった。
ここは、グラントの暮らす最新設備の整ったマンションとは雲泥の差だ。
こんなところにハミルトンの息子を置いておくことはできない。
何としても早くあの子をレイチェルから引き離さなくてはならないだろう。
なぜならば、彼女の本当の目的は金に他ならないのだから。
今の様子は仮の姿で、アレックスが受け継ぐ遺産を目当てに甲斐甲斐しく世話をするふりをして、世間を欺いているだけだ。
そうでなくては、自ら進んで苦労を背負い込もうなどとする人間がいるわけがない。

あの赤ん坊の母親が、マデリン・ローガンであることはすぐに調べがついた。
マデリンの死後、レイチェルが彼を養子にしたことも。
彼女の妹が本当にジェフの子供を身ごもっていたことは知らなかった。
そしてジェフリーがこんなに若くして他界してしまったことも予定外のことだ。
もっと早くに子供のことに気がついていれば、レイチェルよりも先に手が打てたのに、法的に先を越された今となっては容易に手が出せなかった。

いずれアレックスをだしにして、ハミルトンの資産を狙うつもりだったのだろう。
多分彼女はそれを画策していたのだ。
今までこちらに何の連絡もしてこなかったのは、その潮時をうかがっていたに過ぎない。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME