「遺産、ですって?」 グラントが頷いた。 先日、亡くなったジェフリーの遺言状が公開されたのだが、集まった親族は皆その内容に衝撃を受けた。 彼の個人資産である預金や投機株、不動産はもちろんのこと、親族間で保有しているグループ会社の株式に至るまで、そのほとんどを赤の他人であるマデリン宛に残したというのだ。 個人資産の贈与は吝かでない。 理由は納得いかず、額はいささか大きすぎるが、それらはあくまでもジェフリーの采配の許容範囲内だ。 だが、一番の問題はグループの株式だった。 グラントとジェフリーは、亡くなった父親からグループの基幹会社の株を相続していた。 兄弟で25%ずつ、合わせて50%。 他に親族が待つ15%で過半数になる計算だ。 だが、ジェフリーが遺言した25%分をこのまま彼女らに与えてしまうと、たちまち60%の株が親族外の保有となってしまう。 経営権はハミルトン一族が握るとはいえ、株主の発言権が強まることに、彼は危機感を募らせていた。 だが、マデリン・ローガンが死亡した今、その相続分が宙に浮く形になる。 その時、突然、家の中からけたたましい子供の泣き声が聞こえてきた。 呆然としていたレイチェルが、弾かれたように振り返り、奥を見つめる。 「し、失礼するわ。どうかお引取りください。私はあなた方とは金輪際係わり合いになりたくないと言ったのは、本当ですから」 彼女はそう言い捨てると、部屋のある奥のドアの向こうに消える。 『彼女には子供がいたのか…?』 確か、ジェフリーにレイチェルの妹と手を切らせた時には、姉妹は共に独身だったはずだ。 だが、あれから一年、年齢的にも、彼女が結婚して子供をもうけていたとしても不思議はない。 そんなことを考えながら、慌ててグラントはその後を追った。 遺産の相続権放棄以外にも、まだ彼女には同意させなくてはならないことがある。 巨額の遺産が絡んでいる場合、後日それらの所有区分や処分方法で揉め事が起きることが多い。 後々のことを考えて、話し合いの内容を書面にして残すことと、誓約書を取るつけることを顧問弁護士から強く勧められていたのだ。 ドアを開けると、そこは、やっとソファーとテーブルが置けるだけの小さなリビングだった。 すぐ側にキッチンがあり、その中でレイチェルが忙しく動き回っているのが見える。 「ほらほら、ちょっと待って。すぐにミルクができるから」 レイチェルは赤ん坊のミルクを作るのに追われ、部屋に入ってきた彼の気配に感づいた様子はない。 見ると、窓の側には古ぼけたベビーラックが置いてあった。 ここからでも、握り締めた拳を突き上げて泣き喚く姿がうかがえる。 まだ、小さな乳児だな。 グラントはそのラックに引き寄せられるように窓の側へと歩み寄ると、無意識に中で動き回る小さな赤ん坊を覗き込んだ。 柔らかそうな黒っぽい髪をした赤ん坊は、彼が側に来ると不思議なことにぴたりと泣き止んだ。そして小さな手で擦った腫れぼったい瞼が一瞬開き、グレーがかった青い瞳が彼を見据えたのだ。 この瞳の色も髪の色も、金髪に緑色の瞳を持つ、ローガン家の姉妹とは似ても似つかない色合いだった。 そう、どう見てもこの取り合わせは――。 「その子に近づかないで!」 その時、彼の姿を見つけたレイチェルが、血相を変えてリビングに飛び込んできた。 そして必死に雛を守り、外敵を巣から追い払おうとする親鳥のように、グラントとゆりかごの間に立塞がったのだ。 「帰ってと言ったはずよ」 「この子は…」 信じられないといった顔で、彼はレイチェルを見つめた。 「私の、私の子供です。勝手に側に近づかないで」 だが、すでに彼がすべてを悟ってしまったことを、彼のその表情が雄弁に物語っていた。 「何てことだ!あの時、本当に彼女は弟の子どもを妊娠していたのか。この子は、あの時の、ジェフリーの…」 「違います。この子は私の子供です」 「だが、この髪も瞳も…この取り合わせは、まさにハミルトンの…」 「違います。この子はあなたがたとは一切関係ありません」 「では、この赤ん坊の父親はどこにいるのだ」 「この子に父親はいません。今の時代、パートナーはいなくても子供は産めます」 「しかし、この子の特徴はまるで…」 「黒い髪に青灰色の瞳の赤ちゃんなんて、世間にはいくらでもいるわ」 レイチェルは赤ん坊を抱き上げると、挑戦的な目でグラントを睨み付けた。 「そう、この子の父親は精子バンクで選んだんです。青灰色の目で、黒い髪の男性をね」 HOME |